小説
藍色のジェラシー
 話し合いが終わってアラン達と一緒に部屋を出たリーファだったが、ふたりの姿が見えなくなったところを見計らってこそっとヴェルナの部屋へ戻っていた。

 ノックもせずに部屋へ入ると、ソファに座って塞ぎこんでいたヴェルナが顔を上げて驚いていた。

「あ、あの、まだ、何か…?」
「一つ、お礼を言っておきたいと思いました」
「お礼…?」

 図々しく入ってきたリーファだが、ヴェルナは追い出そうとは思っていないようだ。
 元々この部屋がリーファの部屋という事もあるのだろうが、もっと根本的に、リーファに対して敵意というものがないのだろう。だから、リーファも入ってきたのだが。

「私ここに来てから、城下へ行ってないんです。
 城下には知り合いも結構いたんですけど…。
 本当、何の前触れもなく城に入ったから、きっと蒸発したんじゃないかって思われてると思ってたんです。
 でもヴェルナさんが来て事情を話してくれたおかげで、遠方の地にも私の事が伝わってるんだなって、ちょっと安心したんです」

 落ち込みを見せていたヴェルナの顔に、穏やかな色が帯びた。優しく微笑み返す。

「そんな事…わたくしにお礼を言うべき事ではありませんわ」
「そうでしょうか?
 ヴェルナさんが言ってくれなかったら、私はずっと不安なままだったと思いますよ。
 父が仕事で家を出て結構経つんですけど、もし戻ってきても『リーファは城に今いるんだよ』って、誰かが言ってくれる気がします。
 …まあ、いつ戻ってくるのかも分からない人なんですけどね」

 ソファに座り、自分用に出されたカップを手にとって口につけた。すっかり冷めてしまった紅茶だが、まずくはない。

「リーファさんのお父上に、ちゃんと伝わるといいですね」
「はい。ありがとうございます。
 ………それにしても、陛下との私生活が駄々漏れとか。
 どこからそんな話が湧いて出てきたんですかね?」
「わたくしは、兄が以前会議で城に参内した際、色んな方から聞いたと」
「ああ、そういう所からやっぱ漏れるものなんですね…」

 リーファ自身はあまり目立たないよう城内で過ごしていたつもりだが、人の行き来がある以上噂は広がってしまうものなのだろう。”人の口には戸が立てられない”とはよく言ったものだ。

「兄は、貴女の事も見かけたそうですよ。
 とても声の通る、城に不似合いな、可愛らしいお嬢さんだったと」

 ヴェルナにそう真顔でそう言われたら、リーファは何だか照れ恥ずかしくなって顔を赤らめた。

「あらやだ、恥ずかしい………不似合いっていうのがアレですけど、ちょっと嬉しいですね」
「悪い意味ではないと思いますよ。
 王城というのは、やはりどこか厳かな、冷たい印象がありますからね。
 …何でしょうね…とても温かな気持ちになるのです。貴女の声を聞いていると」
「才なんでしょうかね。それもやっぱり」
「…才?」

 ヴェルナは不思議そうにリーファを見つめていた。どうやら自身の異能に明確な分類がある事までは知らなかったらしい。

「ヴェルナさんの瞳みたいに、私にもあるんです。
 人を惹きつけてしまう声…って言うんでしょうか。
 途中からヴェルナさんの邪魔をしたのも、私の声でそれが抑えられると聞いていて…。
 何でも、私の声はここから城門の方まで届くらしいんですよ。
 ………その、ごめんなさい」

 苦笑いを浮かべて頭を下げると、ヴェルナは怪訝な顔で考え込んでしまった。

「…もしかして、それが勘違いで…?」
「あー…いえ。陛下との事は、ぶっちゃけ勘違いもないんです…。
 なんか陛下も、周りに聞こえるようにわざと声をあげさせようとしてるっぽいですし…」

『なんなんでしょうねえ』と口を開こうとしていたら、ヴェルナが懐疑の眼差しでリーファを見つめてくるものだから、つい口籠ってしまう。

「…リーファさん」
「はい?」
「わたくしに、お手伝いできる事はありませんの?」

 唐突に話題を変えられて、リーファはきょとんとした。

 ヴェルナの表情は暗くなるが、同時に苛立ちのようなものも混じっているように見える。

「わたくしは貴女の事がよく分かりませんわ。
 最初のうちは、陛下に弱みを握られているのかと思っておりましたが、そのような風ではないようですし。
 しかし、貴女は陛下をお慕いしているようにも、陛下が貴女を望んでいるようにも見えません。
 側女として、仕事を与えられている訳でもないのでしょう?
 貴女がこの城に居続ける理由は何なのでしょうか?」

 真摯に見つめるヴェルナを見て、リーファは困惑した。

 アランに言われるまま側女として城にいただけで、リーファ自身にはこの城にいる理由はない。
 王の言葉は絶対だと思っていたから、反論する事すら考えなくなっていた。

 勿論グリムリーパーの正体は知られているから、弱みを握られているのかもしれないが、今の所それを理由に酷い扱いをされた事はないのだ。

 色々と返す言葉を考えてはみたが、リーファの口からは早々に諦めの溜息が漏れた。
 下手に言い訳しても意味はないのだ。本当の事を話さなければ、彼はきっと納得しないのだから。

「…私も最初は嫌でした。
 町で仕事してましたし、父の安否も気になってましたし、陛下はいじわるですし。
 でも…そうですね。ちょっと、嬉しかったんだと思います」
「うれし…かった?」

 ヴェルナが素っ頓狂に聞き返すので、リーファは思わず苦笑いをしてしまう。

「私、家計の為に、町で色んな仕事をしてたんですけど、すぐクビになっちゃうんですよね。
 ノロマだし、声大きいし、すぐドジ踏むし。
 前務めてた診療所では、先生や同僚がよくしてくれたから何とか頑張れたんですけど…。
 ちょっと、負い目があったんです。申し訳ないなって思うようになってて。
 そんな矢先にお城に行く事になって…それから色々あって、陛下の側女になったんです。
 陛下には、色々あれしろこれしろって言われて…変な事を言われる事も多いんですけど。
 時々…時々ですけど、『ああこんな私でも、陛下の役に立ててるんだな』って思うんです」
「そんな…貴女は酷い目に遭っているのですよ?役に立てているなどと…!」
「この間、陛下にお菓子を持って行って、『ご苦労だった』って言われて、私すごく嬉しかったんですよ?」
「………………!」

 いきり立つヴェルナだが、リーファの言葉に返す言葉を失った。

 リーファは構わず続ける。

「ヘルムート様からも、『リーファが来てから陛下がちょっと丸くなった』って言ってましたし。
 多分、何かしらで役に立ってるとは思うんです。
 まあ陛下の言う通り、色気がないから側女のお仕事は出来てませんけど…。
 でも陛下が『出て行け』と言わない限り、私はこの城に居続けようと思います」

 意思表明を聞き、ヴェルナは信じられない様子でリーファを見つめる。その眼差しは、まるで真意を探っているようにも見えた。

 しかしリーファとしては、これがここに留まる理由の全てなのだ。今の時点では。

「………貴女の気持ちは、変わらないという事ですね」
「はい」

 きっぱりと言い切ったリーファをしばらく見つめたヴェルナだったが、彼は根が尽きたように嘆息した。手の平で額を覆うと、首を横に振る。

「…どうやらわたくしは、出過ぎた真似をしてしまったようですね…」
「そうでもないですよ?
 ヴェルナさんに来て頂いたおかげで、色々思い直す事も出来ました。
 ヴェルナさん、ありがとうございました」

 頑張ってにっこり笑ったリーファに、ヴェルナもまた頑張ってにっこり微笑み返してくれた。

 ◇◇◇

 翌日になり、ヴェルナは故郷へと帰って行った。

 城内外では、『何であんな素晴らしい方を』とか、『陛下は見る目が無い』とか文句を言われたものだが。

 しかし一週間もすれば才の力はなりを潜め、『まああの陛下だから…』という結論で沈静化していった。