小説
ミニステリアリス奇譚
 朝になり、ゆるゆると明るくなっていく外の景色に誘われて、リーファはゆっくりと目を覚ました。
 体を起こし、ベッドの上で大きく背伸びをする。頭はすっきりしているし、体の調子も悪くない。

(今朝はちょっとだけ涼しいな………もうそんな季節なんだ…)

 ラッフレナンド城の中庭の美しさを何故だか懐かしく感じつつ、リーファは自分の身支度を始めた。
 クローゼットに入っている服に着替えて、部屋を出て水場で顔を洗い、口を濯いでから、2階へ降りていく。

「おはようございまーす」

 道すがら、兵士や役人に漏れなく挨拶をしていく。これは、リーファが心掛けている日課の一つだ。

 側女は政治に一切関われないからこそ、王に相応しい華やかさが求められる。
 立って座って歩いただけで花に見立てられる程の美女であれば、王に傅くだけで十分なのだろうが、残念ながらリーファにそういった身体的特徴はない。
 ならば場が華やかになるように、自分なりに努力をしなければならないのだ。

 昔、母マリアンは『ご近所さんには欠かさず挨拶をしなさい。何かあった時に、そういう子を周りは助けてくれるんだから』と力説していて、何の取り柄もないリーファにとって最も手軽な習慣となっていた。

「側女殿、おはようございます」
「側女殿のお声を聞いていると、朝が来たなーって思いますよ」
「絶好調ですね!その調子で、今日も陛下にびしーっと言って差し上げて下さい!」

 リーファの挨拶に、行く先々で色んな者達が声をかけてくれる。

(…?)

 彼らが纏う雰囲気に、リーファは違和感を覚えた。親しげに声をかけてくれる者は今までも結構いたが、今朝はいつも以上に気持ちの距離が近い。

 もやもやした気分を抱えたまま、リーファは2階北東の執務室へ到着する。アラン達に朝の挨拶をする為だ。
 扉の横にいた衛兵に軽くご挨拶をしてからノックをすると、「どうぞ」とヘルムートが応じてくれた。

「失礼致します」

 一声かけて、リーファは執務室へ入室する。

 会議前の下準備だろうか。アランとヘルムートは本棚とテーブルを行き来して、書類の収集中だった。

「アラン様、ヘルムート様。おはようございます。朝のご挨拶に参りました」
「ああ、おはようリーファ」

 スカートの裾を摘まんで首を垂れると、ヘルムートは朗らかに挨拶を返してくれる。

 ちなみに、アランからの挨拶の返しが来る事は滅多にない。あっても、『うるさい』だの『さっさと出て行け』だのと悪態をつく事が殆どだ。
 この為、ヘルムートからの返事を貰ったら一言断りを入れ、さっさと執務室を後にするのが日常なのだが───

「ああ、おはようリーファ。今日もお前の笑顔のように、晴れやかな良い天気だな」
「えっ」

 アランからまさかの返事が貰えて、リーファはぎょっとした。おまけに聞いた事がない賛辞も一緒だ。
 自分の王の異変に戸惑いつつ、リーファは恐る恐る顔を上げた。

 東側の本棚の側に立っていたアランは、目を細め、その口角を美しく吊り上げて艶やかに微笑んでいた。その立ち振る舞いは凛としていながら、物腰の柔らかさを忘れてはいない。

(誰、これ───?!)

 胸の内から駆け上がってきた違和感に、リーファは震え上がった。
 絵柄は正しいのに残ったパズルピースの形が合わないような、ミルクだと思って飲んだらコーヒーだったような、何とも言えないちぐはぐ感が認識を拒絶した。

 狼狽して後ずさっているリーファを見て、アラン”もどき”が怪訝な顔をしている。顎に手を当て、考え込んでいるようだ。

「む?言葉が足りないか?ならば………。
 ここからも、お前の良く通る声が届いていた。
 兵士達を元気づけ城の雰囲気を明るくしようとするその心意気、実に素晴らしい。
 甲斐甲斐しいお前を側に置けて、私は幸せだ」
「!?」

 にこやかなアラン”もどき”による口撃は、リーファに花びらの幻覚を見せつけた。アラン”もどき”を中心に、真っ赤なバラの花びらが散っていた。

 昔、診療所の同僚マイサが『真の貴族は花びらのオーラを纏うものですわっ』と言っていたのを思い出す。
 これが初対面の王子様だったなら『真の貴族すごーい』と感心したかもしれない。

 しかし、仏頂面で文句ばかりを零すアランが、まるでどこかの国の王子様のような甘い声音で、顔の造作ではありえない爽やかな笑顔を向けてくるのだ。
 違和感は異物だと認識を改め、リーファの全身に鳥肌が立った。それでも感情が抑えられず、ぶわ、と涙が溢れてしまう。

 リーファの異常事態に、アラン”もどき”もヘルムートも驚いていた。

「えっ、なっ?り、リーファ、どうしちゃったの?」

 このヘルムートにおかしな所は感じない。こちらも”もどき”だったらどうしよう、と思いつつ、リーファは涙を拭いながら心境を打ち明けた。

「へ、ヘルムートさまぁ………何か、アラン様が怖いんですがぁ…」
「やだなぁ、何言ってるんだ。昨日と変わらないだろう?」
「ええぇ…?」

 ヘルムートですら朗らかな笑みを浮かべてこんな事を言っている。当てになりそうもない。

 取り乱しながらも、リーファは何とか体が訴えている異常を分析し始めた。

(魔物が化けてる?それともヴェルナさんみたいな才の影響?
 残留思念を取り込んで人格が変わっちゃった可能性?
 それとも………まさか私に、問題が…?
 ストレスで、幻聴や幻覚が引き起こされる事があるっていうし…。
 一日部屋で大人しくしてた方がいいかなぁ…そもそも一日で治るものなのか…。
 とりあえず食事してから医務所に相談して───)

 リーファが先々の事を考えて顔を青くしていたら、そんな様子を眺めていたアラン”もどき”が何かに気が付いた。

「…待て、ヘルムート。リーファがおかしい」
「は?君まで何言って…」
「………まさか、戻ったのか…?記憶が…」

 おかしな事を言うアラン”もどき”が気になって顔を上げる。
 いつの間にか彼は、”もどき”からいつものぶっきらぼうなアランに戻っていた。

「記憶って………何の、事ですか………?」

 袖で涙を拭って訊ねると、ふたりは安堵した様子でリーファを見返していた。