小説
あなたに贈る「×××××」
 こんな情けない話、誰にも打ち明けられなかった。ヘルムートやシェリーにだって、馬鹿にされると分かりきっていたから話さなかった。

 リーファに話すつもりもなかったが、こうして思い詰める原因を作ってしまった以上、話さない訳にはいかなかった。
 たとえどんな暴言が飛んで来ようとも。

 だがリーファからは、意外な反応が帰ってきた。

「………私は、アラン様に喜んでもらえるようにしたいなって思います」

 そう言われるとは思わず、惚けた顔をリーファに向けてしまった。
 真っ直ぐとアランを見上げる彼女の表情に、軽蔑や幻滅の感情はない。

「アラン様の、お母様の代わりにはならないかもしれませんが…。
 アラン様が好きな香を焚いて、アラン様が気に入った物を飾って。
 もしそれでも嫌というなら、思い切って部屋を変えてしまいましょう。
 いっそその方が、気が楽かもしれません」

 はにかむ彼女を見下ろし、アランは困惑と共に訊ねた。

「…幻滅は、しないのだな」
「こういうのって、年齢も性別も関係ないらしいので。私も、家に帰るとほっとしますから。ね?」

 何事もなかったかのようににこにこしているリーファを眺めていると、アランの胸の内から毒気が抜けていく。

(私は一体何を悩んでいたんだ…)

 リーファの緩い表情を見ていると、今まで何故部屋に入る事を躊躇っていたのか思い出せなくなる。
 彼女が来てから今の今まで、産みの親の影を追ってあの部屋に入った事がどれだけあっただろうか。
 彼女が不在の時もあの部屋に入り浸っていたのは、産みの親に浸っていた訳ではなかったはずだ。

「ふ、ふふ………く…ふ………ふっふっふ………はっはっは───」

 何もかもが馬鹿らしくなって、自然と笑いが零れていった。
 顔を押さえて急に笑い出すものだから、リーファが怪訝に見上げている。

「あのう…アラン、様?」

 溢れてくる笑いを必死に堪えて、アランは首を横に振ってリーファに告げた。

「…いや、いい。部屋替えは不要だ」
「え、でも」
「”乙女”を…絵画を、直してくれたのだろう?
 あれは彼女との由縁はないが、あの部屋にあった大切な思い出だ。
 あれだけは、あの部屋に残しておきたい───お前と一緒に」
「ああ」

 すっかり忘れていたのだろう。リーファが今思い出したと言わんばかりに相槌を打ち、そしてしょげるように頭を下げた。

「すみません…。
 もっと早く、私が術の仕組みに気が付いていれば、もっと思い出を残してあげられたんですが…」
「謝る理由がどこにある。私の中では、あの絵画はもう失われたものだった。それを再び蘇らせた功績は大きい。
 …そして、これ以上は強欲というものだ」

 部屋にあの絵画があり、そして何よりもリーファがいる───アランにとって、それだけで十分だった。

「ありがとう、リーファ」

 想いは、自然と口から零れていた。
 距離を置いていたアランを待ち案じてくれた詫びの気持ちと、大事にしていた絵画を修復してくれた感謝の気持ち。
 それらをひっくるめた想いが、この一言に凝縮されていた。

 しかし、この感情を向けたはずのリーファの反応は薄かった。
 鳩が豆鉄砲を食ったような顔のまま動かなくなってしまったリーファに、アランは次第に不快感を露わにした。

「なんだ、その顔は」
「…アラン様にお礼を言われるのは初めてのような気がして…。
 アラン様も、ちゃんと『ありがとう』って言える人なんだなって…」

 感慨深げに溜息を零したリーファを見下ろし、アランはちょっとムッとした。
 リーファの反応は、素行の悪い子供が急に良い事をやりだして呆気に取られている親のそれに近い。
 諸手を挙げて喜ぶならまだしも、懐疑の感情を持つなど不敬にも程がある。

「…そんなはずはないだろう。品行方正、才色兼備を地で行く私だぞ?
 特に何があるわけでもないお前にも感謝の気持ちを常時投げかけているというに、肝心のお前が言葉を聞いた事がないだの。ありえん。
 ───こうなったら思い出すまで、構い倒してくれる」
「も、もう何でそうなるんですか。
 ごめんなさっ………ゆるっ…おもい、思い出しますからっ………あははっ」

 アランは口の端を歪に吊り上げ、リーファの腕を押さえつけて押し倒した。もう一方の手と唇で、リーファの体に触れていく。
 耳、首、脇、腰、背中と、最近触っていなかったリーファの体は敏感に反応して、ケラケラと笑っている。

「ひゃんっ、───んんっ、───あ、───」

 大して時間もかからず、リーファは息荒く喘ぎ始める。
 少し撫でただけで過敏に反応してしまうはしたない姿に興が乗って、アランは満足そうに嗤いパジャマを脱ぎ捨てた。
 上半身を露わにしたアランを見上げてリーファはぎょっと身を竦ませたが、気にせず彼女に覆いかぶさる。

「お気に召すまま、望むままにしていいのだろう?」

 先の発言を後悔しているのか、耳元への囁きでリーファが顔を真っ赤に染めている。
 だが、押さえ込まれて撫で回されて、リーファもそれなりに考えているのだろう。
 もっと、ずっと、どこまでも、触って欲しいと。

 そこそこ時間をかけて、リーファが目を逸らし小さく頷いた。

「───、
 ──────、
 ─────────はい…」
「いい返事だ」

 満足の行く返答を、アランは噛みつくようなキスで返した。

 舌を絡み合わせたキスに、リーファが艶めかしい吐息を漏らす。欲情を刺激するように、細い指先がアランの背中に伸びてきて這いまわる。

 何を競う意味があるのか、急く必要があるのか、と自嘲しながら、アランも負けじとリーファのパジャマの下に指を這わせた。腹から胸へ、そして背中へ。リーファの善がる場所を、丹念に愛でて行く。

 その内に気持ちが堪えきれなくなったのか、リーファは自分でパジャマのボタンを外していった。キャミソールを脱ぎ、アランの手を、肌を、受け入れようとする。

 みしっ───

 家全体が軋むような嫌な音がしたのは、その時だった。

「…え?」
「なんだ?」

 家の様子がおかしくなっている事にようやく気が付く。
 風がある訳でもないのに、寝室のガラス窓がガタガタと揺れだす。扉もばたんばたんと開閉を繰り返し、照明も明滅をしている。

「家の外が…?!」

 リーファの驚いた声で窓を見やると、夜にも関わらず家の外が真っ白に光り輝いていた。あまりの眩しさに目を細めるしかなく、手探りでリーファを抱き寄せる。

 バタタタタタタンッ───と、寝室の窓が一斉に開く音と共に、アランの意識が途切れた。

 ◇◇◇

 気が付けば、ふたりは側女の部屋の床に倒れ込んでいた。
 光に包まれた痕跡もなく、部屋の中は夜の闇に覆われている。

「アラン様…」

 見下ろせば、抱き寄せていたリーファがクッションの上でぼんやりとアランを見上げていた。
 着ている服はパジャマではなく、城で支給されているワンピースだ。ついでに言えば、自分の格好も玩具の家に入る前のものだった。

(何もかも、夢の中での出来事だったのか…?)

 呆然とそんな事を考えていると、リーファがのろのろと体を起こした。

「戻ってきたんですか…?」
「そう、らしい」

 辺りを見回し、脱出した拍子にひっくり返ったらしい玩具の家を見つけた。

 また吸い込まれやしないかと触れるのを躊躇ったが、玩具からは特に何の反応もない。屋根についていた旗を外してかざすと、この暗がりで何色かまでは分からないが、アランとリーファの名の周囲に色がついている事だけは分かった。

「ふふ」

 リーファは家を動かし、底面に貼りついていたシールを剥がして笑っていた。

「日記じゃなかったんですね。こんなに単純だったなんて…」

 そう言いながら、アランにもシールの文字を見せてくる。
 あまり上手とは言えないのたくり文字を眺め、アランは大きく溜息を吐いた。

「…そういえば、あの小娘に言われていたな…お前に言うように、と」

 シールには、”『ありがとう』と言わないと出られない家”と書いてあった。