小説
刻まれたその名は
 ソファに場所を移し、リーファによる出産の仕組みについての講義が始まった。
 女性の生理の周期、妊娠の兆候、妊娠中に気を付けなければならない事、そして出産時期。

 ざっと話を進めている途中で、ワゴンを押してメイド長シェリーが入室してきた。ワゴンにはティーセットを載せている。まだ午前中なので菓子の類はない。

 今まで話していた事を説明すると、テーブルに紅茶を配したシェリーが露骨に蔑むような溜息を吐いて呆れ果てた。

「嘆かわしい…このような事、知っていて当たり前でしょうに」
「そう言われてもなあ…」
「経験がないのだから知らなくて当然だろうが」

 ソファに並んで腰かけているヘルムートとアランが、交互に口答えをしてくる。男性なら尚の事自覚はないのかもしれない。

「学校でも、ざっくりとしか教えませんからね…。
 私も詳しくは、診療所の手伝いをしてから覚えましたし…」
「わたしは、家で子作り・妊娠・出産のくだりは教わりましたが…。
 さすがに体位を全て覚えさせられたのはどうかとは思いましたわ。
 …教育環境によっては、知識に差があるのかもしれませんわね」

 品の良いシェリーからしれっと凄い発言が出て、リーファは耳を疑った。何とか平静を保ちながら、良い方向に解釈してみる。

「き、貴族の方々は家を継がせる事が大事でしょうから、そこの勉強は不可欠でしょうね…」
「それなら尚の事、王家の者が知らないというのは解せませんが」

 シェリーが細目で王家の血筋二名に視線を送るが、仲良く揃ってそっぽを向いた。

(…シェリーさん………強い…)

 何となく気にはなっていたが、最近特にアラン達に対するシェリーの扱いの雑さが目立つようになった気がする。三人は幼馴染だというから、子供の頃はこういう飾らない関係だったのかもしれない。

「ま、まあ、周りのサポートが前提なんだと思いますよ。
 王様は、そこの所詳しくなくても問題ありませんし」
「そーだそーだ」
「むしろお前らがサポートしろ」
「お黙りなさい」

 ぴしゃりとシェリーが叱りつけると、またふたりは明後日の方を見やって誤魔化した。

 三人の力関係が分かったような気がしながら、リーファは苦笑いで話を続けた。

「な、何にせよ、今は最終月経の一日目から五週間ほど経ってまして…。
 生理が始まったら即妊娠するものではないのですが、何せいつ身籠ったかまではさすがに分からないので、この日を基準に計算する事が多いみたいですね」

 シェリーがリーファへと視線を移し、訊ねてきた。

「つわりなどの症状は如何ですか?」
「今のところはまだ…。
 でも最近、お腹の下が張るような感じがしていて…これからなのかもしれません。
 …まだ、ただの生理不順の可能性もあるんですけど…」
「初期のタイミングで、妊娠しているかどうかを知る方法はありませんものね…。
 もう少し時間が経てば、匂いに敏感になったりで気付く事もあるのでしょうが…」
「今度リャナに相談してみます。初期でも分かるものがあるかもしれませんので」
「確かに…あの出張販売店なら、何でもありそうですわね………はあ」

 リャナが持ち込む魔物側の製品は、人間社会で流通しているものよりも三歩どころか十歩以上先に進んでいるものが多い。
 写真を撮る機械は個人で持ち歩ける程普及しているというし、魔力で冷やす保冷庫、遠方の人と文字をやりとりするノート、傷を見えなくさせる軟膏、若返りの薬などもあるというから、妊娠に関わる物があってもおかしくはない。

 シェリーの溜息は、リャナの出入りを快く思っていない、という意味ではないらしい。
 何故魔物社会の進歩は凄まじいのか。何故人間社会は遅れているのか。そしてここまで文明的に格差が開いていながら、何故魔物側の侵攻が緩いのか。そういった部分が不思議でならないのだとか。

「それでさ…」
「我々は何をしたらいい?」

 すっかり蚊帳の外に置かれていたヘルムートとアランが、少し拗ねた様子で訊ねてきた。
 リーファが口を開きかけたが、先にシェリーが告げる。

「陛下は当面の間、性行為は禁止です。
 安定期に入るまでは、リーファ様の負担になる事はいけません」
「要は胎に触れるなというのだろう。グリムリーパーなら問題はないな?」
「側女の部屋でするのは駄目だよ?アラン」
「監獄はこの時期寒いので、リーファ様を連れて行くのは推奨いたしかねます」
「ち」

 シェリーとヘルムートに止められてしまい、アランは心底嫌そうに吐き捨てる。
 リーファは宥めるように言い足した。

「ま、まあ、下腹部に負担がなければいいので、それ以外の方法で我慢して下さい…」
「あまり夜更かしはしないようにお願いしますね」
「はい」

 シェリーからの助言に、リーファは素直に頷いた。

「それと…」
「ああ、見合いをどうするか、だな」

 話を切り出したヘルムートに、アランは神妙に相槌を打つ。

「出来るだけ早い方がいいよね。
 十四日後はさすがに無理にしても、来月の中旬あたりで予定を組みたいな」
「年始行事の後か」
「わたしは…安定期に入ってからの方が良いと思います。
 リーファ様には、見合い期間に気疲れして頂きたくありませんもの…」
「…お前はどうしたい?リーファ」

 席について呑気に紅茶を飲みつつ、『順調に進みそうで良かったー』と安堵をしていたものだから、アランの言葉に反応が遅れてしまった。

 ふと見やると、三人の視線がこちらに集まってきていた。皆一様に真剣な眼差しをリーファに向けている。

「え?わ、私ですか?」
「言ってみろ」

 アランに問われ、リーファは少し戸惑う。

 側女は国の決定に関与する事は出来ない。リーファが意見する事は過ぎた行いではないかと思ったのだが、アランが訊ねる以上答えない訳にはいかない。

「そ、そうですね…私は、早い方がいいかなって思います。
 正妃様が決まってすぐ出産だと、正妃様が色々困ってしまうんじゃないかな、と…」

 言っていて、何ともいい加減な意見だと我ながら呆れてしまう。国の事情を全く頭に入れていない考え方だ。妊娠の自覚症状がまだないのも、こんな考えの一因になっているのかもしれない。

 居たたまれない気持ちで身を縮めていると、シェリーは小さく頷いた。

「御子様は当面の間、乳母に預ける事になりますので、そう正妃様のお手間にはならないと思いますわ。
 しかし、気構えはして頂かないと困りますわね…。
 側女の制度と王の御子様の扱いは、城に入らないと知りえない事でしょうから…」
「王の子の生誕日は、正妃、側女共に伏せる取り決めになっている。
 婚姻の儀式と出産日が前後するのは気にしなくてもいいから、とりあえずぱぱっと正妃を決めちゃって、折を見て婚姻の儀式をしてもいいんだよね。
 正妃の教育時間は、多いに越した事はないだろうからさ」

 と、ヘルムートも相槌を打つ。

「では都合の良い時期を見計らって、五人まとめて見合いをするか………気は、進まないが」

 三人を順番に見やってぼやいたアランの表情は渋々、といった所だ。先程は勢いで言ってしまったのかもしれない。急に日程が固まりだした為、少し戸惑っているのが見て取れた。

 しかし、時間は刻一刻と迫っている。
 リーファが妊娠していようがいまいが、いつかは正妃を選ばなければならない。今回、たまたまそのきっかけが出来ただけの話だ。

「正妃に相応しい、素敵な女性を選んで下さいね」
「………努力はしてやる」

 リーファの言葉に、アランはまた一つ大きな溜息を零した。