小説
刻まれたその名は
 アラン達は廊下を抜け、3階南側にある中庭へと向かった。

 中庭とは言うが、主に本城から正面の城壁門を監視する為の通り道として使われている。
 しかし通り道としては中途半端に広い為、一部を生垣で囲んで花を活け、ガーデンテーブルとチェアを設置しているのだ。
 兵は頻繁に通るし、のんびりティーパーティーをするのならば庭園にも東屋があるから、最近は使われている所を見た事がない。冬の時期なら尚更だ。

 中庭へのガラス戸を開けると、吐く息が白く変わっていった。温まっていた体は、寒風によって徐々に熱を奪われる。よく晴れてはいるが、早々に城の中へ戻った方が良さそうだ。

 エスコートして中庭の通路を歩く中、白い息と共にペトロネラがぼやいた。

「…陛下は、あの側女の方に伺いを立てるのですね」

 声を低くして言うものだから、なんとなく気になってペトロネラを見やる。つい先程あんなに品良く笑っていたのに、今の彼女は面白くなさそうだ。

(伺い………そんな風に見えたのか)

 リーファとヘルムートの戸惑う顔を思い出し、いつもの癖でリーファにも訊ねた行為が失敗だったと今更ながら思い知らされる。

「…伺いを立てた様に見えたかね?
 あれは庶民だから、ここのルールをまだ理解出来ていない。
 曲がりなりにも私の側仕えなのだから、あれに落ち度があれば罰をくれてやらねばならないだろう。
 今回もまた、この場においてどう返すのが正しいか、試しただけの事だよ」
「………そういう事でございますのね。
 陛下も、側仕えの教育には苦労なさっているのですね」

 結構適当に言い訳したのだが、ペトロネラはとりあえず納得してくれたようだ。

 中庭から城壁門を見下ろすと、平時とさほど変わらない賑わいを見せていた。
 見合いの段取りもあるからメイド達は慌ただしくしているが、兵士は隊列を成していつも通り巡回しているし、1階の役場に用のある民の行き来はちらほら見られる。

「…わたくし、あの方の在り方は好ましくありませんわ」

 人の流れを眺めながら、ペトロネラは不満げに呟いた。
 リーファがケチをつけられたような気がして、アランは感情を押し潰して訊ねた。

「…それは、あの娘自身の事かな?それとも側女の制度の事かな?」
「もちろん、制度の事でございます。
 正妃以外に側女にも子を産ませるなど、正妃にも側女にも失礼だと思いますの」
「…これは意外だ。
 シュリットバイゼは一夫多妻を認めていると聞いていたから、そちらの理解もあるかと思ったのだが」

 大好きなシュリットバイゼの事だ。そこの所も彼女は知っているのだろう。
 ふふ、と笑って茶化したら、ペトロネラは頬を小さく膨らまして訴えた。

「あちらの文化はとても良いものだと思っておりますが、それはそれ、ですわ。
 だって、一夫多妻を認めるのなら、一妻多夫も認めなければならないではないですか。
 陛下は、好いた女性が他の男性を何人も囲っていたらどう思いますの?」

 何とも感情的な意見だと、アランは目を細めた。

 ───土地によって一夫多妻が認められる原因の多くが、経済的な問題だ。
 女性は金銭を多く稼げる機会がそう多くはなく、夫婦となった場合男性の経済面を頼る事が多い。
 加えて、戦争の徴兵などによりその地域の男性人口が女性人口を下回る事もままある。
 一夫一妻にしていたら、女性が余ってしまうのだ。

 シュリットバイゼの場合、その立地条件の良さもあって他国からの侵攻を度々受けていた経緯があり、男女比が傾いた時期があったという。一夫多妻の制度はそこから来ているのだろう。

 ラッフレナンド王家が側女を抱えている理由とは別のものだ。『一夫多妻では女性が可哀想』などという気持ちの問題で済む話ではない。

 だがもし。もし、感情論で応えるとするのなら───

「…難しい問題だ。
 ラッフレナンド王家は昔から不妊の呪いを抱えていたものだから、側女を持つ事は何ら不思議とは思わなかったが…。
 しかし───そうだな。
 もし同じ立場に立たされたとしたら…心穏やかではいられないのかもしれない」

 同意を得られたと思ったのか、途端にペトロネラは口角を吊り上げて夏の花のように華やかに微笑んだ。

「でしょう?
 その不妊の呪いとやらも解決されたという話ですし。
 すぐに、などと野暮な事は申しませんが、是非御一考頂ければと思いますわ」

 すっかり上機嫌になったペトロネラは、鼻歌まじりに中庭の廊下を歩いて行ってしまう。

 その優雅な後ろ姿をゆっくり追いながら、アランは独り考え込む。

(呪いは解け、側女の制度は不要のものとなった。
 だが…側女の制度を廃したら、リーファが城から要らなくなってしまう)

 約一年。諸々の問題を解決し諸々の騒動も引き起こした女が、制度の撤廃を告げただけでいなくなってしまうなど。

(…ぞっとする)

 中庭の出口で手を振っているペトロネラを見て、アランは長く息を吐いた。
 真っ白な吐息が、自分の視界を覆って女の姿をかき消そうとした。