小説
小さな災厄の来訪
 ───リーファがリャナと会ったのは二年前になるだろうか。
 グリムリーパーとして仕事をするにあたり、父と共に魔王城へ挨拶に行った時に出会った少女だ。

 父親がインキュバス、母親が人間らしく、本人はサキュバスのハーフ。

 何者かの襲撃により住んでいた村が滅ぼされ、父親の友人であった魔王の義理の娘として、魔王城に身を寄せる事となったらしい───

 ◇◇◇

 城内が不穏な雰囲気の中、際立ってぴりぴりしているのは執務室ではないだろうか、とリーファは思っている。
 騒ぎを聞きつけて戻ってきたシェリーが、リャナを拘束した為だ。

 リャナはサキュバスの姿を止め、金髪と紅い瞳の人間美少女に姿を変えていた。どうやらこちらが、人間として暮らしていた頃の姿らしい。
 武器はおろか大した荷物も持っていないリャナは、ロープで両手両足を縛られソファに座らされている。猿轡までされているが、どこか楽しんでいるようにすら見えるのが不思議だ。

 シェリーはそんなリャナを警戒した様子で見下ろし、細身の剣をリャナの首筋に添えている。その立ち振る舞いは洗練されており、もしかしたら城の兵士達よりも様になっているかもしれない。
 だからだろうか。いつその剣が喉元に食い込むか、と嫌な事を想像してしまい、どうにもハラハラしてしまうのだ。

「シェリーさん…そこまでしなくても…」
「リーファ様、どうか堪えてください。
 この者は我がラッフレナンド城に不法侵入し、曲がりなりにも一応は王たる身分のアラン陛下に剣を向けた魔物なのです。
 普通なら即殺されていてもおかしくはないのですよ」
「…曲がりなりにもって…王様に使う言葉じゃないですよね…?」
「むぐむぐ」

 何か言いたそうに、リャナも相槌を打っている。

 ───かちゃん

「うう、まだ頭がずきずきするよ…」

 頭を押さえて執務室に入ってきたのはヘルムートだった。アランも、不機嫌そうに後から入ってくる。

 心配そうにリーファがソファから立ち上がって、ヘルムートに問いかけた。

「あの、外の様子は…?」
「…うん。殆どの者は体調が良くなっているみたいだったよ。
 そこの子と一緒に入ってきた兵士だけ、まだ起き上がれないみたいだったけど、意識は戻ってる。
 医師も、『すぐに良くなるだろう』ってさ」
「そ、そうですか…良かった…」
「むっふぅ、むううむぅ」

 抗議っぽい呻き声を上げたリャナに気付いて、リーファはアランに懇願した。

「へ、陛下。そろそろ、猿轡だけでも外してあげていいでしょうか…?
 色々、聞きたい事もありますし…」

 アランは不満げにリーファを見下ろし、ヘルムートとシェリーに視線を向けた。

「…いいだろう。
 ヘルムート、猿轡を外せ。シェリー、おかしな真似をしたら殺せ」
「はいはい」
「承知いたしました」

 ヘルムートがリャナの前に座り込んで、猿轡を外す。
 シェリーは冷たい剣の切っ先をリャナの背中に添えたまま、構えた。

「ぷっは」

 猿轡を外した途端大げさに息を吐いたリャナは、大人達の警戒の眼差しに対し気にした素振りすら見せず、あっけらかんとしていた。

「あーすっきりした。いやー、初めてさるぐつわ?かまされたけど、結構口痛くなるんだねー。
 よだれたれてきちゃうし、飲んでいいのか吐いていいのか困るっていうかー」
「そんな事はどうでもいい」

 ぴしゃりとアランが言い捨てた。
 腰に下げていた長剣を引き抜いて、リャナの眼前に向ける。

「お前は一体なんなのだ。何が目的だ。魔王の手先か。
 お前だけという訳でもあるまい。手勢はどれだけ───」
「そんなにいくつも質問しないでよ。答えられる事は答えられるだけ答えるってば、おじさん」
「………………」

 問題発言が耳を掠めて、アランの表情が険しくなった。
 一旦剣を下ろしたか───と思ったら、リャナに向けて大きく振りかぶる。

「わあーーーーーーっ!!」

 落ち着かない様子で一部始終を見ていたリーファは、慌ててアランとリャナの間に割って入った。リャナを庇うように両手を振り上げる。

「こ、こんな所で切ったりしたら、お、お掃除とか大変ですし!
 き、貴重な本がダメになっちゃいます!絨毯だってシミが残りますし───
 あ、あとほら、陛下のお気に入りのマントも汚れてしまいますから…しまいますからっ…!」

 アランは半眼で無表情のまま、涙目でまくし立てるリーファを見下ろしている。振り上げたままの剣をリーファの肩に這わす。

「…魔物をかばおうと言うのか。今度は髪ではなく首を落とすぞ」
「お…落とされるのは嫌です…。
 でも…知っている子が死ぬのはもっと嫌です…っ!」

 首を撫でる剣に怯えながらも、勇気を振り絞ってリーファは声を張り上げた。

 そうしてしばらく沈黙が続くかと思ったが。

「…ふふっ」

 顔を歪め、場違いな失笑をしたのはヘルムートだった。

 張り詰めた空気の中で急に気が緩むような事をするものだから、アランは不満そうに顔を向ける。

「ヘルムート、何がおかしい」
「ふふ、だってさ。君、その歳でおじさんって。
 でもまあ、そうやって眉間にしわ寄せてたらおじさんって言われても仕方がないって思ったら、何だかおかしくって…ふっふっふ、くっくっく」

 口を押さえて必死に笑いを堪えているヘルムートを見下ろして、アランの渋面が濃くなった。

「…全く、本当ですわね」

 今度はシェリーだ。彼女は呆れ顔で、細身の剣を鞘に収めている。

「若かりし頃の先王陛下に瓜二つと言われ、背もそこそこ高く、体もそれなりに筋肉がついて、ほんの少し色目を使えば寄ってくる娘などそこそこいるかもしれない程度の美貌をお持ちですのに。
 無愛想で横暴で悪態ばかりついていれば、おじさんと呼ばれるほど年老いて見えて当然ですわ。
 …ゲーアノート様はとてもお優しい方でしたのに。本当に残念な方を亡くされたものです」
「兄上はシェリーがお気に入りだったからねえ。でも兄上も大概だったけどなー」
「女性に威嚇して寄り付かせもしないアラン陛下よりはマシですわ」
「否定はしないよ。君もそう思うだろ?アラン」
「………………………」

 異母兄と幼馴染になじられてしまったアランは、じろりとふたりを睨んだが───思いの他あっさりと引き下がった。溜息を吐くと剣を鞘に収め、シェリーに放り投げる。
 そして自分の執務用の椅子に乱暴に座ると、不貞腐れた様子でリーファに命じた。

「その小娘がここに来た理由を聞き出せ」

 そう言って彼は、もう知らんと言わんばかりにそっぽを向いてしまった。

「わ、分かりました。───あ、ありがとうございます」

 リーファは、アラン、ヘルムート、シェリーにそれぞれ頭を下げた。血の惨劇すら起こりかねない状況だったから、堪えて収めてくれただけでも感謝だ。