小説
お節介は日常を遠のけた
 手に伝わった温もりを確認してフラスコに口をつけるも、まだ熱くて飲めたものじゃない。

「さっきも言いましたけど、診療所で結構話題になってるんですよ?
 ソフィは、持っていくもので当てはまりそうな調合薬を探し当てるって張り切ってるし。
 誰か重役の方が過労で倒れたんじゃないとか。
 最近王陛下がお姿を見せなくなったとか。
 殺鼠剤なんて入ってるんですもの。殿下が毒殺されるんじゃないかって話もあったり」
「ほう、それはなかなか興味深い話だな」
「ご結婚もされてないのに殿下に何かあったら困りますよねぇ。
 王陛下には他にお世継ぎはいないって言うし。
 マイサが、『だったらわたくしが!』って妙に張り切ってて。
 何やらかすか分からないから、私が持ってくハメになったんですよ?やんなっちゃう…って。
 ───え?」

 話に夢中になりかけて我に返り、改めて部屋を見回す。
 足が転がっていた隣の部屋の扉の側に、いつの間にか一人の男が寄りかかっていた。

 波打つ金髪は腰まで伸び、揺れると光を浴びて銀糸にも見える。
 どこまでも深い藍色の双眸。
 長身痩躯で、漆黒の礼服に白い外套を羽織っている。
 無論、薬剤師ではない。ある意味、この国で一、二を争う程の有名人。

「おやアラン殿下。こんな辺鄙な所に珍しい。御用で?」
「執務の合間に顔を出しただけだ………相変わらずここは酷い臭いだな」
「ずっと嗅いでると結構クセになりますよーははは」
「…遠慮しておこう」

 この国の王子、アラン=ラッフレナンドは、物騒な事を言っているエリナにそう応え、部屋へと入ってきた。

(か…帰り、たい…っ!)

 目上の人に対する礼儀などの一切が頭からすっぽ抜けてしまい、リーファは置物のように動けなくなってしまった。

 多分、席を立って平伏とかしないといけないのだろう。
 しかしアランは、既にリーファがいる椅子の側まで来ており、今慌てて立ち上がると間違いなく彼を引っかけてしまう。

(ど、どうか私の事は無視して、早く部屋から出て行ってくれますように…っ)

 身を震わせてそう願っていたが、アランはあろうことかリーファに声をかけてきた。

「先程面白い話をしていたな。私を毒殺とか。
 ………この城の者ではないな。名は?」

 顎に手をかけられ、リーファの顔がみるみると青ざめていく。額が汗が噴き出してきた。止まらない。

「りっ、リーファと申しますっ。
 あ、あの、城下の、診療所に務めてましてっ。その、く、薬を届けに…」
「薬?」
「調合に必要な薬が足りませんでね。ちょっと用立ててもらったんですよ」

 応えたのはエリナだ。

「なるほど。…それで?さっき言っていた話の事だが?」

 汗ばむ顎から耳に指を滑らせてくるものだから、ぶわっと鳥肌が立った。

(こ───こわい…!)

 どこか愉しそうなアランの藍の双眸に見下ろされ、リーファの体が竦む。まるで人を石に変えてしまう魔眼の魔物に睨まれたかのように、身動きが取れなくなる。

「町の噂話なんて気にしちゃいけませんよ、殿下。
 中が見えないと、外にいる連中はあれこれ勘ぐるもんです」
「そ、そうなんです。
 つい話の花が咲いちゃったんです。殿下を毒殺とか、根も葉もない噂で───うあっ?」

 言い訳を考えていると、不意にリーファの視界がぐるんと回った。
 気がついたら、アランの肩の上にリーファが持ち上げられていた。
 ついでに持っていたフラスコが傾き、テーブルにコーヒーを撒き散らしてしまう。アランの服にコーヒーがかからなかったのは不幸中の幸いか。

「ぎゃーっ!ぎゃーっ!降ろっ、降ろして下さい!
 っていうか落ちる!やめっ!出来れば優しく!いやーっ!!」

 王子に抱き上げられる、など字面は夢のような話だが、これでは狩猟で捕らえられた獣と同じだ。足をばたつかせ、その拍子に頭から落ちそうになり、リーファは更に取り乱した。

「ぎゃあぎゃあ喚くな鬱陶しい。エリナ、娘を借りるぞ」
「アタシのじゃないんで、どうぞご自由に」
「エリナさんひどいー!いやー!離しっ───ぐっ?!」

 どうっ、と鈍い音と共に胸部を突き上げる衝撃がリーファの体を大きく揺さぶった。
 それがアランの拳であると認識できたのは大分後の話だ。

(あ───や、だ)

 体の力が一気に抜け、視界が真っ暗に染まる。目は開いているつもりでいるのに、視界に何も映ってこない。
 アランとエリナの声だけが、リーファの耳にどんよりと響いてきた。

「邪魔したな」
「あんまりいじめないであげて下さいな」

 エリナの言葉に彼はふんと鼻で笑って、小柄なリーファを肩に乗せたままいずこかへと歩いて行く。
 かつん、かつん、と大人一人分の足音が真っ暗な闇の中で遠のいていく。

「…こんなものを使う事になるなんてねえ…嫌な世の中だわ」

 誰の言葉か考える事も出来ず、そこでリーファの意識が一度途絶えた。