小説
魔女達の呪い
 ラッフレナンド城より馬車で一時間程北西へ走らせた先に、トリストと呼ばれる森がある。
 魔物の領土にやや近い為か人の姿は全くない。と言っても、魔物もそうそう見かける事のない概ね平和な森でもあるという。
 この森の周囲は荒涼とした大地が広がるばかりで水源もない事から、魔物側からしてもさほど魅力的な土地ではないらしい。

 翌日の午後になって、リーファとアラン達はこの森に足を運んでいた。

 目印とばかりに、森の入り口には中へと抜ける為の石畳が敷いてある。最近手入れがされたらしく、石畳の隙間からは草の葉が少しだけ顔を出している程度だ。

 馬車から降りて石畳を歩いて程無く、目の前に石造りのこぢんまりとした建物が現れる。
 周囲も木々で覆われているので、まるで盗賊の隠れ家のような風合いだが、入り口の石壁にうっすらとラッフレナンドの国章が彫られていた。

「…こんな場所が、あったんですね…」

 杖を片手にぽかんと口を開けて建物を仰ぐリーファに、アランがぼそりと言った。

「”試しの祠”───王任命時に事前儀式に使われる洞窟だ。
 ここなら王族以外の者は入って来ないし、多少の声なら外には漏れんだろう」
「よくシェリーと一緒に出かけたよね、肝試しに」
「いわくつきとは聞いていたが、本当にいわくがついているとはな。道理で呪いが消えない訳だ」

 そう言って、アランはリーファの杖を見下ろしてくる。
 アランとヘルムートにかかっている呪いと同じラベンダー色に、結晶が明滅している。

「どうやら間違いなさそうですね。反応が弱いので、呪いの本体はもっと奥にあるようですけど…。
 後は私が行って見て来ますよ」
「私も行く。神聖な祠に部外者の亡骸が転がってたなどと知れたら大事だ」
「王様が戻ってこない方が、大事になるんじゃ………いえ、なんでもないです。
 さ、火をつけないとなー」

 ブツブツ言おうとしていたリーファを、アランは視線で押さえつけてきた。リーファは汗をだらだらかいて目を逸らし、火打石と火打ち金で松明に火をつけ始めた。

「ヘルムートはここに残れ」
「了解、気をつけて。無理だと思ったら戻ってくるんだよ」
「あ、ちょ、ま、待って下さいよー」

 さっさと祠に入っていくアランの背中を見やって、リーファも松明を片手に後を追いかけた。

 ◇◇◇

 祠の入り口は石造りで整備されているが、少し進むとむき出しの土壁ばかりで途端に足場が悪くなる。
 自生しているヒカリゴケで足元は若干明るいが、それでも松明がないと心許ない。

「”試しの祠”と言いますけど、一体何が試されるんですか?」
「注意力、記憶力、判断力、体力、精神力。
 あらゆる面で、王は祠に試されると言われている。───例えば」

 ───ぐいっ

 松明を持って先を進むリーファの襟首を、アランは強引に引き寄せた。

 ───だんっ!

 抗議の声を上げようとした瞬間、目の前に錆びた鉄の槍が横切り、壁に突き刺さった。

「──────」

 アランが襟を離すと、リーファが腰を抜かして座り込む。拍子に、松明が手から転がり落ちた。

 足元を見ると、土に紛れて配置されていた黒い石を、リーファが踏みつけていた。
 そっと足をどけると、黒い石がほんの少しせり上がり、ゆるゆると鉄の槍が壁に戻っていく。

 ぶわっと、全身から汗が噴き出したのが分かった。

「こういう事だ」
「こ…こんな所で、本当に肝試しやったんですか?!」
「王族は皆、この祠の罠の配置は頭に入れているからな。
 時々罠に引っかかって戻ってこない者もいるらしいが、それは王の器ではなかった、という事だ。
 目ぼしいものなどないが、国章の入った建物を盗賊のねぐらにされても困るからな。
 不審者の侵入防止にも一役買っている」

 今になって、アランが同行してくれている理由を理解する。リーファ独りで入っていたら、まず間違いなく死んでいただろう。

 何となく周囲を見回していると、すぐ側にややくすんだ白の、太めの木の枝のようなものが目に留まる。
 よく見ると、ちらほら似たような物が転がっていた。

(ま、まさか、骨───)

 バキッ

 ぞっとしていると、アランが視線の先のそれを靴底で踏み砕いた。

「何を怯えている。お前はグリムリーパーだろうが」
「そ、そ、そ、そうなんですけどっ」
「そしてこれは木の枝だ」
「で、ですよねー」
「もう少し先に行けば落とし穴にはまった山賊の成れの果てがあるがな」

 あっという間に血の気が引いて、目眩を起こす。緊張に手が震えてきていた。

「………………………か、帰って、いいですか?」
「駄目だ」
「せ、せめて、体だけでも置いて」
「…構わんが、既に二つほど罠を抜けているぞ。一人で戻れればいいがな」
「………………………」

 顔を青くして戻りの道を眺めるリーファを、アランは半眼で見下ろして心底楽しそうに笑んでいる。

 アランの言葉を真に受けていいかは分からない。嘘を言っているようにも見えるし、本当の話でも何らおかしくはない。

 ふたりで戻って、という提案は、到底聞き入れてもらえないだろう。
 松明は一つしかない。リーファが松明を持って戻り、真っ暗闇の中で残されたアランに万が一の事があったら、リーファがどういう目に遭うかは想像がつく。

 どう転がっても悪い想像しか浮かばない。だがそう思えば、割り切るのは意外と簡単だった。
 大きく深呼吸をして、震える足を奮い起こして松明を持ち直し、リーファは祠の奥へと慎重に足を進めた。

「い…行きます」
「…そうしてくれ。時間が惜しい」

 腹を括るのが早くて気に食わないのか、少し不満そうにそうぼやいてアランもまたリーファの後ろからついてくる。

 ふと、思いついたらしい。幾ばくか進んだ頃、アランがやや優しげに、しかし愉快そうに口を開いた。

「心配するな。仮に死んだとしても、呪いが解けた褒美として墓くらいは立ててやる」
「…あ、ありがとう、ございます…」

 まだ何も成してないのに、どっと疲れが湧いて、リーファはか細い声でそう応えた。