小説
古き世代を看取って
 喉の通りが良くなるよう、水を入れたコップを差し出したが、ターフェアイトは一口二口含んだだけで飲むのを止めてしまった。もう食事もままならない程衰弱しているのだろう。

「ちゃんとカールさんにお別れの挨拶はしてきた?」
「あんたが代わりに、渡すのを渋るから………仕方…なくね。
 ついでに、あっついキッスも、してやったさ………ひっ、ひっ、ひ」
「えっ」

 とんでもない事を口にする師に、リーファは絶句した。

 確かに、カールへの贈り物を預かるのを渋っていたのは確かだ。渡したいならターフェアイトが渡せばいいし、仮にリーファが渡した場合、カールにターフェアイトの事情を話すには時間が無さすぎた。

「そ、そこまでしろって言ってないのに………かわいそうな事を」

 魂の姿は艶めいた妙齢の美女だったが、外見はこの有様だ。厳密に言えば、この老女すらもターフェアイトの肉体ではない。
 普通の人間ならとうに塵と化しているような年齢のターフェアイトのキスを受けてしまったカールに、リーファは心底同情した。

 そんなふたりの会話を聞いて、ラザーがリーファに訊ねてきた。

「…りーふぁ。かーる、ってだぁれ?」

 ラザーからすれば、全く知らない人間だ。リーファはどう説明しようか少し考えて、当たり障りがないよう答える。

「ターフェ師匠の最後の弟子よ。すごい人なんだから」
「…りーふぁよりも?」
「私なんか比べ物にならないよ」
「…そいつきらい」
「なんで!?」

 何故か声を低くして機嫌悪く絡みついてくるラザーに、リーファは思わず突っ込みを入れてしまった。

「ひゃっ、ひゃっ、ひゃ。
 そりゃ…自分の主人より…強いヤツは、使い魔は…嫌だろうよ…」

 本来、使い魔に感情と言うものはないはずなのだが、活動期間が長くなるにつれて似た機能が働く事はあると聞く。ラザーの言動は、そうした力によるものなのかもしれない。

「な、なるほど…そういうものかぁ…。
 ───だ、大丈夫。私だって負けてないんだから、ね?」
「…ん」

 ラザーの頭頂を撫でてやると、それで少しは機嫌が良くなったようだ。子供のように、リーファにより一層くっついてきた。

 そんな光景を眺め、ターフェアイトはにやにや笑う。うっすら覗けた口中の歯はぼろぼろだ。
 すっかりくたびれてしまった師匠の姿を見て、リーファは表情を殺して訊ねた。

「…なんで」
「うん?」
「なんで、転生をやめる気になったの…?」

 リーファの責めるような問いかけに、ターフェアイトの笑みが消える。

 ターフェアイトが使う転生魔術は、生きている他人の肉体に乗り移り魂を取り込んでしまう邪法だ。言うまでもなく、魂を回収するグリムリーパーから見ても喜ばしくない力だ。

 ターフェアイトは死にかけの身ではあるが、それは今の肉体での話だ。新たな肉体を調達すれば、彼女は再び新たな肉体で生きていけるはずだったのだ。
 城の結界とシステムの再構築などという、大事業を為そうなどと考えなければ。

「今までたくさんの肉体を渡り歩いて、時には無理矢理奪ってまで生きながらえておいて………一仕事終えたら、はいさよなら、ってどういう事?
 城の結界を張りなおす事が、何百年も生き続けてきた理由だったの?」

 ターフェアイトは、詰るリーファから視線を逸らし、不揃いな木の板が並んだ天井を仰いだ。

「そうだね………。
 あの城は、アタシらの誇り………そう、言えたかも…しれないね」
「もうあの頃の魔術師達の王はいないのに?」
「あいつらは、知らないけど。
 アタシゃ、カロ=カーミス…なんざ、どうでもよかった」

 喉も痛いだろうに、ターフェアイトは喋るのを止めない。最後と言わんばかりに、彼女は掠れた声を張る。

「あいつは、頭は良かったが………高飛車で、傲慢、だった。
 他人の話なんざ、聞きやしない。下手に怒らせて…カエルになった、ヤツなんて…星の数だ。
 しかし………ああいうのが、魔術師の、本質…なんだろう。あれに、惹かれるやつらの…多いこと。
 ラリマーなんて…宝石に、変えられて………道具にされかけた、ってのに………よく、あんな場所に残ったもんだ…」

 三百年も前の昔話だ。それがまるで昨日の事かのように、憧憬を織り交ぜた感情がターフェアイトの口から紡がれる。

「だが………あの城の結界を、張る話が……湧いた時、アタシは、人柱の法を試したくて………うずうずしてた。
 …好奇心には………勝てなかったねえ…。
 どれほど長く持つのか………どれほどの、人柱があれば…効果があるのか………。ソースコードは、どれだけ書けば、穴なく防げるのか………そんな事ばかり、考えた…。
 結局アタシも…カロ=カーミスと、同じだったって、わけさ」

 年寄りの長話はまだまだ続く。ユークレースといい、古い時代の魔術師は見た目に関わらず気丈だ。

「…だが…それは皆、同じ事だった…。
 …サフィリンが、人柱の志願して………ジェットが、続いた。
 ルチルは…嫌だった、みたいだけど…。ユークレースに、結局…説得されちゃったねえ………。
『君と最後まで、この城に、在りたい』………だってさ。プロポーズにしちゃあ…これほどひどいものは、ない」

 ひゃ、ひゃ、ひゃ、と胸を痙攣させて、ターフェアイトははつらつと笑った。

「…じゃあ、贖罪の為に生きていた…と?」
「そんな、大層なもんじゃない………ただの、わがままさ…。
 単に、責任者として、同僚として…あいつらの、最後は…見届けて、おきたかっただけ………。
 …もう、ちょっと…早く、行きたかったんだけど…ねえ。革命直後は…魔女狩りも…酷くて、ね………満足に、出歩けなかった…。
 子供たちに…任せてみたんだけど、さ…。二人、連中に……気取られ、殺されて…諦めたっけ………。
 当時の結界は…とても、強力でねえ。魔物はおろか…魂の出入りさえ…ままならなかった。
 ………自分で、作って…おきながら、自分でも、太刀打ち、できない…モン、作っちまって………。あの時は……後悔しきり…だった、ねえ………」

 長く喋り続け、さすがのターフェアイトも疲れたらしい。はあ、と長い吐息を漏らした。
 わずかに顔を傾け、リーファ達を見上げる。

「でも、もう………これで、思い、残す事は、ないね…。
 あいつらも…見送った………結界も…張り、なおした…。
 あた、アタシが、作った…さ、最高、傑作の、結界だ………ちゃんと、維持、しといて…くれよ…?
 …ああ、ここに、あるものと…城に、残したものは…好きに、使っとくれ。
 あと………ええと………まあ、いいや」

 しわくちゃな頬が、ほんの少しだけ紅潮したような気がした。何だか恥ずかしそうに笑うターフェアイトを見下ろし、リーファは呆れたように微笑む。

「なによ、もう」
「………あり、がとう。来てくれ、て」

 師匠の口の端から出たとは思えない心からの感謝に、リーファは目を丸くした。

 ターフェアイトの目尻からは、最後の一滴が滴り落ちる。

 自分が死ぬ訳でもないのに、リーファの脳裏に色んな思い出が蘇ってくるようだ。