小説
あなたがいない城の中で───”三者の思惑に吐息が零れる・2”
 背は高く、バレロの頭一つ分はあるものだからつい見上げてしまう。貴族の血筋の者によく見られる金髪の長髪と、深緑色の瞳の男性だ。ゆったりとした紺藍色のローブで隠しているが、その筋肉質な体つきは役人よりは兵士に向いているのではと思えなくもない。

 彼の名はアンブロシウス=エングフェルト。総務課所属の青年だ。

「これはエングフェルト殿。それは一体どういう意味で?」

 エングフェルトはどこか愉しげに、すっと高い鼻の下の口の端を吊り上げた。

「勿論、そのままの意味で、です。おかしいではないですか?
 陛下ともあろう方が、多くの美女に見向きもせずに側女殿だけを傍らに置くなど。
 何か裏があると考えるべきでは?」
「側女殿が陛下を操っていると?そのような事が可能なのですかな?」
「さあ?わたしは門外漢ですから何とも…。
 しかし古今、魔女というものは人を惑わし魔を操る者、と相場は決まっているでしょう。
 そもそもの話、側女殿がどういった経緯で見初められる事になったのかご存じか?」

 その圧倒される体格とよく喋る姿勢に、バレロはついに後ずさってしまう。異様な雰囲気を放つこの青年を、周囲の者達も怪訝な表情で見ている。

「い、いえ、それは…」
「ええ、ええ。まずそこからが不自然というものです。
 一介の庶民が陛下の目に留まる事自体、おかしな話ではありませんか。
 バレロ殿もご存じでしょう?側女殿のお声は、あらゆる者を惹きつける魔性を有している。
 現に今日、側女殿は”禊の島”におられるそうで、あのお声が聞けずに落ち着きのない者もいるといいます」

 側女リーファのよく届く声の話は、仲間内でも時折話題になる。
 声を発すればあらゆる者達を惹きつける。歌を唄えばより多くの者が押し寄せる。逆に声が聞こえなければ心を乱すと、彼女の声は魔性と言えなくもないが。

「あの娘、このまま側女として置いても良いものなのでしょうかねえ?」
「…口が過ぎますよ、エングフェルト殿」

 エングフェルトの暴言を、バレロの後ろで聞いていたベンディークが窘めた。

 我に返ったバレロが見たベンディークは、目を細め真っすぐにエングフェルトを見据えている。怒り、というよりは嫌悪だろうか。それが、バレロにもひしひしと伝わってくる。

「側女殿が陛下の下へ迎えられてから今に至るまでの功績を考えれば、きっかけなど些末な話では?
 先王陛下を蘇生させ、王家にまつわる呪いの解呪、幽霊騒ぎの解決と、側女殿がおられなければ国がどうなっていたか考えるのも野暮というもの」

 エングフェルトもまた、ベンディークを不機嫌に睨みつけていた。何でこうなったのか分からない対立に挟まれて、バレロは居心地悪く身を竦める。

「…ベンディーク殿は、側女殿が起こされた奇跡をご覧になった事が?」
「幽霊騒ぎの折りは、城壁の哨戒路から見ましたよ。
 優美…と言うにはあまりに奇抜ではありましたが、魔術とはああいったものなのかも知れないな、と。
 あの光景は陛下の他、多くの兵士も目撃していましたね」
「はあ。そう、ですか…」

 淡々と告げるベンディークに、エングフェルトは明らかに面白くなさそうに相槌を打つ。

 何にしても、会話が一時途切れチャンスは巡って来た。バレロは持っていたコーヒーを一気に飲み干して、ふたりに愛想笑いを向けた。

「ま…まあ、私としては、姪が陛下の御眼鏡に適うのであれば、側女殿がどういった方なのかはどうでも良いのですがね。
 ───おお、そろそろ次の支度をせねば。
 それでは、ベンディーク殿、エングフェルト殿。私はこれで失礼しますよ」
「…ええ、また」
「お疲れ様です」

 ベンディークもエングフェルトも、こちらに向ける表情は穏やかだが。
 程なく睨み合いを始めたふたりに背を向けて、バレロはそそくさと空のカップをカウンターへと持って行った。

 ◇◇◇

 ───この一見穏やかなラッフレナンドであっても、派閥というものは存在する。
 王位という点で見ても複数存在するのだが、その中の二大派閥が”現王派”と”ギースベルト派”だ。

 言わずもがな”現王派”は、現王アラン=ラッフレナンドを支持する者達だ。

 先王オスヴァルトが王太子に任じた事を支持する者が多いが、王子時代の戦績、先王が倒れてから蘇生されるまでの公務の代行を評価する者もいるという。
 加えて、現王の面差しが代々のラッフレナンド王の特徴を色濃く残している事から、正統な後継者だと見る者も少なからずいるのだとか。

 一方の”ギースベルト派”は、そんな現王の即位に不満を持つ者達だ。
 先王オスヴァルトの正妃であったフェリシエンヌ=ギースベルトを”ギースベルト派”の筆頭であると考える者が多い為、この名がつけられている。

 ギースベルト公爵家はラッフレナンド王家の血筋を少なからず引いており、王家の血筋を絶やさないよう近親婚を繰り返している一族だ。
 その血統を誇りにしている為、先王と側女の御子である現王アランを正統な王と認めていないのだ。

 また先王オスヴァルトが健在だった頃、現王アランの素質を忌避していたとも言われており、蘇生後の心変わりを気にする者もいるとか。

 王太后となったフェリシエンヌ=ギースベルトの御子である王兄ゲーアノートは早逝された為、仮に現王アランを廃したとしても王太后の血筋から新王の即位は不可能だ。
 しかし、先王の側女であり王太后の姪でもあるヴィクトワールが、王弟アロイスを産んでいる。こちらも紛れもないギースベルト家の血筋だ。

 ベンディークのような”現王派”は、現王アランが早くに正妃を迎え、御子に王位を継承させる事を望み。
 エングフェルトのような”ギースベルト派”は、現王アランの成婚と御子の誕生を阻害しつつ失脚させ、王弟アロイス擁立を目指す。

 こうしたやり取りが、水面下で行われているのだ。

 ◇◇◇

(私は、どっちでもいいんですけどねえ)

 バレロはどちらの派閥にも属していない。
 自分の親戚の娘が王に見初められるのであれば、現王でも王弟でもどちらでも良いのだ。王弟だと姪の方が年上になってしまうが、今回も現王と姪の年の差は十歳ほど離れている。どっちもどっちだ。

(いやしかし、陛下との成婚が決まった途端失脚とかされたらどうなってしまうんだ…?)

 貴族の中には幼少期に婚約者を決めてしまうケースがあり、王弟アロイスには婚約者がいたはずだ。
 現王が何かの拍子に失脚した場合、王弟とその婚約者は王と正妃の座についてしまうだろう。
 つまり姪に正妃の座はない。

(と言うか、クーデターでも起ころうものなら現王諸共殺されてしまうんじゃ………)

 あくまで”たられば”の話だ。クーデターが起こった訳でも、姪が殺された訳でも、そもそも正妃になった訳でもない。
 しかし、幼い頃から見ていた可愛い姪が酷い目に遭うなんて。と思うと。

(………お断りされても、それはそれで仕方がない…かなあ………?)

 そもそも、多くの美女との見合いを全て断って来た現王だ。今回も断られてもおかしくはない。
 本当に側女リーファのような娘が好みのタイプだとしたら、真逆なタイプの姪は御眼鏡に適わないだろう。

(駄目だった時の為に、慰めの品でも見繕っておくか…)

 推薦した責任もある。何を贈るのが最適か考えながら、バレロは役場へ戻って行った。