小説
それは罰と呼ぶには程遠く
 それから一ヶ月程経過した、ある日の午前の側女の部屋。

 ───コンコンッ。

 公文書館で借りたラッフレナンドの歴史書を読み耽っていると、唐突に響いたノック音でリーファは我に返った。顔を上げると程なく、扉が開けられる。

 扉の先に立っていたのはヘルムートだった。彼は人当たりの良い顔を少しだけ困らせ、リーファに声をかけた。

「リーファ、今いいかな?」
「…どうしたんですか?今、アラン様の引見の付き添い中ですよね?」

 リーファは本をテーブルへ置き、只事ではない様子のヘルムートに近づいた。

「少し困った事になってね。謁見の間に来てほしいんだけど」
「え、ええ…?」

 ヘルムートからのお願いに、リーファは困惑した。

 側女の立場は非公式なものだから、王の公務に関わる事は許されていない。一年以上城にいるリーファでも、引見中の謁見の間には入った事がないのだ。

(そういえばヴェルナさんの妨害をしに一度だけ入ったっけ…)

 かつての見合いでの出来事を思い出す。ヴェルナの”リリスの瞳”により皆が惚けている間の乱入だったが、我に返ったシェリーから随分叱られたものだ。

「それで、2階から謁見の間に入って欲しいんだ」

 さらに告げられた注文に、リーファは眉をひそめた。
 2階から謁見の間に繋がる階段と言うと、アランがいる玉座への道しかない。

「そ、それはアラン様がいる玉座よりも上から降りて来いって事ですよね…?
 不敬罪になっちゃうんじゃ…」
「今日は特別だ。僕も一緒について行くから、リーファも来て」

 変な事を言うものだから、背中から変な汗がぶわっと滲んだ。握りしめた拳が汗ばんでくる。
 心底行きたくないが、公務に関われない自分を呼ばないとならない事態に、アランが今直面しているのだろう。

「は…はい」

 拒否権はないのだと、不安の色を濃くして頷くリーファの頭を、ヘルムートの手が優しく撫でてくれた。

 ◇◇◇

 本城北側にある二ヶ所の階段は、本来王族が出入りする為にある。他の階段と違い、1階にある謁見の間からひたすら上がって行けば、4階にある王の寝室へと辿り着く階段だ。
 二ヶ所も必要なのかは分からないが、本城自体左右対称に建てられているのでその為なのだろう。

 他の階へも出入りが出来る為、本城の北側には王族に関わる部屋が多い。
 2階にはアランやヘルムートの私室の他、執務室と宝物庫が。
 3階の大浴場は北側に入り口があるし、かつては正妃や位の高い側女の部屋は北側に宛がっていたと聞く。
 北方面は湖や小島が見えるばかりだし、ついでに言えば足元には牢獄があるので、景観の面で良いと思えるかは分からないが。

(私は庭園の方が好きだしなあ…)

 現実逃避とも言える城の感想を心に留めつつ、リーファはヘルムートの後を追って北側の階段を降りていく。
 緊張から来る胸の鼓動を何とか治めようと、歩きながら深呼吸を繰り返す。何があるかは分からないが、粗相だけは絶対に出来ない。

「あまり深く考えないでいいよ。黙ってアランの言う事を聞いて、大人しくしてくれれば」
「は、はい…」

 何もかもが初めてなものを、『深く考えないで』とはなかなかの無理難題だ。

 1階と2階の踊り場へ辿り着き、玉座に座り不機嫌に目を細めるアランの横顔が視界に入ってきた。さすがにここからでは、誰と引見をしているかは分からない。

 慣れた様子で降りるヘルムートと一緒に、リーファも玉座の側へ降り立った。

「陛下。側女を連れてきました」

 恭しく首を垂れるヘルムートに合わせて、リーファもスカートの裾をつまみ頭を下げた。
 顔を上げると、アランが不敵に口の端を吊り上げてふたりを見上げる。

「ああ、ご苦労」

 ヘルムートは小さく頷いて、玉座の後ろを通りアランの側に立った。どうやらあの場が定位置らしい。

 一人取り残されて、まごつくわけにもいかずにそのまま立ち尽くしていると、アランから声がかかる。

「リーファ、おいで」
「はい」

 アランが差し出してくる手を取って、リーファは玉座に近づいた───と。

 ───ぐいっ。

「!?」

 いきなり腕を掴まれ、何も出来ないままリーファはアランに引き寄せられた。あまりの勢いに数歩たたらを踏み、玉座のひじ掛けを飛び越して一瞬ふわっと体が浮いた。
 そして。

 気が付いたら、アランの膝の上にリーファが座っていた。

「………………」

 あっという間の出来事に、リーファの頭の中が真っ白になる。
 アランの膝に乗る。それはまあいつもの事なので気にしていない。いないのだが、それはあくまで執務室や側女の部屋などの、人目に触れない場所での事だ。

 こんな王の玉座で、どなたかとの引見の真っ最中に、こんな事をさせられるのとは次元が違う。

 即座に汗が全身から噴き出した。恐怖なのか怒りなのか、震えが止まらない。

(あ、あ、あ、アラン、様?!)

 黙っているように言われたから声には出せず、リーファは口をぱくぱくさせて自らの王に訴えるが、当のアランは素知らぬ顔だ。
 とても嬉しそうにリーファの指に手を絡ませ、その手の甲に優しくキスを落とす。リーファはびくっと身を竦ませ、鳥肌が立った。

「お前が寂しく部屋で私を待っていると思ってな。
 たまにはこうして、お前を傍らに抱いて引見をしてみようと思ったのだ。
 ………うん。これはこれで悪くない。何故今までやらなかったのかと思う程だ」

 アランの唇がリーファの頬を撫で、指先が膝を撫で回す。どうして良いのか困り果てるが、周囲の視線が怖くてアランを見上げるしかない。

「あ、あの、アラ………陛、下…」
「ん?どうした?昨晩のように、乱れ蕩けた顔で私の名を呼べば良いだろう?
 上手に言えたら、褒美をくれてやるぞ?」
「お、仕事を…お仕事を、して下さい…」
「何?側女の仕事をしたい?やれやれ困ったものだ。
 今は忙しいのだから、お前にそう時間は割けないのだがなあ」

(ちがうそうじゃない…っ!)

 話が通じない我が王を悲壮感を込めた表情で見上げるが、アランは心底楽しそうに微笑み返すだけだ。
 ヘルムートも呆れたように後ろで控えているだけだし、誰でもいいから早くアランを止めてほしい───と思った、その時だった。