小説
小さな災厄の来訪
 どこをどう歩き回ったか、アランは途中から考えるのをやめた。階段を上がったり下がったり、右へ左へと振り回されて、すっかり方向の感覚を見失ってしまった。
 宛がわれていた部屋の周辺はとても物静かだったのに、あれよあれよと賑やかな通路へ移動させられていた。

(歓楽街…か?)

 大きな門を抜けた先の区画を見回し、アランはそんな印象を受けた。

 建材の基礎は今まで見た城内と変化はないが、装飾と照明の自己主張が激しく目に眩しい。

 扉の上にかかっている看板も派手だ。
 女らしい魔物のシルエットが描かれたもの、酒瓶やジョッキや食器、食べ物らしい絵の描いてあるものは大体想像がつくが、目がいっぱい描いてあるものや体をバラバラにしたような絵などはどういう店かは分からない。

(匂いがきついな…)

 なんらかの食べ物と、なんらかの酒と、なんらかの薬と、なんらかの生き物の匂い。狭い区画にそれらが詰め込まれているので、たまらず鼻と口を塞ぐ。

 その姿を見かねて、狼の獣人が声をかけてくる。

「お客人、大丈夫かい?この辺りはちょっとアレな薬屋が多いからオレも匂いが苦手でねー。
 もうちょい奥行けば食い物の匂いしかしなくなるから、少しの間我慢してくださいねえ」

 正直、背中をさするその手もやめて欲しいのだが、黙ったまま我慢する事にする。何が起こるか分からない手前、あまり刺激したくない。

 歓楽街としてのピークは過ぎているのか、行きかう魔物の姿は少ない。だが、奥へ奥へと歩いていくとちらほら見かけるようになる。

 人間の体躯をした毛むくじゃらな魔物、ネコのような二足歩行の魔物、自分の腰の高さまでしか身の丈が無い鷲鼻の亜人。
 人間の女性のような白いドレスを着た者を見かけたが、よくよく見たら体が少し透けて背景を映している。亡霊の類らしい。

 通りすがりの彼らからしても、人間のアランと魔物ら一行は稀有な組み合わせに見えたようだ。不思議そうに眺める者も、興味本位で列に加わる者もいる。

 連れられるまま何も考えずにただ風景を眺めている内に、魔物ら一行が足を止めた。

 見やればそこは、入り口がカーテンで仕切られた建物だ。彼らの見ている部屋の頭上に、大きな鍋と文字が描かれた看板があるが、残念ながら読めない。

「いらっしゃいませぇ〜、”ダグダの大釜”へようこそぉ〜。何名様ですかぁ〜?」

 店員らしい。カーテンを退け、青白い肌の下半身蛇の女魔物が一行に声をかける。

 狼獣人が周囲を見回し参加人数を数えていく。

「ひいふうみい…ま、十人ってとこで」

(嘘つけ、そんなにはいないだろう)

 と思ったが、アランは黙っておくことにした。

「カーテンつけますぅ?」
「いや、別にいいや」
「先にご注文受け付けれますけどぉ〜?」
「んじゃまあ、十人タイプの宴会セット・ドリンクバー付きで………あっ」

 ちらっと、何故か狼獣人がこちらを見てくる。つられて蛇女もアランを見やって「あ」と声を上げた。

「な、なんだ」

 視線に耐えられず目を逸らすアランを余所に、狼獣人は蛇女に言い足した。

「あと、人間抜きで、ヨロシク」
「かしこまりぃ〜。一番奥の席へどぞぉ〜」

 蛇女は慣れた様子でメモを取り、一行を奥の方へと案内する。

(なんだったんだ)

 自分の分からない所で勝手に話を進めていく様は、見ていて気持ちがいいものではないが、恐らく誰も答えてはくれないだろう。

 飯屋の中は広く、八十人くらいなら余裕で入れるのではと思う。
 規則正しく長テーブルが何列かに分けて並べられ、その周囲に大小さまざまの椅子が並べられている。
 天井にはいくつかの丸められた布がぶら下がっていた。先の話から察するに、吊るすタイプの間仕切り布か。
 入って右側に厨房があるようで、カウンターの側で店員が配膳作業に追われていた。

 飯屋の一番奥、壁側の席まで来ると、狼獣人がカウンターの横にある直方体の箱を指差す。

「お客人はドリンクバーを使った事がおありで?」
「…いや、ないが…」
「じゃあ案内しましょ」

 何だか嬉しそうに狼獣人がその直方体の箱まで案内する。

 箱には四角いボタンがいくつも並んでいて、文字と絵柄が書いてあるが何と書いてあるかまでは分からない。
 やや下の方にくぼんだ場所があり、その下は金網になっていて水が抜けるようになっているようだ。
 同じ箱がいくつも並んでおり、ボタンの絵柄が全部違うのを見るに、これがドリンクバーというもののようだ。

「この店は好きな飲み物を好きなだけ飲める場所でしてね。
 ソフトドリンクから酒までどれでも飲んでいいんですよ。
 まず、ここから好きなグラスを拝借して」

 箱の横にあるグラスやティーカップが置かれたカゴからグラスを取り、箱のくぼんだ場所へ置く。

「で、好きな飲み物のボタンを押すと、出るようになってます」

 くぼんだ場所のすぐ上にあるボタンを押すと、グラス目掛けて真っ赤な液体が落ちてきた。

「分かりました?」
「ああ、分かったが…こちらの文字が読めないのだが」
「絵柄見れば大体分かるようになってますよ。
 これはブドウのジュースですし、それはリンゴのジュースですねー。こっちはソフトドリンクばかりかな?
 その隣はアルコールものです。今出したのは赤ワインですねえ」

 確かに文字は分からないが、リンゴの絵やブドウの絵が描かれている。

「そちらは?色と数字が書いてあるようだが」

 アランは一番左端にある箱を指差した。

 果物の絵は描かれておらず、代わりに赤か黒の円が書かれ数字が書かれている。”赤0”、”黒38”のように。

 何となく気になって箱の側に近づこうとした所を、狼獣人がびくっと肩を震わせ慌てて立ちふさがった。

「ああ、お、お客人、こちらはダメです」
「ダメ?」
「ああ、うーん。何て言ったらいいかなぁ。
 好みが分かれる飲み物なんですよ。オレはあんまり好きじゃない」
「そう、なのか…」

 狼獣人の好みは知った事ではないが、何だかよく分からないものに特に興味がある訳ではない。
 そして何より、アランの心情を思って動いてくれているのは伝わってきた。多分、アランにとっても口に合うものではないのだろう。

 アランは踵を返して、ソフトドリンクのリンゴのジュースを選んだ。

「おや、お酒は苦手で?」
「よくよく考えたら仕事中だったからな…」
「ああ、そういう事なら仕方がない」

 そんな話をしながら席へと戻ると、既に食事の支度が整ったようだ。一緒に来ていた魔物たちはもう席についている。

 鍋料理のようだ。薄茶色の液体の中に、肉や野菜がふんだんに盛られている。鍋が五つあり、小皿が大量にあるので、皆でつつき合って食事しろ、という事らしい。
 あとは、鶏肉らしき唐揚げ、ポテトフライ、枝豆、ピザなど。

 特に刺身の盛り合わせは色鮮やかだ。内陸住まいのアランにとってあまり縁がないから、尚の事目を惹く。

 食欲を刺激するラインナップに、は、と我に返る。

(よく考えなくても、ここは魔王城の中だ。
 こんな、こんなに気が緩んでいいはずが───)

 気を引き締めよう、心を強く持とう、と考えたが。

「締めに雑炊予定してますんでお願いしますねー。あと、デザートはイチゴのジェラートですー」

 おおー、と歓声が上がる。その時点で、アランはなんかもう色々諦めてしまった。

(…どうせ死ぬなら、たらふく食べて死んでしまおう)

 こちらの気持ちを知ってか知らずか、隣に座っていた狼獣人がグラスを片手に席を立って音頭を取った。

「ええー、皆さん。今日はお集り頂きありがとーございます。
 今回、魔王様のお客人をお招きしましてー。
 …ええっと、お名前、なんでしたっけ?」
「アランだ」
「そう、アランさん!
 アランさんは人間ですけど、魔王様のお知り合いとかで、なんかこう偉いのであります」

 何とも雑な説明に、ゴブリンからヤジが飛んだ。

「のんでねーのによってんじゃねーよ」
「うっさいな。よく知らないんだから仕方ないでしょうが。
 …あ、うん。まあ、これを機に、交流を深めて頂いて。
 明日お互いに殺されるような事になったとしても、今日という日が良い思い出となるよう、楽しみましょうという事で。
 では───」
「では」
「でわでわ?」
「「「「「かんばーーーい!!!」」」」」

 グラスやジョッキが頭上でカチンカチンと重なり合う。

(…こういうのは、万国共通なのだな…)

 と、アランも向かいのドワーフとグラスを奏で合った。