小説
それは罰と呼ぶには程遠く
 それから二時間ほど経過して、執務室の扉をノックする音が響いた。

「どうぞ」
「失礼致します」

 ヘルムートに促され入ってきたのはシェリーだった。プラチナブロンドの髪と誰もが振り向く美貌のメイド長は、ワゴンを執務室へと押してくる。

「お待たせしました。今日のお菓子は、リーファ様特製のスフレパンケーキになります」

 そう言ってワゴンの上のクロッシュを持ち上げると、綺麗な円柱状に膨らんだパンケーキが現れた。

「おおー」

 菓子にあまり興味がないヘルムートも感嘆の声を上げる。パンケーキの上面はムラのない焦げ茶色に焼け、側面のスポンジ生地はキメが細かく美しい。
 シェリーがケーキにナイフを入れると、まるで上等なクッションのようにどこまでも沈み、柔らかさを演出してくれた。ほのかに香る生地の甘さは、食欲をかき立てるのに十分だ。

 切り分けられたケーキは白い皿の上に置かれ、イチゴ、ブルーベリーのジャムと一緒にアラン達のいるテーブルへと運ばれた。
 フォークでつつけば赤子の肌のように滑らかで、食べて腹の内に無くしてしまうのが惜しまれた。だが、ジャムを添えて口に放り込めば、その舌触りの良さに咀嚼する事も忘れてしまうほどだ。

「パンケーキの甘さは控えめなんだね。ジャムを添える前提なのかな」

 いつもは自分の菓子もアランに渡してくるヘルムートも、味が気になったのか向かいの席で食べている。

「今日はイチゴとブルーベリーのジャムのみご用意致しましたが、季節に合わせて様々な添え物で楽しめるそうです」

 シェリーは紅茶を淹れながらそう返事をしている。

 穏やかに時間が過ぎて行く中、アランはシェリーに声をかけた。

「そういえば、リーファはどうした」

 彼女は少し困ったように顔を曇らせて、アランに紅茶を差し出しつつ答える。

「それが…調子が悪いとおっしゃって、パンケーキが焼き上がったのを見計らってお部屋へ戻られました。
 厨房の強い匂いに中てられたそうで、少々顔色が優れないご様子でしたわ」

 その説明でピンと来たようで、ヘルムートが顔を上げて反応した。

「ん、もしかして妊娠した?」
「御子様が流れて間もありませんし、さすがにそれはないのでは?
 …最近は陛下も足繁くお部屋へ通われてますし、否定はしませんが」

 紅茶を含んで喉を潤し、ヘルムートがシェリーの話に乗ってくる。

「リャナから借りてるあの玩具の家も使ってるみたいだしね。
 あの中の声は僕の”耳”でも聞き取れないから、人目を気にしないで楽しみ放題かもしれないけど…。ちょっと気になっちゃうんだよねえ」
「弟の情事の盗み聞きはさすがにどうかと…」
「僕だって好きで聞いてる訳じゃないよ。
 でも、何も聞こえてこない、ってのはそれはそれでストレスなんだよ。
 ベッドの上で変なおねだりをしてないかな、とかさ」
「リーファ様に限ってそんな事するはずがないでしょう。
 呪い判別用の宝石だって、国費購入に難色を示される方ですのに…」

 そんな他愛ない話を聞き流しながら、アランは別の事を考えていた。

 女性は度々体調が変化するものらしいから、こういった事も珍しくはないのかもしれない。リーファを見ていてそういう雰囲気を感じ取った事はないが、春先に差し掛かって風邪を引く事だってあるだろう。
 だが、もし、それが口実だったとしたら?

「───まさか」

 不意に湧いた嫌な仮説に、アランの背筋に冷たいものが走った。皿の中のパンケーキを食べ切る前に席を立ち、執務室を出て行く。

「え、ちょ。アラン、どうしたの?」

 出て行ったアランを、ヘルムートが慌てて追いかけてくる。遅れてシェリーも追従しているようだ。
 3階への階段を上がりながら、ついてくるヘルムートに打ち明けた。

「先の会話、グリムリーパーなら聞き耳を立てていてもおかしくはない」
「!?」

 アランの仮説を知り、ヘルムートが息を呑んだ。

 ヘルムートはリーファに知られまいと”耳”で警戒していたようだが、そもそもグリムリーパーは非実体化していれば音も吐息も発さない。
 加えてリーファは、自身の人間の肉体を動かしながらグリムリーパーとして動き回る事が出来る。王家の脱出路を全て暴いてみせたのだ。城内程度なら容易いだろう。

 自分の肉体を厨房へと歩かせながら、時には鼻歌を歌って誤魔化しながらも、グリムリーパーの耳でハドリー牧師失踪の話を聞いていたかもしれないのだ。

 側女の部屋に到着しノックもせずにその扉を開けると、リーファは静かにベッドで寝息を立てていた。突然の主の来訪にも目が覚める気配はない。

「リーファ!起きろ、リーファ!!」

 ベッドに近づき深い眠りについているリーファの肩を揺らしても、彼女の体は何の反応も示さない。

「っ!」

 ───パシンッ!

 アランは右手を振り上げ、勢いよくリーファの頬を叩いた。彼女の体が震え顔がわずかに歪むが、覚醒する事はない。

 続けざまにアランは手を振るうが、シェリーが慌ててその腕にしがみつき、全体重をかけて阻止してきた。

「おやめ…ください!そんな事をしてもリーファ様は戻りません!」
「くっ…!」

 シェリーの言葉に、手に籠められた怒りのやり場を見失ってしまう。半歩下がりシェリーから自身の腕を振り解いたアランは、祈るように胸に押さえつける。

 恐らくリーファは行ってしまったのだろう。グリムリーパーとして、どこへ行ったのかも分からないハドリー牧師を探しに。

 こうなる事を恐れて、リーファがいない場で報告を受けたのに。
 巻き込みたくないアランの想いは、リーファだって理解していただろうに。

「あの、馬鹿女が………っ!!」

 抜け殻となったリーファの頬が、ほんのりと赤く染まっていく。