小説
つかまれた”なにか”
 夜、湯浴みを済ませ白のネグリジェを着たリーファは、3階東側の来客用寝室の前で佇んでいる。
 命じられた通り、ブリセイダの世話の為に訪れたのだが───

(どうなってしまうんだろう…)

 この扉の先で何が待ち受けているかと思うと、何とも頭が痛い。
 しかし頭痛を理由に、いつまでもこうして立ち尽くすわけにもいかない。さっきから巡回の兵がこちらを見ていて、とても気が進まないが。

 ───コン、コン。

 意を決してノックを二回する。少し待つと、女性の声が聞こえた。

「ああ、入ってくれ」
「失礼いたします」

 一声かけて部屋へ入り、ネグリジェの裾をつまんで声が聞こえた先に首を垂れる。
 顔を上げて───体の温度が二、三度上がった気がした。

 ブリセイダは、何とも扇情的な格好で椅子に座っていたのだ。
 バスローブ一枚を羽織っただけで上半身は何も着ておらず、胸が大きくはだけている。女同士なのだから何も恥ずかしい事はないのに、何故だか気恥ずかしい気持ちになる。

 リーファが顔を真っ赤にして立ち尽くしていると、ブリセイダは気が付いたらしい。

「ん、ああ、悪いね。湯上りで暑かったから風を通していたんだ」

 少しだけ照れた様子で、バスローブを一度解いて着替え直す。やっぱり、というべきか。下半身もはいていなかったけど、想像は出来たから特に反応はしないように努める。

 ブリセイダの支度が整った頃を見計らい、リーファは側に寄りもう一度頭を下げた。

「本日、ヴィグリューズ国王陛下のお世話をさせていただきます。
 あの…至らぬ事もあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願い致します…」
「ああ、よろしく。じゃあ、早速かけて」

 にこやかなブリセイダに手で示されたのは、部屋に設置された円卓と椅子だった。
 側のワゴンには、大小二種類のティーポットとカップらしき茶器が一式揃って置かれている。茶器の方はラッフレナンドで使用しているものではないようだ。

(…はて?)

 想像していたものとは大分違ったが、まずはこういうものなのかとリーファは椅子に腰かける。

 ブリセイダは席を立ち、ベッド側のキャビネットの上に置いてあった円筒の缶をワゴンへ置いた。

「ヴィグリューズで良い茶葉を仕入れたから、是非飲んでもらいたくてね。
 アランは何でもケチをつけたがるから、君の忌憚のない意見が聞きたくて」
「あ、あ、あの。お茶でしたら私が…」

 缶のフタを開けて茶の支度を始めてしまったブリセイダに驚き、リーファは慌てた。
 しかし席を立とうとしたら、ブリセイダに手で制されてしまう。

「ああいい。この茶葉は紅茶と同じ淹れ方だと風味が損なわれてしまうんだ。
 まずは黙って、お茶を淹れるのを待っていて」
「は、はい…」

 お世話をする為に来たのに、これでは自分がお客様だ。リーファは、何ともいたたまれない気持ちになってしまう。

 一方、ブリセイダは手際よく茶の準備を進めている。
 大きいティーポットのお湯をカップに満たし、小さいティーポットに茶葉を入れ、時間を置いてカップの湯を小さいティーポットへ注ぎ、フタを閉じる。

(お湯を冷ましてるのかな…?)

 ワゴンの様子をまじまじと眺めていると、支度を終えたブリセイダが戻ってきて、椅子に座りテーブルに肘をついた。

「出来上がるまでに少しかかる。その間、話をしようか」
「は、はい、ヴィグリューズ国王陛下」
「ふふっ、そんなにかしこまらないで。私の事は名前で、ブリセイダ、と呼んでくれ」
「分かりました…ブリセイダ様」

 ブリセイダの名前を呼んでみると、何故かリーファの頬が緩んだ。アランの時と違って、不思議と自然に言えた気がする。

 首を傾げつつもはにかむリーファを見て、ブリセイダは満足したように頷いた。

「うん、緊張が和らいだようで安心した」

 そしてついでと言わんばかりにさらっと続ける。

「あとね、君が望まなければ、今日は君を抱くつもりはないからね」
「!」

 すっかり忘れていた事を掘り起こされ、リーファの口元が強張った。
 立食パーティーの会話を思い出し、ついつい頬が赤くなる。恐る恐るブリセイダを見ると、反応を楽しそうに眺めている。

「ペルペトゥアはあんな事を言っていたけど、無理強いしてまでする事じゃない。
 もちろん望まれればその限りではないのだけど………興味、ある?」
「…っ!」

 リーファの顔が、今度こそトマトのように真っ赤に染まった。

(べ、別にしてみたい訳じゃないんだけどっ…。
 き、興味があるかないかって言われると…!?)

 小説などで見られる同性同士の触れ合いは、時に艶めかしく妙に耽美に表現されているものだ。
 それが、現実と比べてどう差があるのだろうか、と考える事くらいはしてしまう。
 試してみたいとは思わない。でも気にはなる。ほんのちょっとだけ。

 そんなリーファの複雑な心情が透けて見えたか、ブリセイダが快活に笑っている。

「あっはっは、お年頃だねえ。実に分かりやすい」
「いや、え、あの、そういうんじゃ」
「耳まで赤いよ、可愛い」
「う…」

 顔が羞恥に染まって、リーファはたまらず頬と耳を隠した。耳も真っ赤と言うが、それ以上に手が熱いし汗が噴き出てくる。

「…でもそうだね。こういうのは、興味本位だけで試してはいけないと思うんだ。
 ちゃんと互いに想い合って、心を寄せたら…でないとね。
 そうじゃないと、相手に失礼だろう?」

 目を細めて優雅に微笑んで見せるその姿は、何とも紳士的だ。理想的、とも言えるかもしれない。
 これで彼女が男性なら、非の打ち所がない、とも思えるが。

(…でもそれって、私から…女性から見た、理想よね…。男性としての理想じゃない…)

 だからブリセイダの立ち振る舞いは、女性から見た”理想の紳士”を彼女が体現している、と言える気もする。
 それはある意味、一番男性から遠いのではないか、とも。

(…まあ、そういうの、ちょっと憧れちゃったりはするけど…)

「───あと、アランが拗ねると面倒くさいしさ」

 男性の中で一応頂点に立っているはずの紳士の名前が出てきて、一気に現実に戻された気がした。
 リーファがブリセイダとどういう間柄になったとしても、アランが拗ねる姿は想像しにくいが、面倒くさい事になるのは確実だ。

「そ、そうですね…それは、確かに、大変、面倒くさいです…」
「だろう?」

 ふっふっふ、とブリセイダは小気味よく笑う。共通の感情を持てて、満足した様子だ。

「だから今日はなしだ。でも、君には聞きたい事がある」
「わ、私でお役に立てるならば、喜んで」
「いい返事だ。じゃあ聞こう。
 ───君はどうやって、あのアランに取り入った?」

 真剣に向けられた視線に、リーファはたじろいだ。さっきまで赤かった顔も、幾分か元の肌の色へ戻っていく。
『取り入った』───その言葉に首を傾げていると、ブリセイダは話を続けてくれる。

「あれはさ、相当時間をかけて心を許した相手じゃないと、側に置けない面倒くさいヤツなんだ。
 まず人見知りが激しい。猜疑心が強い。加えて高圧的だ。
 美しい顔、魅力的な体を持ってるだけじゃ、あのアランには精神的に近づけない。
 仮に近寄っても、あの性格だと十割振られる。いや、振らせる」
「あぁー…」

 今までのあれこれを思い出し、思い当たる所がちらほら出てきて、リーファから同意の相槌が零れた。

「『君の声が好い』とは言っていたけど、それはあくまで心を許した前提だろう。
 その前提がなければ、あのアランにとって君はただのその他大勢だったはずだ。
 だから、庶民で接点など殆どなかった君が、どうやってアランに心を開かせたのか、聞きたい。
 ───おっと、そろそろいいかな?」

 ブリセイダは席を立って、小さいティーポットの茶をカップにゆっくりとそそぐ。深緑を思わせる液体が、カップの中に広がっていく。
 ふわ、とゆったりとした茶葉の香りが鼻孔を刺激した。

「すごく、良い香りですね。鼻にすっと入ってくるような」
「だろう。私も気に入ってるんだ。さあ、召し上がれ」

 ソーサーに添えられたカップを出され、恐る恐る、春先の森の色をした液体を口に含む。
 口の中から鼻へ、爽やかな風味が抜けていく。味はやや渋みを感じるがくどさはなく、さっぱりしていて飲みやすい。

「美味しい…!」

 破顔一笑したリーファを見て、ブリセイダは嬉しそうに目を細めた。椅子に腰を下ろし、くい、と茶を口に含んだ。

「それは良かった。ラッフレナンドの者達の口にも合いそうかな?」
「はい、それはもう…!
 お菓子にも合わせやすそうですし、ティータイムが楽しみになりそうです」
「そうか。…ああ、アランに交渉した甲斐があった。
 これから少しずつこちらへ送る様にするから、時々楽しんでくれ」
「はい、ありがとうございます」
「どういたしまして」

 幸せな気分でもう一口飲むリーファを眺め、ブリセイダも満足そうだ。