小説
奇譚・その後日談───”王様のお買い物・1”
 とある日のラッフレナンド城。
 リーファは黙したまま、側女の部屋で独りテーブルに面と向かっている。

「──────」

 テーブルには、上質で真っ白な紙が広がっている。テーブルの天板はそこそこ広いが、紙はその天板全域にまで広げられていた。

 ソファに座らず絨毯の上に膝を立てているのは、そうしないと紙に書き込みがしづらいからだ。

 リーファは紙に張り付き、鉛筆で歪んだ線を描いていく。字ではなく、直線でもない。震えるように綴られる足の跡だ。

 彼女の視界には二つの光景が広がっていた。
 一つは側女の部屋のテーブルの上。もう一つは薄暗い洞穴の中だ。

 魔術の光を灯して、時には具現化させたコンパスを頼りに、その洞穴の中を彼女が───グリムリーパーのリーファが、進んでいる。

(ここで分岐が二つ。北東と西)

 グリムリーパーの視界の情報を元に、側女の部屋のリーファが紙の中に地図を記していく。

 既に三時間が経過しており、紙には夥しい数の分岐路が描かれていた。蜘蛛の巣の方がよほど芸術的だろう。右に左に、上に下に移動する鉛筆の道は、まるでリーファを弄ぶかのように難解な迷路を作らせている。

 グリムリーパーがどちらに行こうか悩み、魔術の光を指に這わせ分岐場所の壁に”32”と書いておいてから西の道へ行く。ラルジュ湖を抜けるなら、こちらの方が距離は短い。

 ラッフレナンド王家秘伝の脱出路の探索は、まだまだ時間がかかりそうだ。

 ◇◇◇

 夕刻に差し掛かってようやく地図を描き終えたリーファが、執務室の扉をノックして入る。

「た、只今、戻りました…」

 戻った、と言っても体はずっと側女の部屋で籠り切りだったのだが、まるで何日も城から離れていたような気分だ。
 朝食を食べてから取り掛かり、昼食をとるのも忘れて地図を描きこんでいたのだ。疲れが顔に出るのは当然だった。

「お、お納め、下さい」

 執務用の椅子に座っていたアランに、筒状に丸めた地図を手渡す。
 アランは、リーファの疲労困憊ぶりに顔をしかめた。

「あ、ああ。ご苦労だった」
「うわあ、頑張って描いたねえ」

 アランが地図を広げると、ヘルムートも覗き込んでくる。

 脱出路は湖の全域に及んでおり、地盤の問題もあったのかやや変則的な放射線状にルートが作られていた。

 当初は何も考えずに描きこんでいたリーファだったが、あまりにルートが重なる箇所が多かった為、最初からやり直し、分岐している壁に数字を書き込んで行く羽目になってしまった。

「これほどだったか…」

 脱出路の全景を眺め、アランが渋い顔をしている。

「先王はこれ全部把握してたのかな?」
「ないだろう。そうそう使う事のない道だ。せいぜい五つかそこらではないのか?」

 ヘルムートとアランの会話に、リーファが口を挟んだ。

「あ、あの。
 道は描きましたが、出口は封じてありましたので、実際通れるかは分かりません。だから…」

 アランが顔を上げ、リーファを見つめる。
 怒っているのではなく、責任を預かる者としての厳しい面持ちで、アランは静かに頷いた。

「ああ、分かっている。経路のチェックは、こちらで行っておこう」
「よろしく、お願いします…」

 リーファは力なく頭を下げた。

「お菓子を残してあるから、良かったら食べて。紅茶は冷めてしまったけれど」

 そう言ってヘルムートは執務室のテーブルを手で指した。そこにティーカップが一つと、モンブランの小皿が置かれていた。

 食事をまともに取っていなかったから、甘味を残してくれたのはありがたい。

「あ、ありがとうございますー」

 もう一度頭を下げ、リーファは吸い寄せられるようにソファに腰かけた。

 一口分のモンブランを口に含むと、栗の風味豊かな甘みに舌が蕩けそうになり、冷たくなった紅茶を啜ったら何故だか目が潤んだ。相当疲れたのだろう。

 そんなリーファを眺めていたヘルムートが、彼女に声をかけてきた。

「ところでリーファ。
 ルジェク=アダムチーク男爵って知ってる?」

 二口目のモンブランを食べようとしていた手が止まる。
 心当たりのある名に眉根を寄せ、小皿とフォークをテーブルへ置き、ヘルムートの方へ向き直った。

「え、ええ。お名前は分かりませんが、アダムチークさんという名は、聞いた事が」
「何で知ったか、教えてくれる?」

 リーファは発言を躊躇った。リーファの中では済んだ話だから、話す事に意味はないと思っているし。

 しかしその名前が出たという事は、何かあったのだろう。包み隠さずリーファは答えた。

「私の母方の伯母さんの縁で、そのアダムチークさんの家と縁談の話が昔あったんです。
『女の独り身では生活も苦しいだろう』と言われて。
 相手のお名前は…なんだったかな………オスカル…じゃなくて」

 地図を眺めながら、アランがぶっきらぼうに名を挙げた。

「オタカル」
「そう、そうです。そのオタカルさんとの。───え?」

 アランの言に戸惑っていると、ヘルムートがリーファを促してくる。

「いいよ。話を続けて」
「あ、は、はい。ええと…それでですね。
 その頃から診療所への就職が決まって、何とかやっていけそうだなって思ったので、縁談はお断りしたんです。
 伯母にあまり迷惑はかけられないなとは思ってましたし、グリムリーパーのお仕事も続けられませんから。
 なので、伯母にはお断りするよう話をして、それで終わってるはずなんですが…?」
「断ってるんだね」
「は、はい」

 頭だけ動く人形のように、リーファはコクコクと首を縦に振った。

 ヘルムートはアランと一度だけ顔を見合わせ、リーファに向き直って淡々と告げた。

「実は一時間前に、ルジェク=アダムチーク男爵が来城してね。
『こちらにリーファ=プラウズという、我が息子オタカルの婚約者がいると聞いた』って、相談があったんだ」

 リーファの思考が、ぷつっと停止した。
 頭が真っ白に、何も考えられず、信じられないという目でヘルムートを見つめ返してしまう。

「は?え………ちょ。なんで………ええ??」

 全く身に覚えのない話に取り乱したリーファを、ヘルムートは両手を向けて宥めた。

「まあまあ落ち着いて聞いて。もう済んだ話だから。
 …今回の魂騒動で、ラッフレナンドを救った者の名前は民には伏せておけたんだけど、貴族には色んな形で話が伝わってしまったんだ。
『王の側女リーファ=プラウズという女性が除霊をしてみせた』ってね。
 で、この話がアダムチーク男爵のもとにも届いてね。
 縁談を進めていたはずの女性と同じ名前だったから、気になったそうなんだ」
「で、でも、縁談はお断りして───」
「アダムチーク男爵は、縁談を進める前提でプラウズ家に支度金を渡していたんだ。
 でもプラウズ家は『後日リーファを連れて行く』と言ったっきり、行方を晦ませたみたいでね。
 だから縁談が断られた事も知らなかったし、支度金はリーファが抱え込んでいると思っていたそうだよ」
「───何、ですか。それ………ええー………」

 顔が青くなっていくのが感覚で分かる。眩暈を起こしそうになって、視界がぐらぐら揺らいでいる。
 言わずもがな、支度金などというものは全く貰っていない。断ったのだから当たり前だ。