小説
ミニステリアリス奇譚
 宿屋でリーファとニークが熱唱をした結果、多くの人たちの拍手喝采を受ける事となった。
 開いた楽器入れにはチップが積まれて行き、ちょっとした銅山銀山が築かれた。

 困ったのはアンセルムだ。彼は人が変わったように泣きじゃくり、全財産を出そうとしたのだ。
『さすがにそれは止めてくれ』と、リーファとニークで彼を宥める羽目になってしまった。

 結局チップは三人で山分けして、リーファは無事、宿代の支払いをする事が出来た。部屋は、サンが借りている個室に間借りする事が出来た。

 そして、ニークが『母ちゃんがビーフシチューを作りすぎちまった』と理由を語り、リーファとサンはニークの家にお邪魔する事になった。

 ◇◇◇

 ニークの家は、マゼストの村の東側に位置する。街道へ続く通りから一本引っ込んだ、山の中腹にある家だ。

 レンガ造りの、寝室とダイニングキッチンで構成された平屋建てで、ここいらでは一般的な特徴の家屋らしい。
 便所と石風呂は離れに設えており、配送に使う馬と荷馬車を収納する馬小屋もあるので、全体的な土地面積は広いと言える。

「ここから村を一望できるの、なんか良いですね…」

 日が落ち、静まり返って行く村の景色を窓から眺め、リーファはほっと息をつく。
 記憶にある景色は賑やかな所ばかりだったから、こうして自然や獣の音だけが聞こえる情景はとても新鮮だ。

「もうちょい歳を取ると足腰が辛くなるかもしれないがねえ。
 でも、見晴らしの良さは心を癒すものなんだよ」

 横の席にいるニークは誇らしげにそう言って、麦酒をちびりと飲んだ。

「うんめえええ〜〜〜!!」

 テーブルに目を移すと、目の前でビーフシチューにロールパンを浸してサンががつがつ食べている。

(…ああして食べたほうがおいしいのかなぁ…?)

 とは思うが、何となく行儀が悪いような気がして所作を躊躇ってしまう。
 ロールパンをちぎる手を止めていると、ニークが声をかけてくれた。

「たーんとあるから、いっぱい食べるといい」
「食事までご馳走になってしまって…ありがとうございます」
「女の子を二人も連れてくるから何事かと思ったけどねぇ。
 でも、声を聞いて驚いたよ。まさか、ニークと同じ声を持った子がいるなんてねえ」

 ニークの妻フランカはニカッと笑い、マカロニサラダを木のボウルに山と盛ってテーブルの中央に、どん、と置いた。

 レモンイエローの髪を首の後ろで二つに分けて束ねている恰幅の良い女性だ。ニークよりは背は低いが、全体的にニークよりもぽっちゃりしている。

「おお〜〜〜っ!」

 相当お腹が空いていたのだろうか。サンは目を輝かせて、マカロニサラダを取り皿に盛り付けていく。

「その…声の事ですが、どういう事なんですか?私、何の事だかさっぱりで…」
「リーファさんの声がね。よく通る良い声だよって話さ」
「で、うちの亭主も、リーファちゃんとおんなじ声を持ってるのさ」

 リーファの疑問に、ニークとフランカは交互に答えてくれた。

「おんなじ、声…」

 そう言われても、リーファとしてはピンとこない。今も、自分の声は周りの人たちと変わらないと思っているくらいだ。

(あの城の人達なら、何か知っていたのかもしれないけど…)

 それも城を出てしまった以上、確かめる術はない。
 眉根を寄せて考え込んでいると、ニークは苦笑いを浮かべた。

「よく分からないのも無理はないさ。
 わたしも周りからそう言われて、『そうなのかー』って思ったぐらいで自覚なんてまるでなかったからねえ。
 …『なんでこんな声に』って言われても困るんだがね。しかし実際、リーファさんの声はよく通る。
 宿屋で歌ってた声が、通りの端っこまで聴こえてくるとは思わなかったからなあ」

 一通り配膳を終え、フランカもニークと向かい合うように椅子に座ると、パンをちぎって食べ始めた。

「家の中にいたあたしにも聴こえてきたよ。才能ってやつなんじゃないかい?
 時々聞くじゃないか。鼻がよく利くヤツとか、耳がいいヤツとか。
 ………あんたも楽器の才能があればねえ」
「ほっとけ。しかしこの村じゃ、その声で歌うのは難しいだろう」
「…何故、です?」

 ニークは親指で自分の背中の方を指差す。その先にはダイニングキッチンの壁があるだけだが、どうやらその先の山を指していたようだ。

「側の山では、毎日鉱物の採掘が行われてる。
 連中は山のかなり下の方で作業してるんだが、どうやらわたしの歌はそんな彼らにも届いてしまうようなんだ。
 昔はわたしも、彼らと一緒に歌いながら採掘に勤しんだものだが………」
「歌ってると他の探鉱者が聴きに来ちまうらしくて、『仕事にならないから止めてくれ』ってさ。
 …はあ、稼ぎはあっちの方がよかったんだけどねえ」
「おいおい、わたしに歌うなって言うのかい?」
「んな訳ないだろう。あんたの歌に惚れて、あたしゃあんたと一緒になったんだから」

 ぶっきらぼうな言い方だが、ニークにはフランカの言葉の意図が的確に届いたようだ。
 ニークが照れ臭そうに黙り込んで頭を掻いていると、食事に没頭していたはずのサンがうんざりした表情でご両人に文句をつけた。

「…おいそこ。惚気んのはベッドの上だけにしろよ」
「っふ。はははっ!」

 茶化されてしまい、フランカがはつらつと笑っている。

(なんか、いいな………夫婦って、こういうものなのかな…)

 微笑ましい光景に、リーファの口元も緩む。

 妻は夫の為に家事をこなして。
 夫もまた妻の為に仕事をこなして、約束通り帰ってきて。
 家に帰ったら食卓を囲って笑い合って。

(私も、誰かとこんな風になれたらいいな…)

 フランカは笑っているし、サンはジト目で見るものだから、さすがにばつが悪くなったのか。ニークは話を切り替えてきた。

「ま、まあそんなわけで、配送の仕事をするようになったんだよ。
 幸い街道には人はそう多くは通らないし、何故だか歌ってると獣や山賊に襲われる心配もない。
 …というか、山賊らしき連中が歌を聴きに来てしまうんだがね。
 不思議なもので何もしてこないんだよ、あいつら。
 歌を咎めるやつもいないし、むしろちょうどいいと思ったんだよね」
「なるほど…」

 歌っていたら人を引き寄せてしまう、なんてまるで御伽噺のようだが、山賊避け───というよりは襲撃避け、という意味では、歌いながらの配送はそう都合の悪い話ではないのかもしれない。

 リーファは、ふと”御伽噺”という言葉が脳裏によぎって、思い直す。

(御伽噺のよう、って思ったって事は、そういう御伽噺を覚えているって事なのかな…?)

 記憶はなくても会話の合間に感じる言葉は、自分の記憶に繋がっている。そんな気がした。