小説
捨てられたもの、得られたもの
 リーファとバンデの会話を、唇を尖らせて姉さんは聞いていたが、やがておどおどと自分の皿を持ち上げて見せた。

「ば、バンデ、わたしのパエーリャ食べる?」
「ん?いや、いーよ。そっちで食えよ」
「ガスパチョのおかわりは?持ってこようか?」
「食べたきゃ自分でよそうよ」
「果物は…」
「そこに置いてあるのテキトーに食うから」
「む〜〜〜〜〜〜っ」

 いずれも素っ気なく返事をされて、彼女が悔しそうに唸り声を上げている。
 そんな姉さんを一瞥して、バンデは変なものを見るような目でリーファに訊ねてきた。

「…何怒ってんだ?」
「あまり構ってくれないから拗ねてるんだと思うよ」
「そ、そんなんじゃ!」

 リーファの推理を姉さんは慌てて否定するが、バンデは何故か納得がいったようだ。
 少年は具のなくなったガスパチョを皿から直接すすり、彼女を窘めるように忠告する。

「なあウシチチ。あんまりしつこい女は、チョリソ女みたいに『重い女』って言われるんだぞ」
「───!」

 リーファにはよく分からなかったが、姉さんにとっては顔を真っ青にする程の衝撃的な発言だったようだ。
 口をぱくぱくさせている彼女を見つつ、リーファは唇をなめているバンデに訊ねた。

「ねえ、バンデ。『重い女』って何?」
「ん。ああ。シーロって…ええっと、鍛冶屋のにーちゃんがいるんだけどさ。そのにーちゃんが、ノエミってねーちゃんによく追っかけ回されてんだ。
 こえーんだよ、ノエミ。にーちゃんが好物だったチョリソ乗せた皿持って、全力で追っかけてくるんだもん。
 にーちゃんすっかりチョリソ嫌いになっちまってさー。前に秘密基地にかくまってやった時にさ、『おまえらも重い女には手ぇ出すなよ』って」
「ああ、それで…」

 わくわくしながら教えてくれるバンデを呆れながら見て、リーファは先のやり取りを思い出した。

 ”チョリソ女”はさておいても、構って欲しいが為に声をかける様は、怖い、とまでは行かなくても鬱陶しいと感じてしまう事もあるだろう。他の事に気を取られている時ならば尚更なはずだ。

(私も、アラン様に重い女って思われてないかな…?)

 よくよく考えたら、『アラン様の為に、アラン様の為に』と寝ても覚めても考えているのは、十二分に重い女と言える。

(反省しよう…)

 リーファは独り猛省したが、姉さんは自分の行いをそうとは思わなかったようだ。泣きそうな顔でバンデに弁解している。

「わ…わたしはチョリソ女とは違うわ!ただバンデが町での事話してくれないから…!」
「いやだって。チョリソ女の事は知ってるだろ?今更話す事じゃねーじゃん。
 町に行くのだって、サントスとラモンとゴンサロと遊んでんの、いつもだし」

 バンデの言いたい事が何となく分かって、リーファはつい口を挟んでしまった。

「つまり…毎日同じ事をしてるから、いちいち話す事じゃない?」
「そーそーそゆこと」

 レモンジュースを飲み干して、バンデはこくこくと首を縦に振った。
 リーファはそれで納得出来たが、姉さんはなおも食い下がる。

「でも…でもっ。同じ事だって、何か違う事する時だってあるのだしっ。
 何食べたかとか、どんな遊びをしたとか、どんなお喋りをしたとか、全部同じって事はないでしょ?!」
「だからそーゆーとこが重いんだって」
「──────っ!」

 再び”重い女”発言が飛び出して、今度こそ彼女は声を失った。そして。

「えっ」

 リーファは勿論、バンデもぎょっとした。
 姉さんは肩を震わせ、紅紫の瞳から涙をぽろぽろ零している。

「もう───もう、知らないっ!」

 握り拳を震わせた彼女は、そう吐き捨てて東側の部屋へと入って行った。扉を閉めて、鍵までかけてしまう。

「あ、ああ…」

 部屋の中からぐすぐすと嗚咽が聞こえてきて、リーファはおろおろと戸惑いの声を上げる。何だかとどめを刺してしまったような気がして、後ろめたくなる。

「まぁたやっちまった…」

 頭を掻き、まるで何度もやらかしているような事を言うバンデに、リーファは問いかける。

「ま、またって?」
「最近ずっとこーなんだよ。町の事とか、友だちの事とか、うるさくてさー。
 おれもついムキになっちまって言い返すんだけど、言いすぎるとすねてああやってこもっちまう。
 あの部屋、おれのパジャマやベッドもあるから、こもられると困るんだよなー」
「あー…それは、困るわねー…」

 リーファも、自分が城下で母と暮らしていた頃の事を思い出す。母と寝室を共有していたから、喧嘩などをしてしまい母が寝室に籠るような事態になると、部屋に入りづらくなってしまったものだ。

 バンデは渋々と席を立ち、姉さんが籠っている東の部屋の扉を叩いた。

「なー、悪かったよー。
 スープのトマト、庭に生ってたヤツだろぉ?去年はすっぱくて食えたもんじゃなかったけど、スープすげーおいしくなってんじゃんかー。
 肥料改良して正解だったんだよー。さすがは”スロウワーのはずれ魔女”様だよー」

 大根役者も真っ青な、棒読みの謝罪と称賛の台詞だ。あれで彼女の気を引けるのだろうか、とリーファは疑問に思ったが。

 ───かちゃ…。

「…ほんとにおいしかったぁ…?」

 どうやら扉の側で座り込んでいたらしい。おずおずと姉さんは扉を開けて、バンデを見上げていた。

「あー、おいしかったおいしかった。トマト嫌いなおれでもぜーんぜん大丈夫。
 もー毎日…はいやだけど。時々なら食べてもいいかなーなんて」

 バンデの表情はリーファからは見えないが、相変わらずの棒読みだ。しかしそれでも嬉しかったのか、姉さんは座り込んだバンデを抱き寄せて、涙を零していた。

「ありがとう…ありがとうね…。わたし頑張って、料理覚えるから…。
 バンデがピーマン好きになれるように、わたし努力してみるから、待っててね…」

 どさくさに紛れて、バンデがだらしない顔で姉さんの胸を揉みしだいているように見えるが、彼女はあまり気にしていないようだ。

(姉さん…ちょろい…)

 家族の温かい光景を半眼で眺め、リーファはレモンジュースをずずっと飲み干した。