小説
刻まれたその名は
 こんなにも気が休まらない見合いの期間は初めてかもしれない───と、ヘルムートは思っていた。
 集団で見合いというのは、アランの代では初めてだったのだから仕方はないが。

 正妃候補は比較的大人しくしている。元々勝手に動かないようスケジュールを組んでいるので、彼女らは表立って動く事はそうないだろう。
 問題は、側仕えの方だ。
 彼女らは主人のライバル同士という立場だが、同時に協力者同士でもある。

 まずはアランの守備範囲に収まりそうにない、最年少の正妃候補を仲間外れにした。側仕え同士の付き合いさえしなければ、情報を共有出来ずに平然と出し抜けると判断したのだろう。

 そして次はリーファだ。昼間の珍事は、思い出すだけで頭が痛くなる。
 アランの趣味や好みの体型の話くらいなら可愛いものだと思ったが、好みの体位、好きな大人の玩具、アランの体に関する猥談など、えぐい会話が全部”耳”に入ってきてしまったのだ。

(ガールズトークの酷さはシェリーから聞いてたけど…これ程とはなぁ…)

 側女の部屋の荒れようも、目を覆いたくなってしまった。初日であの図々しさだ。あと二日もこんな事が続くと思うと、何とも頭が痛い。

 とは言え、ようやく一日目が終わり、ペトロネラ=グライスナーに対するアランの評価がほぼ固まったのは喜ばしい事だ。
『可もなく不可もない』───とは言っていたが、一人目の評価などそんなものだし、他の候補も見ればまた評価も変わっていくだろう。

 考え事をしていたら腹が、ぐう、と鳴った。
 側仕えの行動を注視したり、アランの言動に”耳”を澄ましていたものだから、すっかり食事をとる機会がなかったのだ。

 昼食兼夕食を求めて食堂へ続く廊下を歩いていると、2階から階段を下りてきた見慣れた影に目を留めた。アランだ。

「やあ、陛下」

 嫌味も込めて声をかけると、アランは不機嫌に顔を歪めてヘルムートを睨んできた。
 肩を並べて、食堂へと繋がる廊下を歩いて行く。

「お前は今食事か」
「まあ、そんなところ。陛下も?」
「その言い方はやめろ。
 …夕食はあまり食べられなかったからな。寝るまでに何か腹を満たせればと」

 アランは、はあ、と溜息を漏らす。
 ヘルムートも従者として、アランと正妃候補の夕食会についてはいたが、候補達からしつこい質問攻めに遭っていたアランはあまり食事を取れずにいたようだった。

「そのまま寝ちゃってもいいんだよ?
 どうせ今日はリーファといられないんだからさ」
「…王が候補に気を遣うなど、意味が分からんのだがな。
 別に普通に過ごしていても良いだろうに」
「変な所で王の品位が損なわれないよう、配慮しようって話じゃないか。
 ───あ、そういえば。あれ良くないよ。リーファに伺い立てたの」
「ああ、ペトロネラにも言われた。
 そんなつもりはなかったのだが…やはりそう見えたのか…」

 はあ、とまたしてもアランの唇から溜息が漏れる。思ったよりも迂闊な発言だったと後悔していたようだ。

 本城を抜け、石畳を隔てて隣り合っている食堂の扉を開ける。

 食堂は昼に比べたら閑散としていた。夜勤の兵ばかりで、残業をしているらしい役人は片手で数える程度だ。厨房も繁忙期を過ぎた為かシェフや給仕の数は少ないようだ。

「…ん?」

 アランが顔を上げ、厨房の一角を見やる。
 小柄なエプロン姿の女が三人、固まっていたのだ。

 一人はリーファだった。マスクで口元を覆い腕をまくっている。昼の一件以来”耳”で聞いていただけだったが、今の所調子は良さそうだ。
 リーファの側にいる小柄な少女は今回の正妃候補、最年少のエレオノーラ=クラテンシュタインだ。もう一人は彼女の側仕えだろう。

 エレオノーラと側仕えは作業台に黄色い生地を置き、小さな金具を押し当てたり、包丁で切り分けたりしている。リーファは厨房の奥にある窯の様子を見ているようだ。

「アランを喜ばせようとクッキーを焼いてるんだってさ」

 ヘルムートは、”耳”を介して聞いていた彼女達の他愛ない会話を、アランに教えてあげる。

 彼女達は、まだアランに気付いていないようだ。アランは彼女らの視界に入らないよう、食堂の陰に移動した。

「私を菓子で釣ろうとはな………正妃に必要な要素ではないのだが」
「じゃあ、ここで止めておく?今ならまだ間に合うんじゃない?」
「………………」

 ちょっとだけ意地の悪い提案をすると、アランが静かに黙り込んだ。

 確かに菓子作りは正妃に必要なものではない。
 正妃に相応しい要素とは、国を想い、見識を備え、社交性に富んだ人柄であるべきだろう。
 ───だが。

「ん?アラン?」

 気が付けば踵を返して食堂を出ようとするアランを、ヘルムートが驚きながら呼び止める。
 食堂の扉の側でアランは振り返り、口の端を吊り上げて笑って見せた。

「エレオノーラとの見合いは明日の午後だろう?
 半日くらい腹を空かせた方が菓子は美味いものだ」

 そう言って、アランは食堂を出て行った。

 心なしか少し嬉しそうに本城へと消えていったアランを見送って、ヘルムートは思う。

 エレオノーラはまだ幼いが、王妃という代えがたい座を取り合う他の候補と違い、アランに対する恋慕の情は誰よりも強い、とヘルムートはモノクル越しにそう見ている。
 勿論、愛や恋などで執政を補佐出来るのなら苦労など何もないのだが。

(アランには、出来れば好きになった人と一緒になってもらいたいんだよねえ…)

 出来れば想い合った人と。出来れば幸せな人生を。

 親心というか兄弟心というか。ヘルムートがそんな事をしんみり考えながら厨房に向き直ると、窯の側にいたリーファと目が合ってしまった。
 彼女が嬉しそうにゆっくりと頷いているのを見るに、どうやらアランが来た事は気が付いていたようだった。