小説
藍色のジェラシー
 エディーと呼ばれた従者が落ち込んだ様子で部屋を出て行く頃には、リーファの違和感は氷解していた。

(だから男性の従者だったのね…)

 ヴェルナが男性であるなら、身の回りの世話をする従者が男性でもおかしくはない。
 見た所、彼もリーファ同様ヴェルナの”瞳”の影響を受けていないようだし、”瞳”の影響を受けずに従者の務めを果たせるのは彼だけだったのかもしれない。

 アランとヘルムートは、ヴェルナの向かいのソファに腰かけた。

 リーファはヘルムートに呼ばれ、アラン達のソファの後ろに控える。リーファ自身は部外者だが、恐らくこれから話す内容は、リーファも無関係ではないのだろう。

「わたくしは、父カイヤライネンのもとに男として生まれました」

 淡々と語りだしたヴェルナは、青みがかった眼鏡をしている。どうやらこの眼鏡が、”リリスの瞳”の効果を妨げる事ができるらしい。

「わたくしを育ててしばらくして、わたくしに数多の人間を魅了する力があると気づいた父が、女性として育てようと言い出したそうです。
 既に長兄がいて家督を継がせる事は決まっておりましたし、わたくしは外に出る定め。
 この力が働いている内は男性である事を気取られる事もなく、相手の意思も思うが侭でしたから、父は嫁がせた先の家を自由に扱おうと考えたようです」
「──────」

 そのあんまりな来歴に、リーファは言葉を失った。

 国の為に、家の為にと、当人の気持ちを無視して婚姻を結ぶやり方は、貴族であれば仕方がない事なのかもしれない。しかし、

(…性別すら偽って嫁がされるなんて………あまりにも…)

 ヴェルナは言うまでも無く、婚姻を結んだ家にも不利益しかもたらさない、とても悪辣なやり方に思えた。

「…嫁いだ先の五人の夫どもは、何故死んだのだ」

 才に影響されないとは言え、アランはヴェルナを見つめないように明後日の方を眺めていた。言わずもがな、とても不機嫌だ。

(まあ…下手したら男性と結婚する羽目になってたって事だしね………キスもしてたみたいだし)

 アランに同性愛の嗜好がないならば、発狂していてもおかしくないだろう。
 それを不機嫌程度までに押さえ込んでいられるのは、相当な胆力と言える。

「申し上げたとおり、わたくしの力が及んでいる間はわたくしの事しか考えられなくなります。
 食事も手につかなくなり、わたくしの為に皆献身的に尽くして下さるのです。
 わたくしもできる限りお世話をするのですが…皆、お体を崩してしまって…」

 言葉に詰まって、ハンカチで口元を覆うヴェルナ。潤んだ瞳から一滴涙が零れていく。傍から見ていても女性らしい姿だ。

 ヘルムートは手元のメモを見ながら頭を掻いた。

「五人の夫の死因も、栄養失調が殆どだったね。
 まあ、今みたいに眼鏡をかけたらバレる可能性もあっただろうし、どうにもならなかったんだろう」
「申し訳ない事をしたと、思っています…」

 親に命じられての事であったのならば、ヴェルナに拒否出来るはずもない。そしてそれは過ぎた話だ。
 ヘルムートも追及に意味はないと考えたようで、早々に話を切り替えた。

「それで、何故アラン…陛下の見合いに乗り出す気になったの?
 父君は半年前に亡くなっているね。もう君に命令する人間はいなかっただろう?」

 肝心な問いかけに、ヴェルナはわずかに戸惑ったのが見て取れた。
 アランに視線を泳がし、ヘルムートに顔を向けて、リーファすら見上げてきたのだ。
 やがてヴェルナは諦めた様に溜息を吐き、恐る恐る口を開く。

「…実家へ戻った際、ラッフレナンドの新王の話を兄から聞きました。
 まだ正妃はおらず、庶民の側女が据えられたと。
 しかし、側女の方…リーファさんに対する陛下の仕打ちが、それはまたむごいものだと、聞いたのです。
 毎晩牢獄で悲鳴が聞こえるとか、毎日罵声を浴びせられているとか…」

(…あー…)

 ヘルムートもリーファも、何となくそっぽを向いているアランの方を見てしまう。

 顔はよく見えないが、にじみ出る空気からして、機嫌の悪さは別の方向を向いているような気がする。

「事情があって、無理矢理側女にされたのだと、わたくしは考えたのです。
 ただ虐げられる為だけに側に置かれるなど、わたくしには耐えられませんでした。
 わたくしは子供は作れませんが、それは他の側女に作らせれば良い事ですし。
 わたくしが正妃になり、リーファさんが辛い仕打ちから解放されればと…。
 ………何か、間違った事を言っていますか?」
「…まあ」
「大体合ってますね…」

 複雑な表情と共にヘルムートとリーファから返って来た言葉に、ヴェルナはほっとした様子だ。誤解だったのではないか、とも思っていたのだろう。

「このお部屋も調べさせて頂きました。
 …鍵のかかった戸棚から、鎖や手枷が出てきた時は、目眩がしたものです」

 リーファは、はっ、として戸棚を見る。
 鍵穴を見ると、金属のようなもので周囲を傷つけた跡がある。どうやら針金などで強引に開錠したらしい。

 そんなリーファを睨む、アランの声音は低い。

「…おい」
「し、仕方が無かったんです。
 急に話が決まったから持ち出す暇もなくて。鍵をかけるしか…!」

 睨まれて怯んでいるリーファを、ヴェルナは悲しそうに見上げていた。

「…途中から、陛下に対する態度が変わられた時も思ったのです。
 もしかしたら、陛下に言われてこのような目に遭っているのではないかと。
 陛下が、側女と正妃候補の仲違いを唆しているのではないかと」

 当然ながら、リーファの態度の急変もヴェルナには分かっていたようだ。

「…見透かされてますよ…陛下」
「………………うるさい黙れ」

 リーファの厭味を、アランはそう返すだけで精一杯だ。