小説
夫婦の真似事の果てで
(やっぱり…)

 アランの取り乱しぶりを少しだけ可哀想に思いながらも、リーファは胸を撫で下ろした。
 今みたいな余裕のある環境ならまだしも、家事も仕事もしながら夫の世話もするとなると、相当細かくスケジュールを調整しないと上手く回るはずがない。

「ベイクドチーズケーキを作ってみました。エリナさんも、どうぞ」
「ああ、ありがとう」

 カットしたケーキをテーブルに配しながらちらりと紙を盗み見たら、アランが主張していた『妻からキスをする』以外にも、『脱ぎ散らかした夫の洗濯物は妻が回収する』、『作り置き料理禁止』、『夫の帰りが遅くても夕食は一緒に食べる』などに軒並み×印がついていた。
『愛称で呼び合う』に何もついていないのは温情と言えるかもしれない。

 ふと思い出した事があり、給仕の途中だがエリナに訊ねてみた。

「そういえば、さっきは言わなかったんですけど…その。
 …服を着ないで、エプロンだけつけてキッチンで料理をするのとかは…」
「…なんだいそりゃ?油跳ねたらやけどしちまうじゃないか」
「ああ、うん。ですよね…」

 眉根を寄せたエリナから当然の指摘をされてしまい、リーファは笑顔を取り繕って引き下がった。
 その様子を見ていたアランが、体を震わせている。

「だ、だが、バルトは───バルトルトは、こう嫁にさせていると」
「バルトルト?」
「バルトルト=ボスマンス兵長。結婚二年目だから、色々聞いてみたらしくて」

 ヘルムートから補足が加わり、どうやら誰なのか思い出したらしい。エリナは大仰に手を叩いてみせた。

「あー、ミースちゃんの旦那さん?
 ミースちゃんなら、先週実家に帰ったそうですよ。
 なんか、タオルもパンツもパジャマも用意しとかないと不機嫌になるらしくって。
『アタシはアイツのお母さんじゃない!』ってえらい怒りようでしたねえ」
「──────」

 アランは今度こそ顔を真っ青にした。ゆっくり、ゆっくりと首を垂れ、両手で顔を覆い沈黙してしまう。

(わあ…)

 アランがこうまで動揺するのはなかなか見られない光景だ。周りの状況も酷いもので、ヘルムートは笑いを堪えて背中を向けているし、エリナも深く溜息を吐いて呆れかえっている。

「エリナさん、ちょっと言い過ぎじゃ…」
「いいんだよ。この位言ってやらないと、男は分からないんだからさ。
 リーファ、あんたも旦那になる男にはちゃんと言ってやるんだよ」

 エリナに紅茶を差し出しながらリーファは窘めてみたが、彼女は特に悪びれる様子もなく紅茶を啜るばかりだ。

 アランの落ち込みぶりを見るに、どうやらその新婚男性の意見ばかりを参考にしてしまったようだ。
 既婚者であるヘルムートはそれが『偏っている』と判断したようで、別の意見も聞くべく主婦代表としてエリナが呼ばれたのだろう。

 結果は見ての通り。
 おまけに件の新婚男性は女性に逃げられてしまったようだし、さすがに擁護しようがない。

(まあアラン様も知らなかったでしょうから、仕方がないよね…)

 良い勉強になったとリーファは納得しつつ、アランの席にもカップを置くと───突然その腕が掴まれた。
 力強く握りしめる手の先を追うと、アランの怯えた目がかち合う。

 唇を震わし、何故かアランはまくし立てた。

「こんな………こんなつもりではなかったのだ。
 私は…私はただ、お前の先を案じただけで………。
 世の中には…どうしようも、ない男が、いるもの、だから………その、身構えを………」

 怯えるように言い訳をする理由がいまいち理解出来なかったが。
 リーファは、アランの冷たくなった手に手を重ね、首を傾いで笑ってみせた。

「分かってますよ。アラン様は、私の為に色々考えて下さったんですよね?
 エリナさんの意見も大切ですけど、他の人の話も聞いてみましょうよ。
 夫婦の面白い決め事とかも、聞けるかもしれませんから、ね?」

 フォローになったかは分からないが、消沈していたアランの表情に驚きが混じる。

「そ、そ、そう、だな………本当に、そうだな………」

 期待と不安が入り混じった不安定な面持ちで、アランはぶつぶつと呟いた。
 やがて両手を広げてきたので、アランの膝の上にリーファは腰を下ろす。

 甘えるようにリーファに体を寄せてくるアランを眺め、エリナとヘルムートが呆れた様子で揶揄った。

「あんたは、男をダメにしちまいそうだねえ…」
「リーファー、甘やかしすぎだよー」
「だって、あんまりじゃないですか。エリナさんもヘルムート様も」

 拗ねてしまったアランの頭を撫でて、リーファは彼の額に優しくキスを落とした。

 ◇◇◇

 ───その後、城内で”夫婦の在り方”についてのアンケートが行われたが、その結果を見てアランが一日側女の部屋で塞ぎ込む事態になったのは別の話である。
- END -

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