小説
古き世代を看取って
 魔女の横暴が一時治まり、現場には別の慌ただしさが広がっていく。警戒は解けようもないが、攻撃が止まった事で救護を優先する者達が増えていく。

 周囲の状況を一瞥しながら、アランは魔女に問うた。

「そちらが何用でここに訪れたのか知らないが。
 こちらと敵対する意図がないと見て良いか、まずは確認したい」
「敵対?うーん、ないっちゃないけど?」
「では、何故暴れた」
「だって取り押さえようとしてくるんだもん」
「…なるほど、そういう事か」

 以前もこんな事があったのを思い出したのだろう。どこかのサキュバスを思い出したのか、苦々しい表情でこめかみを押さえている。

「…リーファ。城の破損と負傷者が出ている。お前なら対処できるか?」
「出来なくも、ないですが…」

 アランに言われ、ぐるりとリーファは周囲を見回した。

 本城南側の壁は大きなヒビが入った箇所が散見され、酷い所は崩落している。脆いガラス窓などは殆どが割れ、城の中に入ってしまったようだ。
 数名の兵士は吹っ飛ばされて植え込みは崩されているし、城を囲む城壁にも斜めに大きな亀裂が入っていた。
 幸い死者は出ていないようだが、割れたガラスで怪我をした者、逃げようとした際に転倒した者はかなりの数に上る。

 魔女一人を相手に、目も当てられぬ酷い有様だ。敵意はなくとも、アランが急行しなければ状況はより深刻になっていただろう。

 そんな、いつ暴発するかも分からない魔女を相手に、リーファはぶっきらぼうに注文を付けた。

「師匠、何とかして」
「ええー?」
「私の魔力だけじゃ、時間がかかり過ぎるもの。
 師匠なら、この城の魔力の再分配コードは知ってるでしょう?」

 聞き慣れない単語に、アランとヘルムートは怪訝な顔をしたが、魔女は違った。
 大きく目を見開き、真っ赤な口の端を獣のように吊り上げる。怒っているのか笑っているのか、どちらともつかない形相だ。

「…ふふん、そこまで知ってんだ。いや、見たんだね?
 やっぱあんた、生まれるとこ間違えてるねえ」
「生まれる所間違えてたら、師匠に師事なんてしてないわ。
 魔術なんて覚えないで、もっと穏やかに生きてやるわよ」
「ははっ、そりゃそうだ」

 不機嫌に彩られたリーファに対し、何が楽しいのか小気味よく魔女は笑う。

 勝手に話を進められ、アランは細目でリーファに問う。

「…大丈夫だろうな」
「ええ。私よりもずっと早いですよ。…ちょっと品はないかもしれないですけど」

 リーファはそう答え、不安を感じさせる微笑をアランに向けていた。

 そして魔女は、持っていた杖を高らかに掲げ、聞いた事のない呪文を唱え始めた。

「”ドゥナムモック・イブ・エウツ・エマン・フォ・エマン・ロタートシニムダ・ターフェアイト。
 レウタグ・ウティウ・レヲゥプ───”」

 詠唱を受け、魔女の足元に幾何学模様の魔術陣が浮かび上がる。大輪の花のように鮮やかな白銀の紋は、本城の中まで広がっている。

 当然周囲の人間がどよめく。何だか分からない物が出現したのだから当然だ。
 ヘルムートもアランも、リーファが静観しているから落ち着いて見ていられるが、そうでなければパニックを起こすだろう。

「”デトロットシドゥ・グニラエウ・ルラフ・モーフ・エウツ・イキス。
 カエルブ・エウツ・スドゥナウ・フォ・エウツ・コルク・ドゥナ・ンルテー。
 エウツ・スメグ・エラ・デウスゥク・ドゥナ・デキシム・ウティウ・ドゥム。
 セテュティトソープ・ドゥルオウス・エブ・ドウェル・スネディアム”───」

 魔女が呪文を奏でると、足元の魔術陣が砕け細かい粒となって空に舞い上がる。そしてそれはゆっくりと下へ降りていく。

 細かい粒に触れたものは皆、状態が変化していく。兵士の腕の傷跡は塞がり、メイドのすりむけた膝は綺麗な状態に戻り、町民らしき男性の頭の出血も無くなっていく。

 物体も例外ではない。ほぼ全壊した本城のガラス窓は一様に修復され、壁のヒビも美しく正される。舞い散っていた書類も本来あるべき場所に戻って行ったようだ。どこかで「落ちたケーキが戻った!?」と驚く男性の声が聞こえてきた。

 程なく周囲の有様は、魔女がやらかした被害前の状態に戻っていた。

(これが、魔女の力…?!)

 ヘルムート自身、魔術師という存在の基準と呼べるものは定まっていない。
 ラッフレナンド界隈で魔術師と接触する機会は皆無に近い。旅をする魔術師の多くは揉め事を避ける為、この国に入る際にその素性を隠してしまうからだ。
『魔術が使える』と公言しているリーファすら、周囲の目を恐れて魔術を使っていない。

 故に、この魔女がどれ程の実力を有しているか、ヘルムートには測りかねた。
 しかし、城下で騒ぎを一切起こさずに城内へ侵入。殺到する兵をいなして城を破壊した上、それら全てを回復してみせた。
 一般的な魔術師よりもずっと優れた実力を有しているのでは、と思わざるを得ない。

「…こんなもんでいいかい。王サマ?」

 まだ光の粒は舞っているが、魔術自体は完了したようだ。アランに向けて、魔女は嫣然一笑する。

 幻でも見ていたかのようにしばし呆然としていたアランだったが、徐に渋面を作り、ざっと周囲を一瞥した。表情を変えずに兵に命じる。

「…兵士全員で被害状況のチェックをさせろ。怪我人もだ」
「「「は───ははっ」」」

 兵士達は皆敬礼をしてみせ、その半分程が散開する。被害の確認に行ったのだろう。

 城とその場の者達の姿が元通りになったとは言え、形成された感情までが無かった事になるはずもない。
 赤子はどこかで泣いているし、民衆の多くは城下へ避難を始めていた。礼拝堂の方が安全と思った者もいたようで、神父に助けを求めている者もいる。

 恐怖、不安、驚嘆、怒り───そういったものが、城を満たしていくかのようだ。
 アランの”目”に、この場は堪えるのか。深く溜息を吐き、ヘルムートに声をかけた。

「…ヘルムート、この場の収拾を任せる。
 この女を謁見の間で取り調べるから、傍聴したい者は好きに入れて構わん」

 国の中枢に魔女を招き入れるという前代未聞の決定に、ヘルムートは怪訝な顔で訊ねる。

「い、いいの…?」
「大事になった以上、下手な隠蔽は余計な妄想を招くだろう。
 大衆の目があった方が周知もさせやすい。
 …どうやらそれが、魔女の目的のようだからな」

 アランの言葉は確かに一理あった。

 侵略が目的だとしたら計画性が無さすぎるし、リーファとは知己の間柄のようだが、会いに来ただけならこんな所で騒動は起こさないだろう。
 何らかの交渉をする為にここで騒ぎ、王を───アランを呼び寄せた、とすれば筋は通る。

「お、分かってるじゃん───いった」

 魔女がカラカラと笑っていたら、いつの間にかリーファが横から肘鉄を食らわしていた。怯んだ所で魔女の杖をもぎ取っていく。

「あまり意味はないけど、一応杖は取り上げます。
 穏便に済まそうとして下さる陛下に感謝して、お願いだから、大人しく、ね?」

 目を剥いて低い声で睨むリーファは、なかなか見られない光景だ。記憶を失っていた頃の彼女もあんな感じだったから、恐らくあれが素の彼女なのだろう。

「…ちぇ、はいよ」

 魔女は一応聞き入れたが、相変わらず余裕綽々だ。

 やがて、兵士の一人が拘束用のロープを持ってきた。おっかなびっくりしながら、魔女の腕を後ろに回し、ロープで締め上げていく。

(…これから、どうなってしまうんだ…?)

 魔女が引き立てられる光景を眺めながら、ヘルムートは放心するばかりだ。アランの見合いに頭を悩ませていたのが遠い昔の話のように思えてしまう。
 何の予兆もなく、春先の暴風のように、驟雨のように、あの魔女が全てをかっさらってしまった。

 平穏が乱されていく不安に身を竦ませながら、ヘルムートは各部署に通達する為に役所のフロアへと足を踏み入れた。