小説
ミニステリアリス奇譚
 あてがわれた部屋には、一通りの家具が備わっている。

 廊下側は、小さいながらもシンクやコンロなどの設備が揃っており、食器やカトラリー、コーヒーや紅茶の缶、ワインが収められた棚がずらっと並んでいる。ティータイムを楽しむだけなら十分すぎると言えるだろう。

 窓側は、左に横長のローテーブルが、テーブルの左右に二人掛けのグレーのソファが置かれている。
 衝立を挟んだ右にはクイーンサイズのベッドが置かれ、その奥の個室はトイレとシャワールームがある。

 どれもこれも、リーファが旅をしてきた中では見た事がない設備ばかりだ。
 当初は困惑するばかりだったが、慣れてくると『食事と暇な時以外に出る理由がない部屋』となっていた。

「そちらのソファに…座っててください。今、お茶、淹れます…から」

 男に恐る恐るそう告げて、リーファは棚から紅茶の缶を取り出した。常に熱湯が出るケトルを手に取り、紅茶を淹れ始める。

(部屋に招いて良かったのかな…)

 無意識にやってしまった事を、今更ながらに後悔する。気持ちがどんどん揺らいでいく。

 一方、男はしばらく部屋を見回していたが、やがて左側のソファに腰を下ろした。何をするでもなく、キッチンスペースで支度を進めているリーファの横顔をじっと見つめている。

(…すごい、やりにくい…っ)

 黙したままこちらを見てくる男を見ないようにしながら、リーファは戸棚の缶からチョコチップクッキーを皿に移す。ティーポットの中で色が変わってきた紅茶を、二個のティーカップに注いでいく。

 とりあえず、来客を持て成す体裁だけは整ったと思いたい。リーファは、トレイにクッキー皿とティーカップ、そしてシュガーポットを乗せ、テーブルに持って行った。

「…どうぞ。お砂糖もありますから、良かったら」

 男のいるテーブルの左側にティーセットとクッキー皿とシュガーポットを、右側にティーセットだけを置き、リーファは右側のソファへ行こうとした───が。

「リーファ」

 今まで黙り込んでいた男が、不意に声をかけてきた。
 ギク、と肩を震わせおずおずと振り返ると、彼は自分の膝を指差している。

「お前はここだ」
「は…?」
「いいから来い」
「え、えと…?───うわっ」

 彼はリーファの同意を得ぬままに腕を掴み、そのまま引き寄せた。唐突な事で抵抗出来るはずもなく、バランスを崩して男の体に倒れこむ。
 どこかに顔をぶつけたらしい。痛みに顔をしかめ、リーファから不満が零れた。

「いっ、たたた………な、なんですかいきなり…!」
「ここがお前の席だ」
「はあ…?」

 座らされている場所を確認し───リーファは、固まった。
 男の膝の上に、座らされている。

「───っ?!
 い、いやいやいや!これは幾らなんでもないですから!」

 瞬時に顔が茹で上がった。全身から、ぶわ、と嫌な汗が噴いてきて、リーファは慌てて立ち上がろうとしたが。

「うるさい黙れ」
「ぎゅふ」

 腰に腕を回され、リーファは引き戻された。変な声があがり、無理矢理膝の上に座らされる。

(…あ)

 男の腕の中に強引に収められたリーファは、混乱と羞恥と共に不思議な感覚に陥った。鼻腔を掠めた男特有の匂いから、ふ、と何かを思い出しかける。
 それが何だったのか、すぐに思い出せなくなるが。

(この、匂い………知ってる………落ち着く)

 香料だけではない。男の持つ匂いに懐かしさのようなものを感じ、緊張していた気分が少しだけ和らぐ。

「………私を、思い出したか」

 匂いを嗅ぐのに少しばかり夢中になっていたらしい。男の言葉で我に返り、リーファははしたない行いに顔を赤くした。俯き、正直に首を横に振る。

「い、いえ…」
「ならば、何故シュガーポットを側に置いた?」

 指摘されて、テーブルに置いたシュガーポットを見やる。

 彼はリーファを膝に侍らしたまま、砂糖を何杯もカップに入れて混ぜだした。入れすぎとも思える量だったが、男はそれを美味しそうに口に含んでいる。

 シュガーポットを置いたのは正解だったようだが、置いた理由までは何も思い浮かばなかった。

「な、なんででしょうね?何か、使うような気がして…としか…」
「…そう、か」

 男は驚いたような、落ち込んでいるような、ない交ぜの表情で目を伏せた。しばらくリーファを膝に乗せたまま、紅茶を堪能している。

(重くないのかな…)

 よく分からないまま落ち着いている自分を不思議に思いつつも、男の横顔を眺めているだけというのもとても気まずい。
 こうして時間が過ぎていくのはもどかしい。リーファは意を決して男に質問した。

「あ、あの…」
「…なんだ」
「その…あ、あなたは何者なんでしょうか…?」

 男はちらりとこちらを一瞥して、ティーカップをテーブルのソーサーに戻した。
 顔に渋面を作り、彼は躊躇いながら名乗り上げた。

「………私は、アラン=ラッフレナンド。ラッフレナンド国の、王だ」
「…王、様…?!」

 リーファの血の気が一気に引いていった。
 どことなく貴族らしい顔立ちだとは思ったが、見た目の若さも相まって王様だとは思いもしなかったのだ。

 怖気づくのはお見通しだったようだ。体を起こそうと捩った瞬間、男───アランは腰に回した腕の力を強めた。浮いた足を床に降ろそうとするも、アランの足に絡まれ動かす事が出来ない。

「王様が、何で、私の所なんか…!?」
「一から説明しなければならんのか。面倒な女だな」
「だ、だって…!」
「お前は私の側女だぞ」
「そばめって、何ですか!?」

 アランは一旦閉口し、唇に指を添えて頭を下げた。そんなにややこしいものなのか、考える素振りをしている。
 そこそこ時間をかけて、アランは”側女”というものを一言で言い表した。

「お前は………側女は、私の子供を、産む女だ」

 その言葉の意味を、リーファは頭の中で反芻した。
 王様の子供という事は、王子様とか王女様を産む人、という意味だろうか。それはまるで───

「…それってお妃様って事ですか?」
「違う。そんな大層なものじゃない」

 即座に否定してくれて、リーファは笑顔で胸を撫で下ろした。

「ですよね。ああ良かった」
「…なんで良かっただ、なんで」

 アランは不満そうにリーファの頭を鷲掴みにして、握り潰しにかかった。
 めりめりと締め上げられ、リーファは痛みに悲鳴を上げる。

「いったたた?!痛いです王様?!
 だ、だってそうじゃないですか!お妃様なんて柄じゃないし、お城住まいとか堅苦しそうだし!」
「何を言っている。お前は一年弱、あの城に滞在していたのだぞ」
「はあ?嘘ですよね」
「何故断言する」

 ぎりぎりぎり、とアランの掴む力が更に強くなってしまう。
 これ以上否定すると頭が大惨事になりかねない。全く納得出来ていないが、リーファは無理矢理納得した。

「いたいいたいいたい?!ごめんなさい信じますぅ!」
「───よし、分かればいい」

 曲がりなりにもリーファが理解した事で、アランは満足したようだ。さっさと頭を解放すると、再びティーカップに手を伸ばした。

 痛みが治まってきて、改めて言われた事を思い起こす。
 自分は側女で、側女と言うものは王様の子供を産む女。でもお妃様とかそんな訳ではない。そして自分は側女として、一年近くあの城にいた、らしい。

(ありえない…)

 記憶がないと自覚した時、お城の綺麗な部屋にいたのは確かだ。そして、自分の事を”様”付けで呼んでくれる人がいたのも覚えている。
 何よりこの人の側にいると、リーファ自身が安心した気持ちになっているのだ。

 しかし、サンと旅をしていた自分があまりに馴染み過ぎて、今更『城で過ごしていた』と言われても全然ピンと来ないのだった。