小説
捨てられたもの、得られたもの
(遅くなっちゃったなぁ………アラン様、絶対怒るよなぁ…)

 リヤン達に別れを告げ、リーファは”橋渡しの腕輪”の力でラッフレナンドへ向かっている。

 日はすっかり暮れ、視界は一面闇に覆われていて先が全く見通せない。晴れていれば、星々が帰路に彩りを添えてくれたかもしれないが、天上はどこまでも雲が広がり、狙ったかのように雨まで降らせてくる。

 降りしきる雨の中を超速度で飛行となると、風や雨の圧が相当かかると思われるが、そこは腕輪の力で守られているようだ。優しい風が多少頬に触れる程度で、リーファの衣服が雨に濡れるという事もない。
 おまけに、幾つかの深い緑色の光がリーファの周りを飛び回っており、闇へ飛び込む恐怖を少しばかりは和らげてくれる。

(着地地点についたら、まずは風の魔術で雨を防いで、光の魔術で周りを照らして…)

 先の事を考える。多少の濡れは覚悟するにしても、ずぶ濡れの帰還だけは避けたい。

 やがて、纏っている空気が僅かに変化した。暗くてよく分からないが、降下を始めているらしい。腕輪の光に照らされた先を見下ろせば、鬱蒼と広がる草木が雨の雫に踊らされている。

 足先での着地を意識しながら、リーファはその時を待った───つもりだったが。

「え」

 声を上げたと同時に、リーファの闇色の視界が右に九十度回転した。

 ◇◇◇

 ラッフレナンド城、夜。

 既に全ての役所業務は終了し、多くの役人は帰路につき、夜勤の者達の入城は完了している、そんな時間だ。
 この時間ともなれば、城壁門の大扉は閉じられてしまうのが普通だ。側に通用門はあるが、滅多な事では開かれない。

 しかし今日に限っては、大扉が開放されたままだ。
 城の主であるアランが、そう望んでいるのだから。

「本当にこんな時間に側女殿が戻ってくるんですか?陛下」

 アランは今でこそ王という立場だが、兵役時代に同じ釜の飯を食った者達が城内に何人かいる。
 マウリッツ=ブローム兵長は、そんなアランの元同僚だ。

「…そう、聞いているのだがな…」

 溜息を零し、開かれた大扉に寄りかかりながらアランは城下を眺めている。

 石橋のランタンは灯されているがその間隔は遠く、城下側の鉄柵扉周りの衛兵の数は減らしている。兵達に余計な仕事は与えたくなかったから、この閉門時間の延長に割いている人員は最小限だ。

「一度実家に戻ったんじゃ?」
「家の鍵は持って行っていないらしい」
「どこかの町で泊まってるんでは?」
「荷物を置きに行っただけだから、金銭は殆ど持っていないはずだ」
「大体どこに出掛けたんですか、側女殿は。
 城下にいないのなら、この時間じゃ街道は歩けませんよ?」
「………………」

 尤もな指摘をされてしまい、アランは思わず黙り込んでしまった。

 シェリーによると、アランがうたた寝をしている間にリーファは荷物を持って出かけてしまったらしい。
 リーファが来城したと思われる時間の少し前、突き動かされるように何かをトロリーバッグに詰めた記憶はあるのだが、それを済ませた途端どっと疲れてしまって寝入ってしまったのだ。

 目が覚めた頃にはシェリーが紅茶を淹れていて、使い魔もバッグも消えていた。
 リーファは『出来るだけ早く戻ります』と言っていたらしいが、気が付けばこんな時間だ。
 何かに巻き込まれたのでは───と、そう思わずにはいられない。

「アラーンッ!!」

 本城の方から声が聞こえ、マウリッツと共に振り向く。ヘルムートだった。
 この雨では音を拾うのも大変だろうに、”耳”で城下を探ってくれていたらしい。

「リーファ、もう来るよ!街道側で見張ってる兵士と話してるのが聞こえた!」
「おおぉ…すげえなぁ…」

 ヘルムートの耳の良さに、マウリッツが感心の溜息を零している。

「よし」

 朗報が届いて、アランはマントを翻した。雨が降りしきる中、石橋を走り出す。

「いやあのちょ、何で君が行くんだ!?」

 驚いたヘルムートの問いかけに答える時間が惜しく、アランは無駄に長い石橋を駆け抜けていく。

 ◇◇◇

 城下側の衛兵に声をかけ、しばらく大通りを走って行く。この天気でこの時間だ。歩いているのはせいぜい酔っ払い位だ。
 こんな陽気で傘も差さずにびしょ濡れになりながら走っているアランも、相当酔狂と言えるかもしれないが。

 大通りの中央にある噴水を通過した辺りで、視界に見慣れた人影が見えた。
 小柄な女の姿に向けて、アランは息を切らしながら吠えた。

「遅いわ!この馬鹿女が!!一体、どこをほっつき歩いて───」

 身内へのお小言のようにそこまで言った所で、アランは言葉を失ってしまう。
 一方、怒鳴りながら近づいてきたアランに目を留めた女は、びっくりしながら頭を下げていた。

「あ、アラン様?こんな所までわざわざ………ごめんなさい、遅くなりまして…」
「泥だらけではないか…何があった」

 その女は間違いなくリーファだったが、なんとも酷い姿をしていた。

 暗くて良く見えないが、半袖のワンピースと短いケープを羽織っているようだ。しかしその上等な衣服の大部分が泥に塗れており、頬や髪にもへばりついていた。
 そして、どうやら右足を怪我したようだ。あまり強く踏みしめないように、少し足を浮かせて立っていた。

「こっちに降りてきた時、足を滑らせてしまいまして…。
 足も捻ったみたいで、ちょっと走って帰って来るのが難しくて…。
 あの着地地点、昼の内にもうちょっと手入れした方が良かったかなーって…。
 あ、あは、あはははは………」

 さすがに本人も酷いと思ったのだろう。泣きそうな顔で苦笑いを浮かべている。

 リーファの言い訳に、アランは大きい溜息を零した。
 どういった事情かは分からないが、姉弟子の家を発つのがかなり遅くなってしまったらしい。夜になってようやくラッフレナンドへ戻る事が出来て、到着と同時に転倒したのだろう。

(私が『必ず帰って来い』と言ったから真に受けたか………馬鹿な女だ)

 心底腹立たしい気持ちで、アランはリーファに近づいた。

「う、───ひんっ?」

 彼女の脇に腕を差し込み、膝を抱えて抱き上げると、可愛くもない悲鳴が上がる。

「あ、アラン様…」

 困惑と共に腕に納まったリーファの体は、とても冷たく感じられた。日中の暑さで火照っていたアランの熱を、ゆっくりと、貪欲に、吸い上げて行く。

(だが………帰ってきたか。私の下へ)

 アランの鼻腔に、リーファの匂いが掠めた。泥と、雨と、遠い土地の匂いに塗れながらも、体の芯まですり込んだ馴染みの香りが、アランのものである事を再認識させた。

「…心配しただろうが」
「も、申し訳ありません。あ、あの、私泥だらけで」
「知っている。お前のせいだ。罰として正妃になれ」
「…何言ってるんですか…もう…」

 こう切り返されると何も言えず、リーファは唇を尖らせた。アランの温もりを探すように身をよじり、観念したかのように体を寄せてきた。

 腕の中の泥団子が大人しくなったところでアランは踵を返し、城に向かって歩いていく。
 走っても良かったが、こんな有様だから多分戻ったらヘルムートやシェリーから叱られてしまうだろう。どやされるのが分かっているのだから、それなら少しでも遅い方が良い。

「ふふ」

 気が付いたら、リーファがクスクスと笑っている。

「…なんだ」
「何だか、帰ってきてホッとしました。
 やっぱり、アラン様のお側が一番安心ですね…」

 当然の事を今更ながらに言われてしまい、アランは眉間のしわを濃くする。
 違和感を覚えリーファの手元を見ると、握り拳を作っている右手が僅かに震えていた。

(雨に濡れて冷えたか………それとも…何かあったのか…?)

 転んだのはともかく、戻りが遅かったのは事実だ。
 自分には関係ない話であったとしても、城に戻ったら聞いてみてもいいかもしれない。

 アランはリーファを抱え直し、その泥まみれの額にキスを落とした。

「…当然だろう。もう外には出さないからな。
 鎖につないで、首輪をはめて、檻に閉じ込めて、お前が誰のものかじっくり分からせてやる」
「ふふ。アラン様、こわい」

 割と本気に言ったのだが、泥団子は眉をハの字に歪めてクスクス笑っている。その表情はとても安らいでいて、アランもつい笑みが零れた。

 城を仰げば、マウリッツとヘルムートが血相を変えて走ってくるのが良く見える。お説教は、思ったよりも早くに執り行われそうだ。
- END -

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