小説
半年越しの覚悟
 マイサはメモを書き終え鉛筆にキャップをはめると、どこか腑に落ちない様子で首を傾げた。

「…何だかとても意外な感じですのね。わたくし、もっと怖い方なのかと思っていましたわ」
「と言うと…あれかな?命乞いする敵を情け容赦なく切り捨てる狂王子?
 漆黒の鎧に返り血を帯びて凱旋する…”アウルム・オブスクリタス”」

 ヘルムートの言葉に、リーファもマイサも顔をしかめる。

 城下や地方の人間からすれば、城の王族というのは雲の上の人である。お目にかかれる事は滅多にない故に、事実もデマも如何様にも膨らんでいく。
 王子の時代にはもっぱら魔王領に面した最前線にいて、類まれな戦果を上げていたアランには、そんな良くも悪くも取れる異名がついていた。
 ”アウルム・オブスクリタス”───ラッフレナンドの古い言葉で”黄金色の闇”と言う意味で、アランの艶めいた金髪と、どこまでも深い漆黒の鎧からそう言われているらしい。

「そ、そこまではさすがに………。
 一昔前まで魔王の軍勢がすぐそこまで迫ってきたと聞きますし、それを退けたのはひとえに陛下のお力によるものですわ。
 国民であるわたくし達が、陛下を恐れる理由など微塵もありません」
「なるほど。マイサはそう思うわけだ。
 …リーファはどうかな。アランの事、どう感じた?」

 顎に手を当てて、リーファは少し考え込んだ。誰も座っていない執務机を、何となく眺めてしまう。

 悪口雑言は日常茶飯事、理不尽に罰せられる事もしばしばあった。
『城下にいた頃と今とで印象に変化があったか?』と問われれば、『ない』と答えても間違いはないのだが。

「…町にいるとそうお目にかかれませんからね。
 人の話を聞くと、ひたすら怖い印象しかなかったんですけど。
 でも…そうですねえ。最近は…こう、なんて言うか………寂しがりやさんなのかなって」

 ───ぶふっ。

 紅茶を飲みかけていたヘルムートがたまらず噴き出した。

「さ、さ、寂しがりやさん…!寂しがりやか、なるほどな…ははっ!」
「な、なんなんですのリーファ。それは…」

 ヘルムートは笑いながらハンカチで口元を拭き、隣で見ていたマイサも口をぽかんと開けて呆れている。

「え…う、うーん。何て言うのかな。
 人と話してる時はすごく気が張ってる感じなんだけど………時々、こう、寂しそうにしてるなって。
 物憂げっていうか………み、見えないですか?ヘルムート様」

 ヘルムートはどこか楽しそうだ。カップをソーサーに戻し、リーファから目を逸らしてニヤニヤと笑っている。

「ふふふ。どうかなあ。僕はあんまりそんな風に感じた事はないなあ」
「そ、そうですか…」
「リーファったら変な事を言ってもう…」
「見え方は人それぞれだよね。
 でも寂しがりやかー。アランが聞いたら何て言うかなあ」

 ヘルムートの言にリーファはぎょっとした。
 こんな事を言っていたとアランに知れたらどういう仕打ちに遭うか。考えただけでゾッとする。

「い、言わないで下さいよ?何となくそう感じただけで、ふ、深い意味はないんですから…っ」
「ふふっ、心得ておくよ」

 なんて言ってはいるが、ヘルムートがにこにこしていると不安が増して行く。

 ───コンコン。

 何か別の話題に持っていけないか考えていたら、執務室の外からノックする音が聞こえてきた。

「どうぞ」

 ヘルムートが声をかけると扉が開き、シェリーが入ってくる。彼女は扉の前でヘルムートに頭を垂れた。

「失礼致します。
 ヘルムート様、チェストミール=ネジェラ様がご到着なさいました」
「分かったよ。第一小会議室に通しておいて」
「かしこまりました」

 シェリーは再びお辞儀をしてみせ、執務室を出て行く。
 ヘルムートは、リーファとマイサに向き直った。

「リーファ、マイサ。悪いけど話はここまでだ」
「貴重なお時間、ありがとうございました」
「うん。僕も面白い話が聞けて楽しかったよ。それじゃ、またね。
 ───リーファ、ワゴンは休憩室に戻しておいて」
「はい、分かりました」

 愛想よくマイサと握手を交わしたヘルムートは、執務机の上にあった書類の束を一冊持って、執務室を出て行った。

 ふたりだけになった執務室で、マイサがぼそりと呟く。

「寂しがりやの陛下…何だかときめくフレーズですわね。ふ、ふふふふ…」
「あ…あんまり真に受けないでね。お願いだから…」

 目を細めてにまにましているマイサを眺めて、リーファは先の発言をかなり後悔した。