小説
捨てられたもの、得られたもの
 妹弟子のリーファが家を出て三時間が経とうとしていた頃、エルヴァイテルトの”スロウワーのはずれ魔女”の家では、家主が昼食に使っていた食器の片付けをしていた。

 リビングルームに人の影はない。バンデは荷物整理がまだ終わっておらず、食事を終えてすぐに西の部屋に籠ってしまったのだ。

(昨日は悪い事を言ってしまったわ…)

 すすいだ食器を水切りカゴに入れた彼女は、溜息と共に先日の発言を後悔していた。

『あなたなんて来なければ良かった…』

 自分が抱えていた色んな問題を提起され、バンデと離れ離れになってしまう可能性すら示してみせた、妹弟子リーファに吐き捨てた言葉だ。
 思えば、自分が孤独を恐れていた事などリーファが知るはずもない。取り乱すなど思ってもみなかっただろう。

 服装の指摘も正しかった。

 今日スロウワーへ出かけたら、繕われた服を町の女性達に褒められた上、『ああやって男どもをたぶらかしてるのかと思った』と笑われてしまったのだ。
 あれが普通だと思い込んでいたから、恥ずかしさ半分落ち込み半分、何とも複雑な気持ちになった。

 幸い、この後一度戻ってくると言っていた。アサガオの蔓の使い魔と、幾ばくかの荷物を持ってきてくれるらしい。
 使い魔は、ターフェアイト師匠の身の回りの世話をしていたというから、基本的な家事は出来るだろう。使い魔が城に居る事を気にかけていたリーファにとっても、彼女にとってもありがたい話だった。

(…帰ってきたら、お礼を言わないといけないわ…)

 バンデの悩み、自分の至らなさ、そして使い魔のお礼を言いたい。
 繕い物のやり方も教わっておきたいが、それはさすがに図々しいだろうか。

 ───ザッザッザッ…

 そんな事を考えていたら、複数の靴が地面を蹴る音が聞こえてきた。

(…リーファかしら?)

 顔を上げると、窓越しに見慣れない人影が二つ歩いていた。リーファではない。男性だ。

「失礼」

 カチャン、と音を立てて玄関の扉が開かれ、彼らはこの家に入ってきた。

 彼女は怪訝に眉根を寄せた。遠目で見る限り、町の人間でもないようだ。
 何の用かは分からないが、この丘をわざわざ登ってきたのなら自分に用があるのだろう。

 彼女はぱたぱたとスリッパを鳴らして、慌てて玄関へと走って行った。

「は、はい。どなた?」

 緊張しながら遠巻きに玄関に立ち、青年たちを見つめた。身なりはしっかりしているようだが、強盗の可能性だって勿論ある。

 一方は黄土色の髪、もう一方は薄墨色の髪を刈り上げている。年齢はどちらも二十歳代くらいだろうか。灰白色の礼服を着崩した青年達だった。

 彼らの胸元についている、紺瑠璃色の旗を模したバッチに目を留める。

(あのバッチ…どこかで)

 目を細めバッチを見つめる。中央に刻まれている紋は、この国の国章だったはずだ。

 彼女が胡散臭そうに見つめていると、黄土色の髪のぶっきらぼうな雰囲気の青年が訊ねてきた。

「魔術師を探してる。あんたが、■■■■■■■■■■■か?」

 その名前に心当たりはなかった。というか、何と言っているのかさっぱり聞き取れなかった。
 いつもの、”自分を示す認識出来ない名前”とも違うようだった。

 だが少なくとも、そんな珍妙な名前ではないと言い切れたから、彼女は『違うわ』と答えようとした。

 なのに。

(───?)

 口が動かない。
 彼らの姿がぐにゃりと歪む。
 いや、視界に映っているもの全てがぼんやりと遠のいていく。

(なに、これ)

 力が抜けていく。
 体を置いて、意識だけが後ろの方へ引っ張られて行くような嫌な感覚が、彼女を支配しようとしている。

(いや)

 この感覚は、どこかで触れたはずだ。でも、それがどこかは分からない。

(やめ、て)

 そして彼女はとうとう堪えきれず、自分の意識を手放した。