小説
半年越しの覚悟
 診療所が終わる時間に合わせて御者に来てもらい、夜、ソフィとリーファは馬車でマイサの家へと訪れた。

 家で待ち構えていたのは、明らかに手作りの、だが作りはしっかりとした豪奢な空色のドレスに身を固めたマイサだった。
 事情はあらかた父母と五人の兄に説明したらしい。
 彼らは物珍しげ───というよりは不可解な物を見るような目で、マイサを城へと送り出した。

「結局ソフィも来るのね。家へ戻らなくてもいいのかしら?」

 ふわっふわの羽毛がついた扇で口元を隠し、マイサはホホホと厭味な笑いを浮かべている。

 面白いもの見たさのソフィは、白衣を脱いだだけのラフな格好でカラカラと笑った。

「お気遣い無くー。一人暮らしですから、持ってないと困る荷物もありませんので」
「…わたくしは格好の話を言っているのですけど」
「衣服とかは貸してもらえるよ。
 古着にはなると思うけど。そこは心配しないでいいから」
「ああ、助かります」
「もう、いやですわ。
 城へ行くのに、ドレスの一つの持ち合わせもないなんて」
「………マイサ………あなたね………」
「あら、戦いは既に始まっているのですわ」
「まあわたしにはあまり関係ありませんがね」

 馬車の中で女三人、そんな話で姦しく盛り上がる。

 やがて馬車は大通りを抜け、城と城下を繋ぐ大きな橋を渡り始めた。
 日の光は随分前に山間に落ちたのに、橋を行き来する者はそれなりに多い。石橋にはランタンが灯され、彼らの為に光の道筋を作っている。
 歩行者に注意を払いながら、馬車はゆっくりと橋を渡る。やがて城の門を潜り抜け、城壁に近い南東の停留所で止まった。

 停留所を降りた先は、レンガと生垣で仕切られた庭が広がっている。
 来賓や王族向けに利用される北西の庭園よりは小規模だ。しかし噴水とベンチが設置され、四季に応じて色とりどりの植物が楽しめるこの庭は、役所の手続きに訪れた者達の息抜きの場となっていると聞く。
 さすがに日が落ちた今は出入口にロープが渡され、誰もいないようだ。

 馬車の扉が開くと、その庭の生垣を背にして三人のメイドが並んでいた。言うまでもなく、リーファがいつもお世話になっているメイド達だ。

「お待ちしておりました」
「お待たせしました」

 メイド長シェリーの手を取って、リーファは馬車を降りる。
 他のメイド達にエスコートされ、ソフィが軽い足取りで、マイサも慣れないドレスにおたおたしながら降りた。

 馬車がその場を離れていく頃合いになって、シェリーが優雅な仕草を恭しく首を垂れた。

「この度、お二方のお世話を仰せつかりました、メイド長のシェリーと申します。
 後ろに控えておりますのは、マルタとサンドリーヌ。御用の際は我々に何なりとお申し付け下さい。
 これより、王陛下のおわす執務室へご案内致します」

 辺りを見回し聞き流していたソフィが、きょとんと首を傾げた。

「おや、謁見の間ではないんですか?」
「謁見の間は、正式に書状で予約を取り付けた人じゃないと入れないのよ。
 側女は非公式の役だから、謁見の間に行く機会はあまりないの」
「ああ、なるほど」

 リーファの説明で納得したソフィを眺め、マイサは呆れながら扇を広げた。口元を隠しながら溜息を零している。

「困りますわ。こんな常識も知らないだなんて…」
「まあ、私も最初は分からない事だらけだったしね」

 苦笑いを浮かべながらマイサをなだめ、リーファはシェリーに向き直った。

「シェリーさん。
 私達食事はまだなんですけど、陛下にお会いした後、食堂へ行ってもいいですか?」
「はい。差し支えなければ、お部屋にお持ちしますが如何しましょう?」
「大丈夫です。ふたりにお城の中も見せてあげたいので」
「承知いたしました。
 …それではご案内致します。どうぞ、こちらへ」

 シェリーが先導して、後ろにマルタとサンドリーヌが控え、三人は間に挟まれる形で正面玄関から城の中へと入っていく。

 入ってすぐに見えるフロアは、役所関係の施設だ。
 突き当りにある大きな扉は謁見の間の扉だが、今は時間外なので固く閉ざされている。
 衛兵達に見守られながら右に曲がり、階段を上がった2階が目的のフロアだ。
 本城の中では北東。ベランダから兵士達の演習所が見下ろせる部屋が、執務室になる。

「ああ…憧れの王城…綺麗なシャンデリア。素敵な絵画。夢に見た…」

 目を潤ませて感動するマイサを他所に、シェリーが執務室の扉を静かに叩く。

「どうぞ」
「失礼致します」

 促され扉が開かれた先にいたのは、正面の執務机の椅子に腰掛けているアランと、その側に控えていたヘルムートだ。

 マルタとサンドリーヌを廊下に残し、シェリーと三人は執務室に入る。

(朝のあの音、結局何だったんだろう…?)

 午前中リーファが執務室の方から聞いた、あの罵声と何かが壊れた音の正体がなんとなく気になった。しかし、見回す限りどこにも異変はなさそうだ。

 三人は机の前に並ぶと一様にお辞儀をし、リーファが口を開いた。

「陛下。私の友人をお連れしました。
 向かって右の女性がマイサ、左の女性がソフィです」
「マイサ=アラルースアです。どうぞお見知りおきを」
「ソフィ=ガブリエルです。よろしくお願いします」
「ごきげんよう。私はアラン=ラッフレナンド。この国の王を務めている。
 ───ああ。話には聞いていたが、美しいお嬢さん達だ。会いに来てくれてありがとう」

 そう言ってアランがにこりと笑うと、マイサはもちろんの事、ソフィも色めいたのが分かった。一国の王が目の前にいるのだ。少なからず心は動くのだろう。

 一方のリーファは、不自然なにこやかさと聞いた事がない言葉遣いをしているアランの姿に、何やら言い知れない怖気が立った。普段のアランとはまるで違うから、そこに違和感を覚えるのか。

(ヘルムート様に女性の褒め方でも教わったのかな…)

 何となくシェリーを見やると、口を真一文字に締めて何か色々堪えているのが分かった。

「…この度は急に呼び立ててすまないと思っている。
 部屋を用意しているから、今日の所はゆっくり休むといい。
 明日になったら───そうだな。ソフィ。君と一日、たっぷり話をさせて貰おうか。
 その間は…リーファ、お前がマイサの側にいて、王城を案内してやって欲しい」
「はい、分かりました」

 あんな事をされて、まだ一日も経っていない。アランの側にいなくても良い命令は、願ったり叶ったりだ。

(もう陛下も、私とは顔を合わせたくないよね…)

 寂しい気持ちもあるが、ほっとしたのが正直な所だった。

「それでは、ごゆっくり。
 …この出会いが最良となる事を祈っているよ」