小説
捨てられたもの、得られたもの
 あれからすっかり目が覚めてしまったリーファとバンデは、ふたりで朝食の支度をした。

 バンデから教わり食卓に出したものは、チュロスとホットチョコレート。昨日の果物が余っていた為、そちらも一緒にテーブルに出した。

 寝坊した姉さんが慌てて寝室から出てきた頃には概ね支度が済んでおり、積極的に手伝いをしているバンデの姿を見て彼女が目を白黒させていた。

 ◇◇◇

 食事を終えて片付けをしている中、テーブルを拭き終えたバンデが姉さんに話を持ち掛けた。

「おいウシチチ。おれに魔術を教えてくれ」

 目上の女性に対するお願いにしては、あまりにも酷い暴言と一緒だ。食器をすすぎ水切りカゴに置いた姉さんは、当然嫌な顔をした。
 しかし、見下ろした先のバンデがあまりにも真剣に見上げてくるものだから、少し戸惑ったようだ。

「え、ええ。それはもう。そのつもりだったのだし。…でも、なんで急に…?」
「皆殺ししたいんだ」
「…はっ?」
「魔術覚えて、かたきうちして、帰ってきたいんだ!
 部屋別々にして、ムラムラするからなんとかしたい!」
「えっ?えっ??ええっ???」

 あまりにまとまりのない要求をいっぺんにぶつけられ、姉さんが困惑に困惑を重ねてしまう。

 食器を拭いつつ戸棚に片付けているリーファは、そんな光景を見て失笑してしまった。

「バンデ。姉さんが困ってるじゃない」
「お、おう。わりぃ」

 気持ちが逸っていたバンデが我に返り、シンクに濡れ布巾を戻す。

 決意を固めたバンデと、知った風なリーファを交互に眺め、姉さんは怪訝に眉を顰めていた。

「…一体、何があったの…?」
「そうですね。まずは昨晩…というか今朝方あった事から話をさせて下さい。
 …バンデ、いいよね?」
「お、おう」

 急に緊張し始める少年を温かい目で一瞥し、姉さんに声をかけた。

「せっかくですから、あちらの黒板を使いましょう。色々ありすぎて、言葉だけでは伝えきれないと思いますから」
「…う、うん」

 只事ではないと肌で感じたのだろう。姉さんもまた緊張した面持ちをして、バンデと一緒に授業スペースに移動していく。
 リーファもまた、水切りカゴの側に布巾を置いて、授業スペースへと歩いて行った。

 バンデと姉さんは子供用の木の椅子にそれぞれ腰掛け、リーファが教壇に立つ。

 場が整ったのを見計らって、リーファは一呼吸して肩の力を抜いた。あまり感情を出さず、淡々と姉さんに告げる。

「えっと、まずですね。今朝方なんですが…。
 私はバンデに、寝込みを襲われました」
「は」

 聞き逃すまいと傾聴していた姉さんが、信じられない様子で顔を強張らせた。
 顔を青くして手をパタパタと振り、確かめるようにリーファに訊ねてくる。

「え、あの、ええっと。───せ、性的、に?」
「ええ。未遂でしたが、性的に」
「!!!」

 彼女は今度こそ顔面蒼白にして、左にいるバンデに顔を向けた。
 バンデはそんな視線が耐えられないようで、気まずそうに明後日の方へ顔を向けている。

 リーファはチョークを手に、背後の黒板に”急務!バンデの個室の確保”、”理由:性衝動の発露”と、あまり上手とは言えない字を書いていく。

「まあそこはいいんです。未遂でしたし、ちゃんとおしおきもしたので」

 しれっとリーファが言い足すと、バンデに戸惑いの目を向けていた姉さんが、肩を震わせて顔を上げた。

「よ───よくないよ!?若い女の子に、そんな事…!」
「とりあえずいいという事にしておいて下さい。そこで止まると話が進みません。
 …それでですね。詳しく聞いた所、姉さんにも同じ事をしていたそうなんです」
「──────っ」

 青くなっていた姉さんの顔は、今度は一気に赤くなっていった。
 どうやら心当たりがあるようで、大量に汗をかき始めた頬に手を置いて俯いている。

「でも、そちらも大体未遂らしいので、どうぞ気にしないで下さいね」
「き、気にするよ!?
 い、いえ、そうではなくて、未遂??大体ってどこから?どこまで???」
「そこは後でバンデから詳しく聞いて下さい。その方がより正確でしょうから」

 パンパン、と景気の良い音を立てて手のチョークの粉を払い落しながら、リーファは姉さんに向き直った。

「それで思ったんですが…。
 姉さん、あなたバンデと距離が近すぎるのでは?」
「………………。そ、そうなの、かなぁ…?」

 核心に触れると、姉さんは首を傾げて誤魔化してみせる。頬を染めてはいるが、あまり自覚はないようにも見える。

(姉さんって、もしかしたらあんまり大人の男性と接した事ないのかもなぁ…)

 彼女の反応を見ていると、何となくそんな事を考えてしまう。

 バンデに対しては子供の様に扱っているし、町の男性から向けられている視線もあまり気にしてはいないようだ。
 男性の肉欲というものが分かっていないから、自身の女性としての魅力に無自覚なのかもしれない───そんな風に見えてしまうのだ。

「…私も一人っ子なので、距離感については自信はないんですけどね。
 でもバンデに色々話を聞いて、女性の体に興味を持ち性衝動が強くなってしまう年頃が今なんだなって思いました。
 バンデの場合、バイコーン由来の特性もあるかもしれなくて…、姉さんの匂いに強く惹かれてしまうみたいなんですよね」

 再び黒板に向き直り、”バイコーンの特性も?”と書いておく。

「じゃあ、臭いって言ってたのは…そういう?」

 姉さんがバンデに問い質すと、少年は顔を合わせず、気まずそうに頷いた。
 その仕草で、バンデが今までどれだけ我慢してきたのか察したようだ。溜息を零し、彼女は物憂げに目を細めた。

「…ちょっと前まで、一緒のベッドで寝たり、お風呂で背中の流し合いっこをしていたのに…。もう、そんなに大きくなってしまっていたのね…。
 この間、珍しく朝お風呂に入っていて…。下着を自分で洗っているから、随分きれい好きなのね、って感心していたのに…」
「パンツ汚れると気持ち悪いんだよ…最近匂いきつくなってきたし」
「そ、そうだったのね…」

 俯いたまま呟いたバンデの言葉に、姉さんは配慮が足りなさ過ぎた事を自覚したようだ。

 リーファは姉さんに顔を向け、黒板に書いた内容を指でコツコツ叩いた。

「だからまず、姉さんとバンデの部屋を分けてあげた方がいいと思います。
 空いている部屋があればいいんですが…」
「そっちの部屋がいーんだけどな」

 と言ってバンデが指差したのは、黒板側にある西の部屋だ。家の外観を見る限り、恐らく寝室程度の広さはあるだろうか。