小説
あなたがいない城の中で───”王は記録を手繰り寄せる・1”
 いつもよりもずっと静かな執務室で、黙々とアランが書類にサインを書いていく。
『効率が悪いのはリーファのせいだ』と言いたい訳ではないが、側女に構う時間がない分執務が順調に進むのは良い事だと、ヘルムートは思っている。

(今日は珍しく静かだな…)

 リーファが”禊の島”へ行っている間、アランは不機嫌に過ごす事が多い。普段なら怒らないような事で腹を立て、時には物を壊してしまう。
 だが、今日のアランは黙って仕事をこなすばかりだ。癇癪も起こしていない。

 まだ一日目だからというのもあるだろうが、つい先日までリーファにべったりだった光景を見ていたヘルムートとしては、何とも気持ち悪い。

「…今日は随分仕事熱心だね?」

 急に声をかけられ、執務机にいるアランがソファに座っているヘルムートを見下ろしてきた。

「そうか?いつもこの位はするだろう」
「いやいやいや。君、一度鏡見た方がいいよ。
 …そういえばリーファが出がけに何か言ってたみたいだけど?」
「今週見合いが一件あるからな。
 ただ、『素敵な女性だといいですね』と言われただけだ」
「…ふうん、そう」

 アランの口ぶりを見るに、どうやら嘘は言っていないようだ。リーファから何か言われた訳ではないらしい。

 ───コンコン

 他の可能性を考えようとしていた所で、執務室の扉を誰かがノックしてきた。

「入れ」
「失礼致します」

 扉を開けたのは衛兵で、後ろに控えているのは普段本城にいない男だった。黒髪を刈り上げた片眼鏡の青年だ。名前までは覚えていないが、確か公文書館の司書だったか。

「陛下。書類を届けに司書が来ております」
「ああ、通してやれ」
「はっ」

 衛兵は一礼をして、司書を部屋へと招き入れた。
 扉が閉められると、緊張で顔を強張らせた司書が恭しく頭を下げる。

「へ、陛下。ご、ご指示頂いておりました資料です」
「ああ、ご苦労。机に置いてくれ」
「はい」

 司書は腕に抱えていたファイルを執務机に置き、落ち着きのない様子で頭を下げ早々に退出した。

(………?)

 司書がこちらに来ることなどまずない。先の会話を見るに、アランが公文書館に保管していたファイルを探させていたのだろうか。

 アランが独自に動いている事が察せられ、ヘルムートは怪訝に眉根を寄せた。大体がヘルムートを通すものだから、それがなされないのが奇妙な感じだ。
 何だか興味が湧いて、アランがファイルを開くとヘルムートもそれを覗き込んだ。

「”空白の十一日 報告書”…?」
「少し気になってな。
 …あの時の事、覚えているか?」
「ラッフレナンド城内外の大多数の人間の”十一日”が失われた一件だろう?
 僕も君もその日は視察に出てたから、話に聞いた程度だけど。
 魔物か魔術師の仕業か、なんて騒がれたけど、結局原因不明で終わったんだよね?」

 そう言って、当時の事を思い出す。

 ◇◇◇

 ───六年前のマーイウスの月の十二日にそれは起こる。
 ラッフレナンド城内外で、その十二日を”十一日”だと思い込む者が多数いたのだ。
 十一日だと思い込んで出勤する者もいれば、十一日だと思い込んで休んでしまった者もいたらしい。

 城門では十一日と十二日に手続き予約をした者たちで溢れかえり、役所では役人達が状況把握と対応に追われた為、結局その日は役所の機能を止めざるを得なかったという。

 その後調査をした結果、城下の住人達にも同様のトラブルが発生していた。

 ところが、本来の十一日に行われた諸々の手続きを完了させた形跡はちゃんと残っており、皆が皆『何故か十一日に行った事を全て忘れてしまっていた状態』だったらしい。

 この珍現象は、ラッフレナンド城内の一部と城下の九割程度の者に起こっていた。
 しかし、城内に常駐していた兵士、夜勤のメイドなど、日を跨いで城に残っていた者達や、近隣の村や町の者達は、日付を正しく覚えていたという。
 

 ◇◇◇

「学生時代、リーファを苛めていた同級生の家族が集団失踪したらしい。
 六年前らしくてな………あの”空白の十一日”も、確か六年前だったと思い出したのさ」

 そこで何故リーファが出てくるのか分からなかったが、アランとしては引っかかる部分だったのだろう。

 しかし六年前と言うと、他に幾らでも厄介事はあったはずだ。

「ゲーアノート兄上が亡くなって、君が王子として認められた年でもあったよね」
「…お前が継承権を放棄して、結婚した年でもあったな」
「そうやって考えると、あの年は本当にバタバタしてたよ。
 兄上は亡くなって、継承権の問題でゴタゴタがあって、君は王子に、僕は年末にミアと結婚して…。
 城の中が毎日しっちゃかめっちゃかだったから、みんな一斉に一日うっかりしててもおかしくは…。
 …いやいやいや」

 自分で言っておいてヘルムートはすぐさま否定した。幾ら毎日忙しくとも、皆一斉に日付を間違えるなどあっては困る。

 一人でボケて一人で突っ込んでいるヘルムートに苦笑しながら、アランはファイルを開いて中身を確認している。やがて目当てのページに辿り着くと、彼は目を細めた。

「失踪者リスト………ヴィットリオ=ヴァッカ、他家族七名。これか」

 アランが見ているページを、ヘルムートも覗き込む。

 その”空白の十一日”を境に失踪した者をリスト化したものだった。珍現象の正体に関連性があるかは分からずとも、何か繋がるものがあるのではないかと当時の担当者が調べたようだ。

「なんか、リーファと同年代の子ばかりが居なくなってるように見えるんだけど…?」
「ふむ…」

 リストには年齢が書かれてあるのだが、その半分程は学生だった。多少前後はするが、今も生きていればリーファと同年齢の者たちばかりだ。

 失踪、と聞くと物騒なイメージだが、特段珍しくもない。ラッフレナンド城下だけでも、年間で五十人程は失踪しており、理由も病気、家族関係、仕事関係と様々だ。

 学生が何か思い立って集団失踪していてもあり得なくはないだろうが、一日、二日で失踪するにしては数がやや多い。

「…どういう事なのか、説明してよ」
「と言われてもな。
 リーファと”空白の十一日”に、どこか繋がりがあるのではと何となく思っただけだったんだが」
「ドンピシャでびっくりしてるって?」
「…そうだな」

 次のページには、十二日に確認された異変の詳細が書かれていた。
 窃盗、小火、不審死などがあったようだが、やはり時刻、方法等は不明となっているものが多い。恐らく十一日に行われた為に”忘れられている”のだろう。

「だが、リーファが何かした訳ではないのだろう。
 自身の出自を知ったのも魔術の教えを受けたのも、一年後母親が亡くなった後だと言うからな。
 …魔王か、グリムリーパーの王あたりなら、そうしたよく分からん所業もやれるのかもしれんが…」
「何のために?」
「それが分かれば苦労はしない」

 見るべき場所は見たと言わんばかりに、アランはファイルを閉じる。

 何だかよく分からない事象を、何だかよく分からない者たちの所為にする。これほど、真実の追及から一番遠い考え方はないだろう。そこを見過ごして他の厄介事を引き起こす可能性だってあるのだから。

 しかしヘルムートの記憶では、この珍現象を最後にその年で異変らしい出来事は起きていない。

 これが魔物の侵攻に関わるものなら、ここまで平和に時間は過ぎていかないだろう。
 ヘルムートでさえアランに指摘されるまで忘れていた程だ。日々に忙しい多くの住民、城の役人はもう記憶の片隅にすら入れていないはずだ。

「リーファに聞いてみたら?試しに。
 当時の事なら彼女も覚えてるだろう。
 同級生の失踪に関わりは無くても、何か気になった事があったかもしれない」

 コツリ、とアランは机を指で突く。僅かな間、彼は考え込んだようだが。

「…いや、いい」
「なんでさ」
「ひとつ位謎めいた部分があった方が、女は可愛いものだろう?」

 変な冗談を入れるものだから、ヘルムートは呆気に取られてしまった。口の端を吊り上げほくそ笑んでいるアランを見ているとイラっとする。

「…はあ?なんだよそれ。寝首掻かれても知らないよ?」
「あれが寝首を掻くつもりならとうの昔に掻かれてるさ。
 ───いや、もう掻かれていたな。いつぞやつけられた背中の爪痕がまだヒリヒリと」
「はいはい」

 どうでもいい話に切り替えられてうんざりしていたら、こんこん、とまたノック音が聞こえてきた。