小説
それは罰と呼ぶには程遠く
「色々お話したい事はあるんですけど、まずはそちらの状況を教えてもらえますか?
 その…とても危険な状態に見えるんですけど」
「ああ、これかい?」

 呑気に笑っているハドリーの状態は、お世辞にも良好とは思えなかった。
 彼の体は、半分程度地面に溶けているように見えたからだ。

 顔の右側面、右肩、右腕、胴体の一部、右足の側面の一部が、円陣の赤い光に溶かされ欠けているようだった。身動きもあまり取れないようで、溶けた右側を地面につけたまま微動だにしない。

 見ているだけで痛々しい光景だが、当の本人はあっけらかんとしている。

「いやあ、君が呪術の陣の大体の居場所を教えてくれたから、さっさと解呪しようと思ったのだがねえ。
 どうやらウィデオー型の呪術の内側に罠が仕掛けられていたみたいで。
 うっかり踏み抜いて、このザマだよ。はっはっは」
「ええー…」

 思ったよりも厄介な話になっていて、リーファは呻いた。
 つまりハドリーはこの円陣に囚われ、術を維持する為のエネルギーとして自身の体が吸われ続けている状況らしい。

「で、でも、ウィデオー型の呪術の為にこんな罠までかけておくだなんて…!」
「それがねえ。わたしの体を吸い取っているのは、呪術の方じゃないんだよ」
「は?」
「構文は読み解けるかい?読める範囲で、解読してごらん」

 今こうしている間にも自分の命が吸われ続けているというのにのほほんとしたものだ。自分の父親の事を思い出しながら、リーファは円陣の外周を歩きつつ中身を見て行く。

「───”目”、”悪意”、”災い”、”喪失”、”毒”、”涙の日”………。
 外側の文言は、ウィデオー型の術式ですね…。内側は………」

 内側を形成している円陣は、外周からは距離があって見づらいが読めなくはない。
 読めなくは、ないのだが。

「あ、れ………?呪術言語じゃない…?」

 外側と内側の円陣で、構成されている術式が異なっている。色々な国の関連性のない言葉が一緒の本に収まっているような不自然さだ。更に言えば、ハドリーがいる中心部分も別の言葉で術式が組まれているようで、三段構成になっていた。
 これだけ大きい円陣は、たとえ魔術の心得があっても三人で作るのは不可能だろう。胡散臭さに頭が痛くなりそうだ。

 中心の術式はこの距離からは読み取れない。間に挟まっている術式を読み上げる。

「”はじまりは此処に”、”渡り鳥の仮宿”、”おわりは彼方に”、”航海の道しるべ”、”時を経てなお不変”、”地を食む虹”。
 これは………移動方陣…?」
「…お見事」

 右手がないから拍手ができないのか、代わりに手を振ってハドリーが褒めてくれる。

「かつて代々の聖王が構築したと伝えられる、国家間を結ぶ通信網”聖王道”。それに匹敵する…長距離転送を可能とした移動方陣だよ。
 リタルダンドの呪術師が開発したらしくてね…呪具と偽って呪術を行おうとした貴族に渡したらしい。
 多分転送先はリタルダンドだろう…侵攻が、目的かな」
「国家間の、移動方陣…?!」

 初めて聞く技術に、リーファは露骨に渋い顔をした。

 魔王城で移動方陣を使った事はあるが、それは城の中という短い距離だ。これほど長距離を飛んで行ける術式ともなると、相当な魔力が、エネルギーが必要となる。

「ビザロに直接飛んでこれる移動方陣があれば、ラッフレナンドの東部はほぼ占領下に入れたようなものだ。
 一ヶ月もかければ、ラッフレナンド城の包囲も夢ではな───む、ぎゃ」
「!?」

 ハドリーの説明が呻きに変わり、リーファは顔を上げた。ずぶりと、ハドリーの体がわずかに沈んでいく。
 そして、円陣の内側───移動方陣が明滅を繰り返し、方陣が赤から虹色に色を変えて行く。

「そこまでに、してもらいましょうか」

 地下室を塗りつぶす程の閃光に、リーファは堪らず腕で目を覆った。
 やがて閃光が止み膨大な魔力の奔流の中、方陣から唐突に表れたのは一人の男だ。

 見た目の年齢だけならハドリーに近いだろうか。短い茶髪、中肉中背で、幾何学模様の入った黒いマントに身を包んでいる。マントの中は旅人風の格好をした男性だ。

「念の為使い魔に見張らせていて正解ですよ。全く…。
 人が十年かけて構築した術式を、こうもあっさり読み解くとは…。
 グリムリーパーというのは、どうしてこう礼節を弁えないものなのか」

 そう言って、男は丸眼鏡のブリッジを中指でくい、と持ち上げた。
 この状況下でしゃしゃり出てきたという事は、もしかしなくてもこの方陣を開発した呪術師なのだろう。

「初めまして………でいいのよね。呪術師さん?
 …あなたの言う礼節って、人の家の地下に勝手に国外からの入り口を作る事でいいのかしら?」

 揶揄するような問いかけに、彼は肩を竦め苦笑いを浮かべている。

「人気のない場所で行うよう言ったのですがねえ。
 何を思ってこんな所で呪術を執り行ったのか………ワタシも聞きたい位ですよ。
 おかげで壊さなくてもいい女達の精神を砕く羽目になってしまった」
「それって…ここのメイドさん達の話?」
「おや、彼女らが何か?」

 呪術師の足元でぐったりしているハドリーが、それでも口を開く。

「一人は自殺したよ………もう一人のメイドは今も廃人状態だ」

 呪術など教えただけあって、人の死については気にも留めないらしい。彼は、小馬鹿にしたように息を吐いただけだった。

「ふぅむ、やはり記憶をピンポイントにいじるのは難しいですねえ。
 ここに方陣がある事だけを忘れていて欲しかったのですが。
 ちゃんと場所を指定してやらせるべきでしたか…」
「まあ…貴族の娘が、頻繁に町を出入りするよりは…家の地下の方が、人目を気にしないで済むだろうがね…。
 ビザロは最近、占いやまじないの類がブームだから…」
「いや、人が死んでるのにブームと一括りにされるのはちょっと」

 どこかずれているハドリーの考え方に、リーファがたまらず突っ込みを入れる。