小説
捨てられたもの、得られたもの
 姉さんの血を使って、アリルとディマスに彫り物を入れる。本人に気づかれない場所が良かったから、服に隠れやすい後ろ首の下にした。
 魂を戻した後、姉さんの声に魔力を乗せ、彫り物を介して精神が酩酊状態になるよう魅了魔術を施す。
『回収しようとした女魔術師は使い物にならない。連れ帰るだけ無駄だ』と言い聞かせ、そのまま帰らせる。

 ───というのが、アリルとディマスに行う”穏便に帰ってもらう方法”だ。

 門外漢なリーファは上手く行くかどうか懐疑的だったが、先に施したアリルがだらしない顔で家を出ていく姿を見て、すぐに考えを改めた。

 今はディマスに魅了魔術を施している所だ。

 余計な視覚情報がない方が魔術はかかりやすいだろうと考え、リーファ、バンデ、ラザーは、西の寝室に待機させられていた。

 学校だった頃の備品だろうか。大層な装飾の回転椅子に乗ってはしゃいでいるラザーを一瞥して、リーファは絨毯の上に座ってバンデに顔を向けた。

「そうそう、あなたに贈り物があったの」

 持ってきた茶色いトロリーバッグを開け、四冊の本を取り出す。絨毯の上へ並べて行くと、バンデは怪訝に眉を顰めた。

「なんだそれ?」
「こっちの三冊は魔術関係の本。魔術の勉強に使ってほしくて、私の弟弟子に選んでもらったものよ。
 で、こっちが、男の人向きの性の本」
「セイ…の本?」
「体が大人になっていくと、あなたみたいに女性の体に興味を持つようになるんですって。
 これはそういう年頃になった子への手引書。
 私がお仕えしている王様が、バンデの事を気にして譲って下さったのよ」

 説明をしても、バンデはいまいちピンときていないようだった。しかし気にはなったらしく、性の手引書を手に取って適当にページを開いていく。

「へー………ほー………。
 お…おおう………へ、へええ………。
 ………お………おう………………うん………」

 最初は興味なさそうにページをめくっていたバンデだが、ある時を境に足を組み替えて背筋を伸ばした。食い入るように、後ろのページばかりを見るようになってしまう。

 リーファにも気持ちは分かったが、そこはもっと後になってからの話だ。即座に手引書を取り上げ、閉じておく。

「後ろのページの絵ばかり見ないの。
 文字ばっかりだけど、前のページにも色々書いてあるから、ちゃんと読んで。
 …バンデの為でもあるし、バンデが好きになる女の子の為でもあるんだからね」

 お預けを食った犬のように悲しそうな目で本を追いかけたバンデだったが、リーファの言葉を受けて口元を引き締めた。
 これを渡す事こそが、バンデを一人の男として認めた証───という想いが、届いたかどうかは分からないが。

「…ありがとな。王サマにも、そう言っといて」
「ええ。大事に使ってね」

 ちょっとだけ大人らしい顔をするようになったバンデを満足げに見下ろし、リーファは改めて手引書を手渡した。

 ───カチャ。

 リビングルームの方で扉を開く音がして、リーファとバンデが顔を上げる。
 閉ざされた扉にふたりでそっと耳を当てると、姉さんとディマスの会話が聞こえてきた。

「雨は止んだけど、地面がぬかるんでいるから気を付けて。…元気でね」
「…ああ」

 玄関の近くで聞こえるディマスの声は、どこかぼんやりしている。魅了魔術は効いたようだ。

 こそこそと移動して窓越しに外を覗くと、小箱と手荷物を持ったディマスの後ろ姿が見えた。彼はぬかるみに足を取られながらも、坂道へ続く広場を歩いて行った。

 ディマスの姿が見えなくなった頃合いを見計らって、リーファ達はリビングルームに移動する。
 リビングルームを見回すと、姉さんが窓からディマスの背を見送るように佇んでいた。

「上手く行きました?」
「う、ううん」

 問いかけるも、姉さんの顔色は悪い。肩の上のターフェアイトも、腕を組んで唸っている。

「わたしは、『女魔術師は役に立たない』って言ったのだけど、『女魔術師は死んでたって報告する』って言って聞かなくて…。
 下手に言い直させて魅了魔術が解けても困るから、それで帰してしまったの」

 どうやら、思ったような魔術のかかり方はしなかったようだ。
 アリルはその方法で『んじゃ仕方ねーなー』と理解してもらえていたから、このまま帰してしまうとふたりの間で齟齬が生じてしまう。

 リーファは、術の行使中ずっと姉さんの側にいたターフェアイトに訊ねた。

「いいの?」
「よかぁないけど、勝手に解釈しちまったもんはどうにもならないさ。
 昔似たような事があって、トラウマを刺激しちまったんだろう。初恋の子を死なせちまった…みたいなね。
 まあ一度は帰ってくれるんだ。次もし来たら、その時に考えるさ」

 何ともその場しのぎな話だが、元々この手段はそういう性質を孕んでいるらしい。

 精神系魔術成功の可否は、術者に対する対象者の感情にも左右されるという。要するに、好意を持っていれば効きやすく、敵意を持っていれば効きにくいのだ。
 そこを加味して、成功率を上げる為に血の彫り物を入れたのだ。もし彫らなかったら、失敗していた可能性すらある。
 回収を諦めて帰ってくれただけでも、良しとするしかないだろう。

「ターフェ様、このまま一緒に暮らして下さるんですか?」
「この具現化はグリムリーパーの力によるものだ。リーファが帰ったらアタシはこの姿を保てない。
 …ただまあ、サークレットにとりつく位の事は出来るだろ。身に着けている時だけなら、話し相手になってやるさ」
「やったっ!またいっぱいお話ししましょうね!」
「アタシャ残留思念なんだからね?いつまで会話出来るか分かんないんだから、あんまりアテにしないどくれよ?」

 死に目に会えなかった師匠と一緒にいられる事が決まり、姉さんは上機嫌に飛び跳ねた。肩の上のターフェアイトを手に取って、また頬ずりしている。