小説
あなたがいない城の中で───”何かが勝手に決まっていた・3”
「私はもう疲れた。日々の仕事に追われ、正妃選びに奔走するも成果が得られない」
「…困りましたね。
 アラン様の正妃様選びの役には立てませんが、私に出来る事であれば何なりと言って下さいね」
「ああ、よく言ってくれた。さすがは私の側女だ」

 今日はやたらとスキンシップが激しい。アランは頬にキスをして、リーファの手を取った。

 男性特有の無骨な指が、リーファの細い指に絡んでくる。慣れた手つきで、リーファが感じやすい指の付け根を的確に愛でてくる。
 何故だか吐息が熱くなった。ベッドで睦みあっているような変な気分だ。

「私は、お前は頭の良い女だと思っている。
 良く字を書き、書を読み、国に対する理解もある。
 罰せられる危険がありながら、国の為王の為にとその魔術の力を振るう姿はとても美しい。
 …そう言わざるを得ない」

 そしてアランはリーファの指に優しく口づけ、こう告げてきた。

「リーファ。お前こそ相応しい。
 ───私の正妃に、なってはくれないか?」

 執務室に、沈黙が広がる。
 シェリーもヘルムートも何も言わず、表情すら変えずに佇んでいる。アランは真っ直ぐと射るような眼差しでリーファを見つめ続けている。

 この時期は暖かく強い風が吹く季節だが、閉ざされた窓の向こうから風の音は聞こえない。完全な無音だ。
 こんな有り様だから、まるで時が止まったかのような錯覚に陥った。永遠に続くような、時をくり抜いて標本にしたかのような、嫌な感覚だ。

 だが、時は絶えず動き続けている。遊んでいる時間など、これっぽっちもない。

「…アラン様」

 微笑みを向けて声をかけると、アランは一瞬取り乱したように見えた。唇が離れたのを見計らって、アランの手を取る。

「前も言ったかもしれませんけど、私、アラン様に身も心も捧げています」

 アランから視線を逸らさずにその手の平を広げ、現れたしわの溝を慈しむように指先でなぞる。

 リーファの言葉を待つように、アランは惚けた表情でリーファを見下ろすばかりだ。

「多分、外に出されても結婚はしないと思います。
 …他の方に体を許すなんて気持ちにはなれませんし。
 もう、アラン様に可愛がっていただかないと満足出来ないんじゃないかな、って思うんです」

 こちょこちょと手の平をくすぐって見せると、アランの口元が強張った。その可愛らしい反応に、ついつい悪い笑みが零れてしまう。

「もちろん心も、ですよ?あちらにいた時も、アラン様の事をずっと考えてたんですから。
 戻ったら、たまにはふたりでアラン様に愉しんでもらいたいなって考えたりして」

 リーファは一度椅子から降りて、呆然としているアランの腿の間に膝を差し込んだ。今度はより深く、密着してしまう程に。

「ねえアラン様」

 アランの首筋を優しく触れて、リーファは甘く囁いた。

「寝ても覚めてもアラン様の事だけを考えて…。
 アラン様にどこまでも求めてもらえるように…。
 満足してもらえるように、体を整えているだけの側女は………嫌、ですか…?」
「………………………。
 ………………………………。
 ………………………………………………」

 アランは微動だに動かない。リーファに触れてもこないし声も上げない。
 海の魔物セイレーンに魅了された哀れな遭難者のように、力なくリーファを見続けている。

 ヘルムートは信じられないような物を見るような目で呆然としていたし、シェリーは目を潤ませて今にも泣きそうな顔をしていたが。

(…あ、何かこれ失敗した気がする)

 三人ともあまりに反応が悪く、ノリでやってしまった演技をリーファはちょっとだけ後悔した。

「え、ええっと………アラン様、アラン様」

 作り笑いを止め、戸惑いながらアランのだらしない頬をぺちぺちと叩いてみると、それでようやくアランは我に返った。

「………ふ、ふふん。どう取り繕っても無駄だぞ。
 お、大方ヘルムート辺りの入れ知恵だろう?」

 蔑むように笑ってはいるが、その口の端は引きつっているし手も震えていた。取り乱しているのが一目瞭然だ。

 強がってみせるアランに、リーファは唇を尖らせて素知らぬ振る舞いを返してみる。

「…そんな風に見えます?本心なんですけど…」
「ああ、魂胆が見え見えだ。
 何も知らされていないお前ならば、『何馬鹿な事言ってるんですか〜〜〜!!!』と言うに決まってるからな」

 そこまで言われたらリーファも観念するしかない。繕っているのも飽きて、さっさと白状した。

「………もう。分かってましたけど、アラン様に隠し事は出来ませんね…。
 ええそうですよ。さっきシェリーさんに教えて貰いました。───ね?」

 と、シェリーに相槌を求めて顔を向けた。───が。

「?!」

 シェリーは、折角の美貌が台無しになり兼ねないほどの滝のような涙を零していた。

「リーファ様………ご立派に…ご立派に、なられて…!」

 口元をハンカチで押さえた掠れ声で、リーファの側女としての成長に感激するシェリーの姿は、アラン達から見ても稀有なものだったのだろう。唖然とし宥める事も出来ていない。

 ここに来て初めて見た光景に、さすがのリーファも取り乱した。

「ぎゃー?!し、シェリーさんごめんなさい!つい調子に乗ってやり過ぎました!!
 演技!演技ですからね!?あんなの頼まれても二度とやらないですから!
 ごーめーんーなーさーいーーー!!!」

 鼻水を垂らしてべえべえと泣くシェリーを何とかしようと、リーファも泣きそうになりながら彼女の手を取って言い訳をする羽目になってしまった。

 慣れない事はしない方が良い、という事なのかもしれない。