小説
ミニステリアリス奇譚
 埋まりかけていた思考を奮い起こし、アランは体を起こした。落下による痛みはどこにもないが、代わりに刺すような冷たさが全身を駆け巡る。

 見渡せば、視界は銀世界に染まっていた。地面も天井も一様に白く、吹雪により視界が更に狭まる。
 金糸の髪に漆黒の貴族服のアランが場違いかのようだ。

 光景自体には見覚えがあった。あの時もこの無駄な寒さにうんざりした覚えがある。
 何故その光景が司書室から繋がるのか分からないが、今あの老人の事を詮索しても何もならない。
 防寒対策などしている訳ではないから、とにかく凍死だけは避けようとマントで身を縮めた。

 眼前に聳え立つグリムリーパーの城へと、アランは歩き出した。

 ◇◇◇

 ───ゴゴゴゴゴ…

 門前払いされるのではないかと思っていたが、アランが城壁門の前へと到着すると、徐に錆色の大扉が轟音をあげて開いていった。以前は、隣の赤銅の扉から入ったので、まさかこちらの大扉が動くとは思いもしなかった。

 人気は感じられないが、そもそも人がいる訳ではないのだから当然か。どういう動力で動いているのかは深く考えないようにした。どうせ知った所で理解は出来ないだろう。

 城壁門を抜け、以前と変わらない白銀の中庭をただ歩む。中ほどまで歩いた所で、背後の大扉が閉まる音が聞こえた。そのまま、正面の黒塗りの建物に到着する。

 肩と頭の雪を払い落とし、正面の扉を開けて風除室に入ると、寒さを吹き飛ばす程のぬくもりが体を温めて心が安らいでいく。

 ただ、以前は先の扉に見張りのグリムリーパーが立っていたが、今回はいない。代わりと言わんばかりに、扉が勝手に開いた。

(あちらへ行けという事か)

 促されるまま、アランは歩みを進める。

 風除室は温かみのあるクリーム色の壁の部屋だったが、その先の廊下は外壁と同じ黒を基調とした色味になっている。床は黒い御影石と白の大理石が交互に広がっており、金縁の青い絨毯がアランの道行きを教えてくれる。

 左右の扉は閉ざされているが、正面上階へ続く階段の先の扉は開け放たれていた。階段を上がりしばらく廊下を歩いていくと、その先にも扉が見えて、やはりそちらも勝手に開かれた。

 突き当りの部屋は、天井が一際高い広間だった。

 玉座の間なのだろう。左右の壁は長く青いカーテンで覆い隠され、正面は上の方がステンドグラスで彩られていた。
 ステンドグラスのデザインは、緑色の長い髪の女が横を向き、胸の中に神々しい光を抱きかかえているように見えた。グリムリーパーが信奉する神か何かだろうか。

 アランが広間に入ると、やはり扉は勝手に閉じていく。
 そのまま中央辺りまで歩いて行くと、視界の中心にいた人物が優しく声をかけてきた。

「やあやあ、ラッフレナンド王。健勝そうで何よりだ」

 正面にいたラダマスは、背もたれからひじ掛けまで全て鉛色の無骨な玉座に足を組んで座っている。

 逆立った真っ赤な髪と真紅の瞳は、全てを焼き散らす業火とでもいうのだろうか。その苛烈な容姿とは裏腹に、着ている服は白の貫頭衣と橙色の上掛けを羽織っているだけでとてもラフだ。

 アランは初めて会った日の事を思い出す。蛇に睨まれた蛙のような、喉元に剣を突き立てられているような、生きた心地のしない気分。ラダマスの瞳に見つめられると、どうにも身が竦んでしまう。

 しかし連れられてやってきた以前と違い、今回はラダマスがここまで招いてくれている。交渉の余地がある以上、死神の王が相手でも怯んでいる訳にはいかない。

「…突然の来訪に応じてくれて感謝する。グリムリーパーの王よ」
「いやいや。ここは人っ子一人来ない寂しい場所だからね。
 どのような方法でここまで来れたのか、気になる所だが…。
 何にせよ、君のように遊びに来てくれる者は大歓迎だよ」

 ラダマスはそう言って、笑顔を向けてくる───獲物を仕留める直前の、獣のような笑顔で。

「悪いが、観光に訪れた訳ではない。率直に用件を伝える」
「うん」
「…ラッフレナンド界隈に出没している魂達を、浄化して欲しい」

 アランの要求に、ラダマスは眉根を吊り上げた。不思議そうな顔で小首を傾げている。

「もっと他に言わなきゃいけない事があるんじゃないのかな?」
「………………」

 教師に窘められているような嫌な感覚に、アランは居た堪れない気分になってしまった。

(…言わなければいけない事とは、何だろうか)

 今一番に優先すべきは、ラッフレナンドに襲っている怪異を解決する事だ。
 既に怪我人が出ている。この事態を解決する方法は、グリムリーパーの助力を得る事だと確信している。
 禁書庫の老人がここへ導いた時点で、それは確実なものとなった。

 ここにリーファがいる事は、勿論知っているが───

「…私は王だ。臣民を守るのが私の務めだ」
「でも君は、わたしの可愛い孫娘の恋人だろう?」
「………そんな、ものじゃ」
「ではどんなものだろう」
「…理由はどうあれ、リーファは自分の意志で城を出た。私が、どうこう言える立場ではない」
「そんな事はどうでも良いのだよ。
 君にとってリーファはどのような子なのだろうと、そう聞いているのだ」
「………………」

 矢継ぎ早に詰問され、アランは再び黙り込んでしまう。

(…順序を、違えたか?)

 気持ちばかりが先走っていたのかもしれない、とアランは気が付いた。

 よくよく考えたら、ラダマスにとってはいきなり孫娘がこちらに来たのだ。
 孫娘の事情を知りたくて、あるいはアランが連れ戻しに来たと思って、訪問に応じてくれたと考えるべきだろう。
 記憶が戻っていないのなら、ラダマスの事も覚えてはいなかったはずだ。孫娘の異変だって気がかりだったに違いない。

 自分の事ばかり考えすぎていて、相手を慮る事を考えていなかった。

「………それ、は」

 どう切り返そうか考えあぐねていると、ラダマスは、はっとした顔つきになり、慌てて弁解してきた。

「あ、ああ、いや、ごめん。困らせてすまないね」
「…?」
「こういう心の機微にはとんと疎くてねえ。
 ふたりの込み入った話なのに、ほんの少し事情を知っただけのじじいが口を出してはいけないのだったな。
 いや、うっかりうっかり」

 そう言って顔に冷や汗をだらだらとかき、はははとラダマスは笑っていた。

 何事かと思ったが、兵役時代に上官が言っていた与太話を思い出す。

(これは…あれか。
 孫の彼氏に根掘り葉掘り質問して、結果孫から顰蹙を買ってしまう…というあの…)

 リーファに後で怒られるかもしれないと気が付いて、慌てて言い訳してきたのだろう。変な所で人間臭いグリムリーパーである。