小説
古き世代を看取って
 もう少しで、謁見の間で来賓を交えての立食パーティーが行われる。
 部外者であるターフェアイト、側女であるリーファは出席出来ず、カールだけがシステムの関係者としてパーティーに呼ばれる事となった。

(最大の功労者がパーティーに出られないとか、どうかしている)

 上の決定を不服に思いながら、カールは兵士宿舎の新しい自室で礼服に着替えている。上、と言っても、恐らく一番上はカール同様納得していないのだろうが、そこを覆せない腹立たしさはあった。

 新しくなって間もない部屋は、まだ自分に馴染まない。

 上等兵の部屋は一人一部屋となり、以前にはなかったベランダが備わっている。
 一見何の変哲もない個室だが、魔術による改良は至る所に加えられているらしい。ベッドには、寝ている体勢に合わせて負荷を変えてくれる紋が刻まれており、机に置かれたランプは、傘に触れるだけで灯りがつくようになっている。
 他の家具にも便利な機能がついているらしいが───

 ───かちゃん

「よっ、カール」

 唐突に、ノックもなく、恥じらいもなく。ターフェアイトは、いきなりカールの部屋へ入ってきた。

 その時のカールの格好は、紺色の上着のボタンは留めていないがインナーは着ており、ズボンも履いている。
 恥じらう事など何もないのだが、つい上着で体を隠す動きをしてしまう。

「た、ターフェアイト師!ここは兵士宿舎だぞ!?」

 男の恥じらいがそんなに愉しいのか、ターフェアイトは扉を開けっぱなしにしたまま、とても嬉しそうにカールにすり寄ってきた。

「つい昨日まで出入りしてたんだ。今更だろう?着替え見られて恥ずかしい年頃じゃあるまいし。
 そ、れ、と、も。ちょっとニッチなエロ本でも見てたのかい?」
「そんな訳があるか!何の用だ」

 つっけんどんな対応に唇を尖らせたターフェアイトは、そんなカールの目の前に何かを差し出してきた。

「せっかちだねえ…まあいいさ。はいこれ」

 差し出したカールの手の中に収まったそれは、紫色の宝石のネックレスだった。

 シルバーのチェーンに、涙のしずくのような形状の宝石が通されたシンプルなデザインだ。華美ではないから、男性が身に着けても笑われる心配はないだろう。宝石は、地下の魔術陣に供えられた物とよく似ているから、恐らくアメジストか。

「これは…?」
「餞別だよ」
「餞、別…?」

 耳を疑う言葉に、カールはつい聞き返してしまう。
 しかしターフェアイトは疑問に答えず、カールの事を懇々と話し始めた。

「あんたはちょっとばかし情緒が不安定だ。生理前の女子かよ、って思う位にね。
 だが魔術の行使ってのは、その情緒が成否に深く関わってくる。
 必要な時にやらなきゃならない事が不完全だなんてのは、魔術師としちゃ半人前さ」

 カールの手の中の宝石を、ターフェアイトは人差し指で強く押さえつけた。

「そいつは感情を安定させる作用がある。
 イラついたり緊張した時は、そいつを握りしめて深呼吸しな。
 感情の波が静まり冷静に対処出来るように───」
「い、いや。そんな事はどうでもいい!」

 ターフェアイトの言葉を遮り、カールが声を荒げた。彼女が無表情のまま黙り込むと、カールは吐息を零す。

「まさか…もう、行ってしまうのか………?」
「ああ、お別れだ」

 淡々と、しかし微笑をたたえて、彼女ははっきりと答える。

 その唐突さは、ターフェアイトがこの城に現れた時に似ていた。
 前兆なんてものはなく、陽気も穏やかで、日常が覆るなど思いもしなかった時に現れた、いきなりの嵐。
 きっと城を去る時は、何も言わずに去って行くに違いない───そうも想像していた。
 だから、彼女がこうしてカールに別れの挨拶に来たのは、そうさせるだけの理由がこのペンダントに込められているのだろう。そう思いたい。

 カールは背後の夕焼け空を思い出し、その優しさに似た何かに縋りたくて、ついターフェアイトを説得してしまう。

「し、しかしじきに日が暮れる。今から外へ出るのは危険だ」
「やあねえ。アタシは魔女だよ?夜盗だってビビッて逃げ出すさ」
「お、オレは弟子としてまだ未熟だ。教わりたい魔術も知識も、山ほどある」
「それはリーファに任せてある。これからはあの子に頼んなよ」
「しかし───」
「ねえ、カール」

 甘えるように名を呼ばれ、今度はカールが言葉を失ってしまう。

 元より、ターフェアイトを引き留める材料の持ち合わせはない。カールでは説得は不可能なのだと自覚もある。
 それでも、ここにいて欲しいのだと。導いて欲しいのだと。我が儘を聞いて欲しいのだと、言いたいのに。
 ターフェアイトに名を呼ばれただけ。たったそれだけで、思考の全てが止まってしまった。

 ハイヒールの高さも含め、身の丈がカールとさほどの変わらないターフェアイトの青紫色の目とかち合う。

「あんたは、アタシの最後の弟子だ。
 リーファで最後にしておこうと思ってたアタシを、あんたは認めさせたんだ。
 大魔女ターフェアイトの弟子として、しっかりやんなよ?」

 そして薄く笑った妙齢の美女は、カールの頬に手を伸ばし、反対の頬に軽くキスをした。

「──────」

 間合いに入られた時も、頬に触れられた時も、キスをされた時も、全く抵抗が出来なかった。これが『魔術の仕業だ』と言われたら、素直に信じただろう。

 キスされた頬に手を置き頭が真っ白になって動かないカールを見て、ターフェアイトは意地悪な笑みを浮かべた。ぺろ、と真っ赤な唇を舐める。

「ごちそうサマ。じゃあね」

 彼女は気だるげに手を振って、扉の向こうに消えて行ってしまった。

 ぱたん、と扉が閉じたのをきっかけに、カールはようやく我に返る。

「し───師匠…!!」

 もう二度と会えないような気すらして、カールは中途半端な格好のまま自室を飛び出した。

 彼女が出て行って時間は立っていないはずだが、廊下を見回しても誰もいない。西の空から窓越しに差し込む日の光が眩しく、カールは目を細めた。
 視界の先に、階段から上がってきた一人の兵士の姿を捉える。こんな時間に宿舎に戻ってくるのは、勤務を終えた者くらいだ。

 カールは兵士───同期のエルメル───に慌てて声をかけた。

「エルメル!」
「んお、どうしたカール?お前パーティーに呼ばれてるんだろ?早く行けよ」
「そんな事はどうでもいい!
 師匠は───ターフェアイト師は見なかったか?!」

 オリーブグリーンの髪の青年は、カールの焦燥を怪訝な表情で見つめている。

「…いや、見てないな。
 いるとしたら本城の居室か、リーファ様の部屋じゃないのか?」
「ついさっきまでここにいたんだ!!」
「え?は?いやそれはないよ。俺、今誰ともすれ違わなかったもん」
「もういい!」

 埒が明かず、カールはエルメルを押しのけ階段を降りていく。

 転がるように降りて行き、1階の廊下をぐるりと見回し、人の影がない事を確認してすぐに宿舎の外へと走り出す。

「あ、リーファ様の部屋には行くなよー?
 リーファ様相当お疲れらしくて、もうお休みになってるそうだからなー」

 ターフェアイトの居室へ走って向かうカールに、エルメルからの忠告が2階から飛んできた。

 ◇◇◇

 ───結局。
 パーティーの開始時刻いっぱいまで城の中を探し回ったカールだが、ターフェアイトの姿を見る事は叶わなかった。

 1階の居室には、王宛ての手紙が残されていた。
 躊躇うまでもなく開封すると、中には、疲れたから帰る事と、後はリーファとカールに任せる事が書かれてあった。
『せっかく直したんだから、末永く使っておくれ』と、もう二度とここへは来ないと思わせる文も書かれていた。

 カールはターフェアイトに言われた通り、渡されたネックレスを握りこんで呼吸を正した。
 確かに感情の高ぶりは内側に沈んで行くような気がしたが、それでも零れた一滴の涙は抑える事が出来なかった。