小説
後日談・間が悪かった者達───”過去を笑いに挿げ替えて・2”
 先の会話でバンデの事を振られ、リーファはついある事を思い出した。

「…アラン様」
「うん?」
「私がもし、誰かを殺しに行きたいって言ったら、アラン様はどうします?」

 キスの後とは思えない物騒な問いかけに、アランは憮然とした。体を起こして背筋を正し、顎に手を添えてしばし考え込んでいる。

「エニルの話…ではないな………ヴァッカとやらと、その取り巻きか?」
「!」

 思っていた事を見透かされ、リーファは動揺した。

 リーファが学生時代に苛められていた事は、幼馴染のカーリンが城に来た時に話してある。でも、そんな事は誰にでもある些細な話だ。とうの昔に忘れていると思っていた。

 名前まで言い当てられて狼狽えていたら、そんなリーファを見下ろしてアランが満足そうに嗤ってみせた。

「お前の事だ。『残酷な事を言う自分に私が幻滅して、それをきっかけに見合いが捗ればいい』…などと、下らぬ事を考えていたのだろう?」

 そこまで言い当てられてしまうと、ちょっと悔しくなった。いつかはこういうやり取りをするだろう、と想定していたとしか思えない。

「…何で分かるんです?」
「分かるさ」

 今度は、アランが両腕を広げて招く仕草をしてみせる。

 まだ報告書は書ききれていないが、主の命令は絶対だ。椅子の背もたれに手をかけて右足に力をかけずに立ち上がり、リーファはそっとアランに身を寄せた。

 ふわ、と体が浮遊感を体験したと思ったら、アランがリーファの体を抱き上げていた。すたすたと歩き出す。

「まあそうだな。
 もしその殺したい奴らを見つけたら、私に言え。適当に理由をつけて処刑してやろう」

 側女が側女なら、主も主だった。歩きながらしれっととんでもない事を言うアランに、リーファは唇を尖らせてぼやく。

「…私は別に、アラン様の手を煩わせたい訳じゃ…」
「私の子を産む女は、虫も殺せぬような無垢な女がいいからな」
「…っ」
「ならば、その女を惑わす奴らを殺すのは、私の役目だ」

 気付けばベッドまで辿り着いており、リーファはベッドにそっと降ろされた。
 アランもベッドに乗り上げてきて、仰向けに寝そべっているリーファに顔を近づけてくる。美しい煌めきと共に、金髪のカーテンがリーファを包む。

「…それじゃ、復讐にならないです」
「ならば、せいぜい私に悟られぬよう殺しに行け。
 お前は顔に出るからな?
 私が処刑するのが早いか、お前が殺すのが早いか。勝負しようではないか?」

 アランの剣呑な藍の瞳の奥に、リーファの姿が閉じ込められている。
 既に囚われていたのだと、リーファはそこでようやく気付かされる。

(隠し事なんて、出来るはずがない…。
 もうアラン様は、私の考えている事なんて全部知ってるんだから…)

 自分に対するアランの興が削げればいい。それがきっかけで正妃選びが捗ればいい。御子の産みの親は清らかな心の持ち主であればいい。おまけに、自分はキス一つで容易く機嫌を直す。
 伝えずとも、全部アランは知っているのだ。

 戦う前から勝負がついているのだと思い知らされ、リーファは観念した。泣きそうな顔でアランを見上げた。

「負けてしまいそうですね。私」
「ああ、負けておけ」

 今度は舌を深く差し入れるキスをしてきて、リーファは素直に受け入れた。

 何かを確かめるようにキスは繰り返され、アランの手はリーファの体を服越しに触れてくる。リーファのブラウスのボタンが外されていき、アランの唇が首筋に移って行く。

(はしたない…)

 興奮して熱い吐息が零れた。こんな昼間から自分を思うさま暴き立ててくれるのが、嬉しくもあり、恥ずかしくもあった。でも、理性が徐々に感情に押し負けていくのを自覚すれば、後は嬌声を抑える事しか出来る事がない。

 思うがままに反応してしまうリーファを満足げに見下ろしていたアランが、ふとぼそりと囁いた。

「…まあそもそもだ。そんな連中の事をお前が考えているというのが気に食わん」
「…え?」
「私の事だけを考えておけばよいものを。…妬いてしまうではないか」

 復讐、仕返し、報復───そういったものから無縁の言葉が聞こえてきて、リーファは眉根を寄せた。
 見上げると、アランはどこか愉しそうに笑っている。

「そ、そういうのは別腹というか、違う枠というか…何か、違うと思うんですけど」
「ならば、そんな下らぬ連中の事など忘れるよう、別腹とやらも違う枠とやらも私でいっぱいにしてやろう」
「別腹も、アラン様で…?」
「過去が忘れられぬと言うのなら、その過去の首を全て私に挿げ替えてしまえ。
 そうすれば、過去も現在も全部私で染まるだろう?」

 何とも頭の悪い提案をされてしまい、リーファはついつい想像してしまった。

 ───過去に、自分を虐めてきた連中の顔。
 靴を隠して、教科書をダメにして、蹴ってきて、叩いてきて、罵ってきた連中の顔だ。伸ばしていた髪を切られた事が、多分一番辛かったと思っている。

 その憎たらしい連中の顔が、全部アランの顔に置き換わる。
 端正な顔立ちなのに、どこか言動に幼さが見え隠れする主の顔に入れ替わって行く。

 しかし、想像の中でアランの顔をした連中がずらりと並んでしまい、リーファは思わず噴き出した。

「…ぷっ」

 リーファは慌てて口を押えたが衝動までは抑えられない。そのまま肩を震わせて笑ってしまう。

「ふふ、ふふふ………ふっふっふっふっふっはっはっはっはっは」

 顔を手で覆って笑いを堪えようと努めるが、残念な事に笑いが治まらない。

 顎の下でしてやったり顔のアランも、リーファが震えるものだから一緒に揺れている。それが更に笑いを誘った。

「…そんなにおかしいか?」
「だっ…だってっ、あ、アラン様が、いっ、いっぱいで…みんなっ、こっち…っ!
 はっはっはっはっは…」

 いよいよ笑いのツボにはまってしまい、ついには腹が痛くなってきた。膝を曲げて丸まりたいが、アランの足が絡まって身動きが取れない。

 ───カチャン。

 側女の部屋の扉がノックもなく開かれ、さっき出て行ったヘルムートが不思議そうに顔を出してきた。

「なーんか楽しそうな笑い声が聞こえるけど、良い事あった?」
「今日のリーファは情緒不安定だな。きっと生理前なのだろう。
 ほーらヘルムートが来たぞー。ついでにヘルムートの顔も私の顔に入れ替えておけー」
「やっ、やめて下さ…ははっ!も、もう…あっはっはっはっはっはっ…!」

 ヘルムートには怪訝な顔をされて、アランには得意満面に見下ろされながら、リーファの笑い声はしばらく部屋中に響き渡ったのだった。