小説
古き世代を看取って
 カーン、コーン、と兵士宿舎の工事の音が聞こえてくる。
 宿舎で寝泊まりしている兵士達に寝床を移動してもらっての大がかりな改築は、そろそろ最終段階、といった所だ。

 城の中で魔術を使う事に躊躇いがあったリーファだったが、この一ヶ月で違和感は大分薄れてきたと思っている。
 人目を憚らずに城の中を調査したり、大がかりな魔術を展開した事もあるが、何よりも兵士達が魔力剣の指導を頼み込んできた事が大きい。

 要請がある度に演習場へ赴き、魔力の通し方とそこに現れる文字を教えた結果、兵士全員がある程度魔力剣を扱えるようになっていったのだ。
 目に見える形で成果が出て、リーファもようやく国に認められた気持ちが実感出来るようになっていた。

(気を緩めてはいけないのだけど)

 リーファが魔術を使う事を快く思っていない者達がいる、というのは何となく肌で感じている。理解を得られるまでは何事も少しずつ、という事なのだろう。

「リーファ」

 アランに声をかけられ、庭園にいたリーファは声の先へと振り向いた。

「あ、アランさま───」

 名前を呼び、そこにいたのはアランだけではない事に気が付いた。
 見慣れない、しかし身なりはしっかりした男性三人が、アランや付き添いのメイド達と一緒に近づいてくる。
 見覚えはないが、今日のアランの予定を考えれば想像はついた。

(今日はシュリットバイゼから有識者が来る日だった…!)

 失態に気づき、リーファは慌ててスカートをつまみ首を垂れた。

「し、失礼いたしました。陛下」

 しかしアランはリーファの無礼を気にするでもなく、朗らかな微笑で返してきただけだった。

「構わん。来賓を紹介しておこうと思ってな」
「お気遣い、痛み入ります」

 来賓の前で下手な事は出来ない。アランに促され、リーファはにこやかな笑みを崩さずに男性達の前へと立った。

 普段見せない程のにっこり笑顔で、アランはリーファを紹介した。

「ご紹介しましょう。この者はリーファ=プラウズ。私の妃です」
「?!」

 アランがいけしゃあしゃあと吐いた言葉に、リーファは変な声が出そうになった。
 恐る恐るアランを見上げると、口の端を上げ、してやったりと言わんばかりにリーファに流し目を送っている。

(無理矢理外堀埋めようとしてるー!?)

 アランの薄ら笑いが憎らしいが、来賓を前に笑顔は崩せない。表情は変えずに、心の中でだけ腹を立てるようにしておく。

 今回、シュリットバイゼを始めとする隣国から有識者を招待している。彼らはラッフレナンドの役人たちを介して招待されているから、当然アランが未婚である事も伝えてあるはずだ。
 だからアランは、ここでリーファを”妃”と紹介して誤解させ、国外からの見合いを阻止しようとしているのだ。

「リーファ、こちらはアルノー=エクスナー殿。シュリットバイゼの歴史魔術研究者であられる」

 だが、リーファとて対策を全く取っていない訳ではない。

「陛下の側仕えをしております、リーファ=プラウズと申します。
 お見知りおきを。どうぞリーファとお呼びください」

 ”妃”の肩書をしれっと上書きし、恭しく首を垂れると、アランの口元が引きつった気がした。

「ご機嫌よう、リーファ殿。アルノー=エクスナーと申します。アルノーと呼んで下さい。
 後ろのふたりは教え子でして。左の者がハンフリー、右の者がベルノルトと申します」
「ご紹介ありがとうございます。お会いできて光栄です」

 やや緑がかった短髪の丸眼鏡の中年男性は、にこやかに手を差し伸べてくる。リーファは満面の笑みでアルノーの手を取り、握手した。
 ハンフリー、ベルノルトとも握手を交わすと、アルノーは少し顔を曇らせリーファに訊ねてきた。

「しかし、驚きました。
 ラッフレナンド王陛下は独身でいらっしゃると聞いていたのですが、既にご結婚なさっていたのですね」
「ああ、それは───」

 アランが何かを言おうとしたが、リーファはすかさずイヤーカフを右側だけ外し、遮るように畳みかけた。

「あら、ふふ。陛下の言葉遊びに引っかかってらっしゃいますネー。
 妃と言っても、陛下の奥方となる方、付き人と、意味は色々ありますカラー。
 私は、陛下の側に添わせて頂いている、しがない側仕えですワー」

 この無駄に良く通る声で良い思いをした事はあまりないが、今回ばかりは役に立ったと言わざるを得ない。
 アルノーはリーファの話をちゃんと受け止めてくれたようで、目を丸くはしていたがすぐに笑顔で応えてくれる。

「…ああなるほど、そういう事でしたか。いやはや、陛下もお人が悪い」

 リーファによって”妃”が”側仕え”と定義されてしまった以上、アランはもう訂正する事が出来ない。あっさり引き下がったアランは、溜息を吐いて別の言い訳をしてみせた。

「…独身というだけで、出自の分からない娘を王に見初めてもらおうとする者が多いのです。
 彼女はラッフレナンドにまつわる呪いを解き、国を脅かしかけた災いを払い、今こうして城を守ろうと身を削ってくれている。
 良い正妃を得る為、彼女の有能さは良い防波堤と言えます」

 そしてリーファの肩に腕を回して引き寄せ、愛でるように茜色の髪にキスを落とした。

「へ、陛下…」

 さすがにこういう行動をされると、リーファも反応に困る。振りほどく訳にも行かず、会話に割り込むのも難しい。

 そしてアルノーは、リーファとアランがどういう関係なのか理解したようだ。その光景を見て苦笑している。

「『見合いをしたければ、リーファ殿よりも優れた娘を連れて来い』、と。
 ふふ、陛下は女性に厳しいですね」
「国をより良く治めて行こうと思うと、どうしても女性に多くを求めてしまうものなのですよ。悪い癖だとは、思っているのですがね」

 そう言って、アランはリーファを解放した。茶番は終わりだという事なのだろう。

「時にリーファ。お前は今何を?」
「あ、はい。師匠より庭園下保管庫から必要な物を取ってくるように言われてまして」
「ああ、この下にあるという…」

 そう言って、アランは庭園の東屋を見やる。

 八本の大理石の柱で屋根が支えられた東屋は、ラッフレナンド城の華とも言える場所だ。石のテーブルはケーキスタンドがとても良く映える鏡面仕上げだし、同材質のベンチ四基は長時間座っていても腰が痛くならないと評判らしい。

 東屋の周囲には四季折々の花が彩り、目を楽しませてくれる。来賓を招いて東屋でのティーパーティーは、この城のイベントの一つだ。

 リーファは使った事がない。わざわざメイド達に手間をかけさせてまで、東屋で茶を楽しむ趣味はない。側女の部屋からこの庭園は一望できる為、花を楽しみたいならベランダから見下ろした方がずっと気楽でずっと見晴らしが良いのだ。

 そんな庭園の真下に、魔術師王国時代の保管庫が眠っている───という話は、かなり早い段階から聞かされていたが、五日前にターフェアイトがパスワードを思い出し、ようやく入る事が出来たのだった。

「魔術師王国時代の遺構の一つでもあります。
 明後日の儀式で寄る事はありませんし、お時間があるのでしたら見学なさいますか?」

 イヤーカフを付け直したリーファからの提案に、アルノーの顔が綻ぶ。

「おお、よろしいのですか?」
「はい。先日ようやく中が確認出来るようになりまして。
 雑多に置かれている物置なのですが、当時の王国を知る良い施設かと思います。
 …ええっと、陛下、よろしいですね?」
「私も見た事がないしな。良い機会だ。中を検めておこう」

 アランからも許可を得られ、リーファは手を東屋の中央へと差し向けた。

「それでは皆さん、こちらのベンチにおかけください。
 メイドの方々は、東屋の外側で待っていて下さいね」
「かしこまりました」

 東屋の階段を上がり、そわそわした面持ちでアルノーと教え子達がベンチに座っていく。アランも空いているベンチに腰掛ける。

 メイド達が東屋の外側で待機した事を確認すると、リーファはテーブルに手を置き、保管庫を開ける呪文を唱え始めた。

「”リーファ・スレドゥロ・ダエツスニ・フォ・ターフェアイト───ネポ・エウツ・ロゥド”」

 短い呪文を終えると、テーブルの天板に複雑な模様の円陣が黄色い光を帯びて現れた。
 東屋と庭園を遮るように、シャボン玉の膜のような虹色の壁が出来上がる。

 そして、リーファ達のいる底面だけが、ずずん、と音を立てて下へと降りていく。