小説
捨てられたもの、得られたもの
 化け物でも見ているような形相で睨むディマスに、リーファは冷めた目で言葉を返した。

「…そちらの常識で言われても困るわ。
 私は個人指導だったから、他がどうかなんて知らないし。
 それにうちの師匠の方が、もっと速くてもっときついヤツを打てたわ」
「師の名は?」
「…余所の国の僻地の魔術師の名前を聞いて何になるか知らないけど………ターフェアイトよ」

 何の気なしに師匠の名前を出した途端、アリルとディマスの顔色が変わった。

「は!?」
「ターフェアイト…!?」

 彼らの反応は、心当たりがあると言わんばかりだ。
 リーファはつい不思議そうにふたりを見てしまったが───すぐに、思い直す。

(…あ、そっか。姉さんがわざわざ国を越えて弟子になった位なんだから、知ってる人もいるんだ…)

 思い返すと、ターフェアイトの遺品にはリーファが読めない文字の本などもたくさん出てきた。あちらこちらを旅した時期もあったのだろう。

「い、いや、ありえねえだろ!二百五十年以上前の魔術師だぞ!?」
「二百五十年って…最近亡くなったけど、あの人は四百年近く生きてた人よ?
 …そんなに有名なの?」
「当時の”外海の覇王”を単身で封じ込めた、エルヴァイテルトの大英雄だ…!」

 取り乱したアリルと苦々しげなディマスの言に、つい感嘆の吐息が零れた。周囲を引っ掻き回していたのでは、と思ったら、普通に人助けをしていたらしい。

 しかし、我が儘で物臭な生前のターフェアイトとどうにも繋がらず、リーファはつい小首を傾げてしまった。

「………へー」
「聞いといてどーでもよさそうだな!?」

 すっかり調子を取り戻しているアリルが、けたたましく突っ込みを入れる。右手の甲は多少腫れているが普通に会話も出来ているし、びっくりする程の頑丈さだ。

「どうでもいいわ、私の事情じゃないもの。
 …それで?
 私がターフェアイト師匠の弟子なら、あなた達は尻尾を巻くってさっさと帰ってくれるの?」

 顎を上げたリーファの問いかけに、アリルとディマスは即座に黙り込んだ。そして───

(風向きが変わった…)

 男達が互いに目配せをする。ただそれだけの仕草で、リーファは彼らの雰囲気の変化を察した。
 遊びから本気に切り替えた、とでも言うべきか。彼らの中で、何をするべきか考えが定まったのだろう。

 そもそも、あちらは男性が二人、こちらは女性が一人だ。目的は分からないが、こちらを力でねじ伏せようと思えば、幾らでも出来たはずだ。
 即座に強硬手段に移行しなかったのは、穏便に事を済まそうと思ったからに他ならない。

「…俺たちの任務は、かつて国家特級魔術師の付き人をしていた女魔術師の回収だったな。アリル」
「…あぁ、ディマス。
 最近見つかった遺跡に、フェミプス語で封がなされた石室があったんだったなあ。
 歴史的観点から見ても、古代兵器が眠ってる可能性は高い。
 石室の開放は、国の最優先事項ってやつだ」

 時間を稼ぐかのようにディマスとアリルが語り出し、じり、とリーファとの距離を詰めてくる。
 アリルは気だるげにズボンのポケットに手を突っ込み、ディマスがさりげなく腰の後ろに手を回している。

 一方のリーファは、両手を自然に下ろして彼らを交互に見やるだけだ。

「件の国家特級魔術師は、『付き人がフェミプス語を習得している』と吹聴していたらしい。手がかりを得て、ここに来た訳だが…」
「人手は多いに越したこたぁねえよなぁ」
「同感だ」
「…あら。それって、私と彼女を雇いたいって話?」

 リーファがすまし顔で訊ねると、アリルが眉をハの字に歪めてせせら笑う。

「あん?んな訳ねえだろうが。
 オレ達の任務は回収だ。雇用じゃねえんだよ。
 お国の為だ。身を粉にして無償で奉仕しろ。拒否は許されない、ってやつだ」

 そして蛇のように縦に割れた舌を出し、いやらしく唇を舐めた。

「ま、うまく取り入れば、”特魔”の愛人位にはなれるかもなあ」
「そう、それなら良かった」

 にっこり微笑んでそう応じると、アリルが怪訝な顔をした。

 足を止めたアリルとディマスを交互に見て、リーファは笑顔を崩さないまま、ぽつりと呟いた。

「なら、全力で抵抗していいわね?」

 ───シャンッ!!

 アリルの背後から響いた、刃が縦に煌めく音。それが奏で流れ落ちると共に、余裕の表情を浮かべていた彼の体がびくりと震えた。

「あ…?」

 驚きとも悲鳴ともつかないか細い声が口から漏れて、糸が切れた人形のようにアリルの体が床に崩れ落ちた。

「アリル!?きさ───」

 いきなり倒れたアリルに驚いた瞬間。臥したアリルに顔を向けた数秒。慌てて向けたリーファへの敵意。
 ディマスがとった一連の動作の何もかもが、リーファにとっては絶好の機会だった。

「”穿て”!」

 ディマスの言葉を遮って、リーファは間髪入れず指先からの魔術を解放した。

 ───ぼっ!

「ぐうっ!!」

 空気の塊が胸の中心に直撃して、ディマスは受け身も取れずに床に倒れ込んだ。同時に、手に隠し持っていたナイフがカツンと音を立てて零れ落ちる。
 彼はすぐさま体を起こそうとするが───

「くそっ───あ」

 頭上にあった鈍色の刃は、彼にもちゃんと見えたようだ。
 ギロチンの刃のように高らかに掲げられたそれが、恐怖に顔を歪ませたディマスの下へ落ちて行く。

 ───シャンッ!!

「───っ!」

 サイスの刃が、ディマスの胴に落ちて床下へ消える。声すらも上げられぬままディマスの体が震え、力なく床に沈んだ。

 一瞬にしてリビングルームに静寂が訪れる。その場にいる誰もが沈黙し、動かなくなる。

 ───ばさっ

 ディマスとの繋がりが切れたからだろうか。使い魔の青い鳥は、外の物干し台から落ちてただの鳥の死骸に成り下がっていた。

「………………………ふーーーっ」

 長い長い静寂を打ち切る様に、リーファは大きな溜息を吐く。途端に力が抜け、その場にへたり込んでしまった。

 リーファは座ったまま、改めてリビングルームを見渡す。

 姉さんは、相変わらず目を覚ます気配はない。
 バンデは起きてはいるが顔をしかめており、うつ伏せのまま起き上がれていないようだ。
 ディマスとアリルは目を見開いたまま床に倒れ、その上に刈り取られた魂が浮いている。

 そして。
 サイスを操っていたグリムリーパーのリーファが、床下からひょっこりと顔を出した。
 いざという時の為の奥の手は、早い段階で床下に潜ませていて正解だったようだ。

「…最初からそれやっとけばよかったんじゃねーの…?」

 座り込んだリーファの体にグリムリーパーが消え行くのを眺めながら、バンデが呆れた様子でぼやいている。

「私だって、魂を刈るのに罪悪感が無い訳じゃないの。話し合いで解決する方が疲れないしね。
 …さあ、まずは怪我を治しましょう」

 緊張から解放されて膝ががくがくしているが、あまりのんびりもしていられない。
 胸ポケットに入っていたネックレスを首につけたリーファは、気力を振り絞ってバンデの所へと歩いて行った。