小説
子守歌は絵本の中に
 夜。
 城内は深夜であっても、人の行き来に困らない程度に灯りを灯している。
 しかし人が通らない廊下にまでつけておく事はない。禁書庫へ続く廊下もまた、そんな廊下の一つだ。

 ヘルムートはカンテラを片手に持ち、アランと一緒に廊下を歩いている。

「全く…禁書庫に置き去りにして鍵までかけておいて、『開けに行くのを忘れた』とかいけしゃあしゃあとよく言えたもんだね」

 ヘルムートが呆れているのは、リーファにお願いした禁書庫掃除の話だ。
 後の事を全部アランに任せてしまったのは失敗だったと思っている。
 後々になってアランにリーファの居場所を訊ねたら、『そういえば禁書庫に放り込んで鍵をかけたきりだな』と返ってきてしまい、アランを叱りつけながら禁書庫に向かっている所だ。

「パスクウィーニの来城がなければ覚えていたさ。
 大した用事ではないと思っていたが、今度は妹の方を嫁がせたいとはな。いい度胸だ」
「門前払いするアランも大概だと思うけどね。
 会うだけ会ってみればいいじゃないか。
 相手もきっと君の事は頭に入っているだろう。説明が不要な分、話は進めやすいんじゃないかな」
「姉の方がどうやってここを出たか忘れたか。
 あれが今度は親戚面してここに来るとか、考えただけでぞっとする」

 つまらない話をしながらも、ふたりは禁書庫の前まで到着する。
 アランが錠を外し扉を開けると、そこは深遠の闇が広がっていた。

 例の怪現象はふたりにも経験がある。お互い少し気後れしながらカンテラを掲げ、中の様子を見る。
 研究員が怪異を恐れ無造作に入口に積み上げていた本はなく、床も綺麗に磨かれている。
 そう遠くまで見通す事はできないが、棚に片付けられた本の並びも正しいようだ。
 書庫特有の埃っぽさも無く、空気も澄んでいる。

 ざっと部屋を見たヘルムートは感嘆の吐息を零した。

「これは驚いた。半日でこの部屋全部片付けたなんて」
「本も正しい順番に揃えてあるようだな。よく知っていたな。
 ………いや待て。何故知っていた?」
「…まさか?」

 ふたりで顔を見合わせ、改めて周囲を見回す。

 部屋は綺麗に片付いているが、片付けた本人がどこにもいない。
 ここは1階だから窓から外に出る事も出来るが、窓は全部施錠されているようだ。
 となると、思い当たる場所は一つしかない。

 ヘルムート達は禁書庫の西側にある司書室の扉に近づいた。

 かつてこじ開けようと剣で扉を傷つけた痕跡はなくなっていた。どこに代替があったのかは知らないが、ドアノブも交換されているようだ。
 その扉がわずかに開いており、奥からの光がこちらに漏れている。
 扉の側に立てかけてあった掃除用具一式が、そこからの光に照らされていた。

 アランは気後れしながら扉を開け───その光景に言葉を失った。

 そこには夥しい量の本が並んでいた。
 禁書庫の量の比ではない。筒状の部屋の壁に本棚がびっしり埋まっていて、本棚に沿うように螺旋階段が備わっている。今いる場所も階段の途中で、上を見上げれば先が見えない程の高さだ。
 下層の床は視界に入る。幾つかの灯りが灯された中央にテーブルとソファが設えてあり、人影が見える。何か本を読んでいるようだが、詳しくは分からない。

 言わずもがな、こんな奇妙な建物はラッフレナンド城内のどこにも建造されていない。
 ”魔術師嫌いの国”にして一際奇妙な部屋ではあったが、先王より『この部屋はこういうものだ』と教わっていたから、恐らく遥か昔からこの部屋はこうあり続け、また王族もそれを認めてきたのだろう。

 アランとヘルムートは注意深く辺りを見回して階段を降りる。

 足音に気がついたのか、人影がこちらを見上げてきた。長い白髪髭の下から底意地の悪そうな笑みを浮かべている。

 階段を降りきり、アランは人影に声をかけた。

「久しいな、爺」

 爺と呼ばれた老人は席を立つ事無く、胸に手を添えて恭しく頭を下げた。

 長い白髪を頭の上で一つにまとめた老人で、服は何代か前の世代の研究員の正装を着ている。年寄りには違いないのだが、しわくちゃな顔のおかげで何を考えているかは分かりにくい。

「お久しゅうございますな。アラン殿下、ヘルムート殿下」

 老人の敬称の使い方に、ヘルムートは眉根を寄せた。

 禁書庫の司書であるこの老人と、アランとヘルムートは面識がある。
 幼少期はよく老人に会いに行き、その底なしの知識に耳を傾けたものだ。
 最後に会ったのは一年前。
 延命の魔術の資料を探しに来た時、禁書庫の怪異に振り回され司書室の部屋に転がり込んだ時だった。
 まさか会えるとは思わなかったが、資料の置き場を教えて貰う事は出来たのだ。同時に近況も伝えてあった。
 だからこちらの状況は知っているはずなのだ。ボケている可能性はあるが。

「僕は殿下ではないよ。継承権は放棄してる。…爺も知ってるはずだよね?
 それと、アランは殿下じゃない。陛下で在らせられるよ」
「これは失礼。しかし、ワシからすれば、どちらも殿下で在らせられますぞ」

 一応謝罪はしているが、老人は考えを改める気はないようだ。

「…好きにしろ。どうでもいい」

 素っ気無いアランの言葉に、老人は、ほっほっほと笑う。

 アランはどこか懐かしそうに部屋をぐるりと見回している。

「この部屋に再び入れる日が来ようとはな。相変わらずデタラメな場所だ」
「褒め言葉と受け取っておきましょうか」
「ここを開放したという事は、やっと縄につく覚悟が出来たという事か」
「ご冗談を。ワシも、殿下らがお越しになると分かれば、開放する気などありませんでした。
 …ワシがここを開けたのは」
「爺様。お茶の用意が───、陛下?ヘルムート様?」

 キッチンでもあるのだろうか。視線の先にあった扉を開けティーセットを持って出てきたリーファが、意外な来訪者に目を丸くしていた。

「…可愛い嬢ちゃんが掃除の手伝いに来てくれから、ですぞ」

 艶やかな髭をさすりながら、ほっほっほ、とまた老人は笑う。