小説
あなたがいない城の中で───”魔女の手紙に揺れる幽霊・3”
 魔女は、カールの質問に分かりやすく答えた。

 例えば、フェミプス語は魔術言語の祖にあたり、公用語として使われた国もあった、とか。
 例えば、”魔術書”は魔術辞書のようなもので、形式を定めた魔術の概要が書かれている、とか。

 せっかく”フェミプス語辞典”を借りられたのだから、”魔術書”の翻訳はカール自身が休みの合間に続けていたが、行き詰った部分は都度手紙を書き、禁書庫の所定の本棚に差し込んだ。

 暇なのか筆まめなのか。魔女は一週間程で手紙の余白に回答を書き込み、禁書庫の同じ本棚に差し込んでくる。その繰り返しだ。

 ◇◇◇

 文字のやり取りを繰り返せば、どうでも良い話題を文章に加える事だってある。”禁書庫の幽霊”に対する印象操作は、効率よく回答を得る為に必要だ。

 植物を成長させる歌の魔術について、
『可憐な花が傍らに在れば仕事も捗る事でしょう。』
 と書いてみたところ、
『幽霊さんのお仕事が捗りますように。』
 とコスモスやカスミソウなどで彩られた押し花の栞が贈られた事もあった。

 単純な女だ、と思いはしたが、魔女の気まぐれで摘まれた花を不憫に思い、”魔術書”の翻訳中のページに挟んである。

 ◇◇◇

 ある日、こんな問いかけを魔女へ送った事があった。

『あなたほどの魔術師が、何故王の愛人という立場に甘んじているのですか?
 魔術師忌避の強いこのラッフレナンドに、あなたが住み続ける理由が分かりません。
 リタルダンドは魔術研究が活発で、魔術師達が多く住んでいるといいます。
 ヴィグリューズは、召喚術の研究が行われているとも聞きました。
 こんな所で王の肌を待つのではなく、あなたの知恵はもっと他の国で活かすべきです。』

 書いた後になって、さすがに突っ込んだ意見だっただろうかと後悔したが、しかし三日後にはこんな手紙が返ってきた。

『幽霊さんは優しい方ですね。
 師から教わった魔術はあくまで護身用で、師も国外の魔術事情には疎かったので、時勢について行けないのではないかと思っていました。
 しかし最近国外の事情を知る機会があり、何とかなるのかもしれないと考えている所です。
 いつになるかは分かりませんが、お勤めが終われば幾ばくかの報酬も支払われると聞いていますので、そのお金を元手に国外に出る事も検討したいと思います。』

 どうやら魔女は金銭的に困窮した立場らしいと、カールはその時ようやく気が付いた。
 よく考えれば、ラッフレナンドの環境下で魔術を生業に出来るはずもない。しかし魔術師は金回りが良いと思い込んでいたから、魔女の回答にはかなりの衝撃を受けた。

 手紙を見返しても家族の話に触れた事はなく、独りであれば金銭面で困る事も多かっただろう。
 きっかけは知らないが、王の側女となれた事は魔女にとっても渡りに船だったに違いない。
 不特定多数の男達を相手に身を売るよりもずっとマシだ。

 ◇◇◇

 その手紙を最後に、カールは手紙を送るのを止めた。
 翻訳は順調に進んでいて、文章の構成を何となく掴めるようになっていたのもあった。
 だが何より、これ以上魔女と関わるのは無意味なのではないかと思ったのだ。

 ”魔術書”の正体が分かれば、カールにとって魔女は不要な存在だ。
 一時は手紙のやり取りだけで魔女を城から出せないものかと思ったが、件の手紙で出る気がない事も知れた。
 程なく魔女が姿を消す珍事があったが、王が連れ戻してからは何食わぬ顔で居着いてしまっていた。

 翻訳の礼も兼ねて、カールなりに身の振り方を示したつもりだ。
 それでも魔女が城に留まるつもりならば、カールも来る日に自分の責務を果たすだけだ。

 その時に”禁書庫の幽霊”の正体を話してやろう。
『馬鹿な女だ』と嗤ってやろう。
 どんな顔をするか見物だ。

 ◇◇◇

(不器用なヤツだなあ…)

 カールの部屋の隣室で、エルメルは聞き耳を立てながら固いパンをむしった。薄い壁の先にいるカールは、持って行った菓子の量に文句タラタラだが、少しずつ食べているようだった。

 カールと付き合いの長いエルメルは、ラーゲルクヴィスト家の立場も、彼の性格も何となく理解していた。

 彼は毛嫌いしている人間に対して無関心を決め込む事が多い。冷めた表情でさもそこに誰もいないように振る舞う、ちょっと厄介な対応をしてみせる。
 そうせずに感情を昂らせるという事は、その人に対して思い入れがあるからだ。何も出来ない自分を責めているからだ。

 先の菓子も、あくまで『王に差し出せない出来』という体裁で並べられており、その量の多さに側女リーファの苦心を察したのだろう。
『あんな王の為に何故世話を焼くのか』くらいは思ったかもしれない。

 ここ最近で一番カールが荒れたのは、リーファが階段で突き飛ばされ御子が流れた時だった。
 ラーゲルクヴィスト家にとっては邪魔であったはずの彼女の不幸を、カール自身は部屋に塞ぎ込む程落ち込んだのだ。

『王は何をやっていたんだ。護衛の一人でもつけるべきだっただろう』
『城を出ていればこんな事にはならなかった』

 など、彼女を思いやる心がなければ出て来ない愚痴だ。

 だが。
 どれだけ窘めても、カールはリーファに毒を吐き続けるだろう。直接ではなく、どこかで彼女の耳に入るように。
 いつか彼女がこれ以上傷付く前に心変わりをして、城から離れて行ってくれるように。

 今のカールには、それしか出来ないのだから。