小説
刻まれたその名は
 ラッフレナンドでの務めを終了したザハリアーシュは、ラダマスの居城へ帰還。仔細を包み隠さずラダマスに報告してくれた。

「なるほど…分かったよ。お疲れ様、ザハリアーシュ」

 玉座に座って話を聞いたラダマスは、ザハリアーシュに優しい笑顔で応じる。
 しかしゆっくりと腰を上げる頃には、その顔に喜怒哀楽の一切が抜け落ちてしまった。

 広間を出て行こうとするラダマスに、ザハリアーシュが声をかけてくる。

「父よ、何処へ?」
「決まっているだろう。ラッフレナンドさ」
「何故?」

 ラダマスの挙動を、ザハリアーシュは理解出来なかったようだった。
 だがそれは、ラダマスにも同じ事が言えた。何の落ち度もないザハリアーシュに、つい眉をひそめた顔を向けてしまう。

「…言わないと分からないかい?君にも、記憶は継承されているはずなのに」
「ああ、分からぬ。父よ、説明を求める」

 ザハリアーシュの真っ直ぐな目に見つめられ、ラダマスは渋い顔をした。しかしこの融通の利かなさは、側にいるラダマスが一番理解していた。
 仕方なく、幼い我が子に教えてあげる。

「あの土地に住む人間を根絶やしにする為だよ。
 あの国は、グリムリーパーを蔑ろにし過ぎた。
 三百年の月日を経て人間の種類は変われども、その本質は何も変わっちゃいない。
 …利己的で醜悪。生きている価値もない者達は、死こそが救済だ」

 ラダマスの真紅の瞳がゆらりと揺れて、奥の炎が過去の惨事を脳裏に映す。

 ───今、ラッフレナンドと呼ばれているあの土地は、三百年以上昔は人間の魔術師達の巣窟だった。

 グリムリーパーは豊富な魔力を備えた種族だ。
 そこに目を付けた魔術師達は、あの手この手でグリムリーパーを捕縛し、大規模魔術の素材として”消費”して行った。

 そうした外道行為をラダマスが看過出来るはずもなく、一時期あの土地全域の人間が粛清対象の候補に挙がった。

 その後、あの土地で人間達が勝手に起こした革命により、魔術師達は自滅。
 ラダマスが手を下す間もなく、問題は解消したかに思えたが───再び、グリムリーパーが傷つけられる事態が起こってしまった。

「リーファは、私に『仕事に戻る』と言った。故に、私は務めを託した。
 あの土地の務めは、リーファがする事だ」

 ザハリアーシュは、ラダマスの説明をうまく理解出来なかったようだ。引き合いにした三百年前の出来事が、今とどう結びつくのか分からないらしい。

 我が子の理解の無さに、ラダマスの頭に血が上ってしまった。くっと目を剥いて、怒りの矛先を彼に向けてしまう。

「それが間違いだったんだ!
 元々、わたしはエセルバートに任せていた。
 情を抱えず生まれたあの子なら、あの土地に振り回されずに務めを為せると思っていた。
 …なのにあの子は人間と番になり、娘のリーファに務めを押し付けてしまった。勝手にだ!」

 怒鳴られたザハリアーシュは、瞬きを一つしただけで驚きもしなかった。只々、ラダマスを見つめている。

 一方で、我が子に八つ当たりしてしまった罪悪感が、ラダマスを一気に自責に追い込んだ。感情の空回りを自覚して、がっくりと肩を落とす。

「あの土地は…きっと呪われているんだ。
 グリムリーパーを惹きつけ、情を与え、傷つけるような…。
 わたし達にも認識出来ないような、解放出来ないような、おぞましい何かが渦巻いているんだ…!」

 グリムリーパーに認識出来ない呪いなどあるはずはない、と思いたかった。
 でもあの土地でグリムリーパーに起こった不可解な出来事は、エセルバートだけではないのだ。

「…そのようなものは、感じなかった」
「だから、それは───」
「私はあの夜、悲嘆に暮れた人間達を見た」

 どこか片言でどこか尊大に、ザハリアーシュはそう言い張った。

 ラダマスは悔しさに歪んだ顔を上げ、まだ生まれて間もない我が子を凝視する。こんなに強気な発言をするのは珍しい。

「リーファばかりではない。
 鎧を着た者、白衣を着た者、黒衣を着た者…。
 湖の畔の白亜は、嘆きで満ち足りていた」

 ザハリアーシュの表情に感情らしきものはない。見ようによっては冷酷とも見える冷めた眼差しだった。
 しかしその言葉には、強い熱が確かに帯びていた。

「弔いの涙は、魂の癒し。
 あの者達の涙を受けた魂は、とても愛されたのだ。
 人間かグリムリーパーか、それは関係ない」

 互いの主張は、一見対立していないように思えた。
 ラダマスは三百年前の話を引き合いにして、ザハリアーシュは城で見たものを言っている。
 だが見方を変えれば、ザハリアーシュが何を伝えたいのかが分かる。

(ああ…ザハリアーシュ。
 君は、リーファを人間として受け止めているのだね。
 わたしが、リーファをグリムリーパーとして見ているように)

 ラダマスは、リーファをグリムリーパーと見ているから、同胞が傷つく様に憤慨していた。
 だがザハリアーシュは、リーファを人間として扱っている。リーファを、ザハリアーシュとは違う別個の生き物として認めている。
 そうした捉え方は、ある意味グリムリーパーとして正しい在り方と言えた。

 ───元々グリムリーパーは、たった一人の種族だったと言われている。
 たった一人で世界を巡り、救済を待つ魂達を救って行ったのだ。

 グリムリーパーにとって、全ての生き物は平等であった。
 家族、友人、仲間、そういった者は存在せず、常に孤高で孤独。
 今のように他種族に寄り添う事もなく、務めを終えればまた次の土地へ。そんな日々だったという。

 そんなグリムリーパーが、同胞を生み出していった理由は伝わっていない。
 魂の救済を重荷に感じてしまったのか、孤独を認め苛まれてしまったのか。
 いずれにしても、増えた同胞の中に他種族に寄り添う者達が現れ、感情を獲得していく者も増えて行った。

 こうした経緯を考えれば、ザハリアーシュのような感情を持たない者は、”先祖返り”していると言えなくもないが───

「…庇っているのかい?ラッフレナンドの者達を」
「分からぬ。私はただ、見たものを伝えた」

 顔色を変えぬまま首を横に振るザハリアーシュを、ラダマスは複雑な気持ちで見てしまう。

(ザハリアーシュ…。
 君をここまで饒舌にさせるのは、リーファの為なのかい?
 それとも…あの土地に行ったからなのかい?)

 あの土地の所為だとしたら、恐ろしい事この上ない。
 しかし、リーファを想い人間としての生き方を尊重しているとしたら、それは喜ばしい事だった。

 腕を組んでしばし唸り声をあげたラダマスだったが、やがて諦めの方向へ気持ちが傾いてしまった。
 胎の子の死を嘆く程懇意にしている者達まで殺してしまったら、リーファはラダマスと二度と口を利いてくれなくなるかもしれない。

「…いいだろう。
 リーファとザハリアーシュに免じて、今は矛を収めるとしよう」
「………矛?サイスではないのか」
「う、ん。ええっと、慣用句というものがあってだね…。
 ああ、うん。君にはこういう言葉はまだ早かったかなぁ…」

 寛大な判断をしたように言ったつもりだったが、どうにも締まらずにラダマスはちょっとだけしょげてしまった。

「父よ、教えてほしい」

 偉大な父を演じるにはどうしたら良いか考えていたら、ザハリアーシュから問いかけが飛んできた。

「うん?慣用句をかい?」
「…リーファは、死ぬのか?」

 いつかは起こるであろう”死”を恐怖するかのような物言いに、ラダマスは思わず眉をひそめた。
 これがグリムリーパーでなければ、幼子の漠然とした不安と思えるが───

「私が見る死に際は、死亡時期と場所の文字のみ。
 そして、リーファと黒衣の者の死に際はほぼ同じだった。
 …あの娘に何が起こるのか?」

 どうやらザハリアーシュは、リーファ達の死に際を見てしまったらしい。先程から言っていた”黒衣の者”とは、アランの事なのだろう。

 ラダマスも、二人で来た際と記憶喪失の際にそれぞれ確認していた。
 この短期間で死に際が大きく変わってしまったのには驚いたが、それ程の心境の変化が二人にあったのだと推測された。

 恐らくリーファは、自分の死期を認識していない。グリムリーパーであっても、自分の死に際は見られないのだから当然だ。
 彼らの変化が、互いの死期を早めてしまったのは残念でならないが。

「…さて、どうだろうか。
 こればかりは、あの子が決める事だろうからね。
 我々グリムリーパーが首を突っ込む事ではないと思うよ」

 ラダマスは踵を返し、玉座に腰掛ける。
 玉座から見たザハリアーシュは、眉を少しだけ寄せて不満そうだ。ラダマスのやる気の無さを、納得出来ていないらしい。

「わたしがサイスをあの土地に振り下ろさなかった事が、リーファにとって幸となるか不幸となるか…。
 ザハリアーシュ。君も見守ってやりなさい」

 リーファを気に掛けるようになったザハリアーシュを見上げ、ラダマスは我が子の成長に思わず微笑んでしまった。
- END -

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