小説
後日談・間が悪かった者達───”魔術ごろの溜まり場にて・1”
 国立魔術研究機構”クライノート”は、エルヴァイテルト国の中央都市グランディスマンの郊外にある。
 かの大英雄ターフェアイトに教えを受けた五人の魔術師”ナーハフォルガー”が創設したとされるこの施設は、魔術の研究、術具の開発、魔術利用の推進を一手に引き受けている場所だ。

 魔術の平和的利用を志す反面、研究の為ならば武力行使を辞さない一面も持ち合わせている。
 理解のない者達からは”魔術ごろの溜まり場”などとも呼ばれているが、あながち間違っていないのが実情だ。
 魔術学院があるリタルダンド国に比べれば歴史は浅いが、差し迫った脅威に立ち向かわんと魔術師を志す者は多く、意欲ある若者達に支えられている施設と言える。

 施設の中央に十字の道路が設えてあり、十字の中央にはフードを目深に被った魔術師と思しき銅像が掲げられている。
 大英雄ターフェアイトと言われているが、その風貌は男性とも女性ともつかない。これは、”優れた魔術師に男も女もない”という意味が込められているのだという。
 銅像の下の鋼のプレートには”連綿とつなぎ、遺せ”と彫られており、これはターフェアイトが残した言葉だと伝えられている。

 東側に管理棟が、北側に研究開発棟が、南側に特務棟が建っている。西方面が出口で、その先にはこの施設に所属している魔術師達の居住区と商業区がある。

 それぞれの棟は八角形のリング状に建造されている。リングの内側は棟ごとに異なっており、来賓を持て成す本部は大規模な庭園が、研究開発棟は魔術に用いる薬草園が、荒事専門の特務棟は演習場になっている。

 ◇◇◇

 そんなクライノートの特務棟3階東側にある、第二特務室。

 室長のイシドロ=フェランディス国家特級魔術師は、二枚の報告書を机に置きその上で指をトントンと叩いた。座っている黒革の回転椅子は特注品でそこそこ大きいはずだが、彼からしたらやや窮屈だ。

 縮れた黒髪、浅黒い肌、闇色の瞳という容姿は、エルヴァイテルト民特有のものではない。
 代々魔術師の家系である連中と比べれば明らかに新参者なのだが、筋骨逞しい二メートル近い巨躯と、その芸術的とも称される魔術センスは見る者を圧倒する───というのが、周りから見た自分の評判らしい。

(つっても、人前でせいせい魔術使ったとこなんか数える程しかねえんだけどなぁ)

 イシドロの目の前には、黄土色の髪を短く刈り上げた目つきの悪い青年が立っている。

 歳は二十三だったか二十四だったか。『すげーカッコよさそうだったから』と言って、ナイフで舌を縦に切ったなかなかのお馬鹿さんだが、激痛に耐えてスプリットタンを維持している根性だけは本物だ。
 名はアリエル=バルレート。イシドロの部下である。

 彼は直立不動のまま額に大量の汗をかいていた。大体こういう呼び出しをした時は、イシドロのきつい説教が待っているから『今日は何で怒られるんだ?』と思っているのだろう。

 だが、説教の対象は彼だけではない。

 ───コンコン。

 特務室の扉をノックする音が聞こえて、イシドロは顔を上げた。

「ディマス=キンタナ、入ります」
「おう、入れ」

 廊下からの声に応じると、扉が開かれて一人の青年が顔を出した。

 薄墨色の髪を短めにまとめ、空色の眼光が鋭い彼の年齢は二十六歳。見目は悪くないのだが、基本的にあらゆる人間を見下す性分な為、もっぱら女性陣からの評判が悪い。
 彼、ディマス=キンタナも、イシドロの部下である。

「おせえよ。ディマス」
「第四の連中に絡まれたんだ。仕方がないだろう」

 アリエル───アリルが不機嫌にディマスを睨むが、ディマスは気にした素振りもない。
 彼はイシドロの方に顔を向け、淡々と告げた。

「フェランディス様。連中は医務室に放り込んでおきましたが、構いませんね?」
「ああ、いいんじゃねえの?自業自得ってやつだ」

 イシドロは大して興味もなく肩を竦めただけに留めたが、胸中では感心していた。何人を相手にしたかは知らないが、ディマスに怪我や服の乱れはないし、どうやら完勝したようだ。

 特務棟に在籍している者達は、いずれも魔術を武器に武力介入していく荒事の専門家だ。
 ”外海の覇王”封印の実行部隊でもあるし、反乱分子の殲滅も特務棟の仕事と言える。

 室長同士は比較的仲が良いのだが、その部下達は血の気が多い面々が揃っており、小競り合いからの喧嘩など日常茶飯事だ。
 訓練以外では魔術の使用を禁止しているが、守っているかも疑わしい。

(まあディマスは、魔術は使わんかっただろうがなぁ)

 ふたりが肩を並べた所でディマスは背筋を正し、上司に向けているとは思えない冷たい視線をイシドロに投げかけた。

「それで、どういったご用件でしょうか」
「どーもこーもねーよ。なんだよこの報告書は。お前らふざけてんのか」

 ───バンッ!

 乱暴に机を叩く音が特務室に響き渡る。

 イシドロの闇色の瞳に睨まれて、緊張していたアリルは勿論、涼しい顔をしていたディマスも眉をひそめた。

 ふたりが呼ばれたという事から、直近の仕事の話だとすぐに分かったようだ。
 フェミプス語を解読できるという在野の魔術師の捜索。それが、彼らに課されていた仕事だ。

「どうって…」
「言われるまま、魔術師回収の結果報告を出しただけですが」
「だったらなんで報告がちぐはぐなんだよ。ああ?
 お前ら、隣の奴の報告書を見てみろ」

 イシドロはそう言って、机に置いた二枚の報告書に顎を向ける。

 ふたりは怪訝な顔をしたが、すぐに机の報告書に手を伸ばした。
 互いの報告書にざっと目を通し───先に声を上げたのはアリルだった。

「…はぁ?何だよこれ」

 渋い顔をしているディマスも、同じ事を言いたかったのだろう。
 アリルとディマスの報告書の内容が異なっていたのだ。

 アリルの報告書は、”対象の女魔術師は技量不足とみなし回収を断念した”と書かれていたが。
 ディマスの報告書には、”対象の女魔術師は死んでいたので回収を断念した”と書いていた。

 ふたりで同じ場所へ行き、一緒に立ち会ったはずなのに結果が異なっている。
 こんなちぐはぐな報告書、イシドロが見過ごせるはずはない。

「お、おいディマス。どうなってんだよ。お前もちゃんと話つけただろ?」
「いや、そんな、はずは。だが…」

 アリルは自分の報告書は間違いないと思っているようだが、ディマスは顔を青くして口を押えている。何か違和感のようなものを感じているのだろう。

 しかし、それはイシドロにも同じ事が言えた。
 手元に戻ってきた報告書を机上でまとめ、イシドロはアリルに問う。

「アリル。お前、対象の”技量不足とみなし”って、何で判断した?」
「何って………見た目………だったっけ…かなぁ…?」

 アリルは背筋を正したままそう答えるが、よほど自信がないのだろう。目が明後日の方向に泳いでいる。

 その答えに、イシドロは腕を組んでうんうんと頷いた。

「おう、見た目な。
 確かに見た瞬間、びびっとくる魔術師はいる。
 俺も何人か、そういうのに会った事がある。だがな」

 ───ガンッ!!

 ぎぬろ、と目をひんむき、拳を机に叩きつけてイシドロはアリルを睨んだ。

「テメーはいつから見た目だけで判断できるほどえらくなったんだゴラァ!!」
「ひ、ひいっ!すんません!」

 特に理由もなく周囲に喧嘩を吹っ掛けるアリルも、イシドロの激昂には身を小さくするばかりだ。泣きそうな声で体を震わせ、ぺこぺこと頭を下げまくっている。

 イシドロはちらりと机を見下ろした。嫌な感触がしたと思ったが、案の定拳の形に天板がへこんでいた。

(やべー………ソイレにまた叱られちまうなー…)

 付き人が顔を真っ赤にして怒っている未来を想像すると何とも気持ちが重くなるが、今はそれどころではない。
 腕でへこみを隠し、次にイシドロはディマスを見やる。

「ディマス。お前は”死んでた”ってのはどういう事だ」
「どういう…」
「死因なんぞ色々あんだろ。首吊り、溺死、焼身、出血過多…死体の具合だって様々だ。
 死後何日経っていた?腐敗はどれだけ進んでいた?人の形を成していたか?
 お前は女魔術師のどんな死体を見た?」
「………………」

 ディマスは深刻な顔で目を細め、静かに考え込んでいる。
 記憶を懸命に掘り起こそうとしているのだろう。口元に指を添え時折目を動かすが、その唇は縦にも横にも動かない。