小説
半年越しの覚悟
(…やれやれ)

 心の中で溜息を吐いたヘルムートは、ふとリーファを見下ろした。

 彼女は今の状況について行けずに、ハンカチを握りしめておろおろとヘルムートを見上げている。

「…話が逸れたね。
 まあそんなわけでね、一度登録した側女は、特別な理由がないと登録を抹消できないんだよ」
「そ、そうなんですか…それじゃ、仕方がないです、よね…はあ…」

 目頭をハンカチで拭きながら、なんだかよく分からないなりに状況を飲み込もうとしたリーファだったが。
 ふと我に返って、ヘルムートに食い下がった。

「い、いや、何かあるんですよね?
 その…抹消できる、特別な理由みたいのが…」
「あー…まあ、ない訳じゃないんだけどさ。
 王族に危険を及ぼしかねない重篤な感染症にかかったとか、犯罪を犯して流罪になったとか、そういう類のものだよ。
 もちろんちゃんと取調べた上で証書にされるから、偽造はちょっとな」
「………あぁ………」

 絶望の縁に追いやられると声も出ないのだろうか。か細く鳴いたリーファはがっくりと肩を落とした。
 そして色々思い出したのだろう。また涙が零れそうになっている。

「───方法が、ないわけではない」

 ぽつりと、アランがぼやいた。

 リーファが悲しみと驚きをない交ぜにしたような顔でアランを見上げる。

 ヘルムートも顔を上げると、アランは頬杖をついて話を続けた。

「要は、”リーファ”という名前の側女がいればいいだけの話だ。
 誰か代わりに側女となり、名乗らせればいい」
「いや、そりゃそうかもしんないけどさ」
「誰かを、身代わりに………誰かを………」

 ヘルムートの言葉を遮って、リーファが物憂げにその言葉を繰り返す。

(…なーに考えてんだか…)

 こちらに顔を向けたアランの表情は、いつもと変わらぬ無表情だ。作り物の表情、相手に感情を探られない為の顔だ。

 ヘルムートの経験上、こういう顔をしているアランは大概が決断を求めている事が多い。
 相手に決断を迫る、という意味ではなく、自分に対する決断、という意味だ。

「お前がここを出たいと言うなら、叶えてやらんでもない。
 だが誰か一人、側女としてここへ連れて来い。
 側女として相応しいか。私の眼鏡に適う女がいれば、その女とお前を引き換えにしてもいい。
 …心当たりが、あればの話だが」
「………。
 ………。………。
 …外出の、許可を、下さい…」

 ふらっと立ち上がり、リーファはおずおずと答えた。

 その返答に、アランの藍色の瞳がわずかに揺らいだように見えたが、返事はすぐだった。

「いいだろう」
「…ありがとうございます」

 リーファは、人形のように生気を無くした顔で頭を下げた。

 ヘルムートは彼女の肩に手を回して、執務室の外に促した。

「ま、まあ何にしても、一度身だしなみを整えてからだね。
 髪を揃えてあげるから、部屋に戻ろうか。外出は午後でもいいよね」
「………………」

 静かに頷いたリーファを見て、ヘルムートは一緒に執務室を後にした。

「…リーファ様、こんな所にいらしてたのですか?」

 廊下を出てすぐ、階段のすぐ側に立っていたメイドが早足で近づいてきた。

 身の丈はヘルムートより少し低いが、女性としては長身と言えるだろうか。
 碧い瞳にプラチナブロンドの長い髪をポニーテールで結わえた美女で、メイド長のシェリーだ。

「部屋にいらっしゃらないのでどちらに行かれたのかと───」

 ふたりに近づこうとして、リーファの異変に気がついたシェリーの顔がさっと青くなった。

 リーファはシェリーが来た事に気がついていないらしい。

 ヘルムートは執務室に顎を向けると、頭の良いシェリーはそれで何となく察したようだ。廊下の端で丁寧に頭を下げ、ふたりを見送る。
 ヘルムート達が通り過ぎてすぐ、シェリーが物音を立てずに開けっ放しの扉から執務室へと入って行った。

 扉が閉まって───程なく。

「何やってんだテメーわーーーっ!!!」
 がしゃあああんっ!!!
「??!!」

 怒気を含んだ聞き慣れない声と派手に何かが壊れたような音に、は、と我に返ったリーファが身を竦ませた。

 びくびくしながら音の鳴った方を見ようとするが、ヘルムートは彼女の肩をがっしり掴んで階段の方へと歩かせる。

「さあさあ、僕もあんまり暇じゃないからさっさと済ませようねー」
「え、え、えと………でも、声が………音が………」
「いつもの事だから気にしちゃだめだよ」
「?????」

 訳が分からないでいるリーファを連れて、ヘルムートは階段に足をかけた。