小説
後日譚・間が悪かった者達───”その気持ちに他意はなく・7”
 翌朝。朝日の光がぼんやり空を照らし始めた頃、カールは目を覚ました。

 食事も水分もロクに取らずに過ごしたものだから、腹は空虚に唸り、喉はカラカラだ。気付けば朝になっていたが、いつ寝たかも定かではなく、頭はぼんやりしている。

 カールは2階の洗面所で、腫れた頬に貼り付けていた湿布をはがし、顔を洗い、口をすすぐ。
 頬の腫れ自体は引いたが、赤みを帯びた痣は残ったままだ。そう目立つものでもないが、後で医務所へ行って湿布を貰ってきた方が良いかもしれない。

(今日は、午前は魔力剣の指導、午後は1階南の警備か…)

 自室に戻り、警備用の鎖帷子を着こみ剣を腰に差した。左右一房ずつ髪を取り丁寧に編み込んで、後ろで一つにまとめる。
 顔色は悪いが、こればかりはどうにもならない。食事をとって、良くなる事を期待するしかない。

 自室を出て階段を下りて行くと、自分と同じ勤務時間割になっている兵士達が続々と兵士宿舎から外へ出ようとしていた。
 一等兵や二等兵は事前の支度が多いからこの時間に活動を開始しているが、上等兵のカールはそういったものがない。動き出すにはやや早かったかもしれない。

「おはようございまーす」

 そんな中、快活な女性の挨拶に思わず顔を上げた。外にいる兵士達が、女性の声に応じて挨拶を交わしている。

(まさか)

 自然と早足になった。階段を下りきって、宿舎の扉を開けて外へ出た。

「あ、カールさん。おはようございます」

 リーファは宿舎の入口のすぐ側にいた。顔馴染みの兵士と話をしていたようで、その兵士は彼女に軽く会釈をして食堂の方へと去って行く。

 ひとり残った彼女がカールの方に向き直り、愛想のいい笑顔を向けた。

「おはよう、側女殿。…もしかしてオレに用か?」
「ええ、はい。お渡ししたい物がありますし、個室で朝食をご一緒出来ないかと」
「構わ、ないが…」

 こちらから会いに行く事ばかり考えていたから、まさか会いに来るとは思いもしなかった。しかし、渡したい物というものが何かはすぐに分かった。

(ネックレスか…)

 王も言っていたし、あまり深刻には考えていなかったが、目の前にあると分かっているだけでも安心出来るというものだ。

「頬、大丈夫ですか?」

 彼女が心配そうに頬の痣を眺めてくるから、カールは思わず手で隠し目を逸らした。

「あまり見ないでくれ。…これは当然の報いだ」

 リーファの表情に、ほんの僅かに憂いが帯びる。一昨日の事を思い出したのかもしれない。

「…続きは食堂でお話ししましょうか。お腹が空いてしまいました」
「…ああ」

 返事を聞いて彼女は頷き、カールに背を向けて食堂へ歩き出した。カールも彼女を追って歩き出す。

 ふと彼女の後頭部を見て───カールの表情が曇った。

(オレが贈った、髪留め…)

 ハーフアップにしたリーファの髪を、髪留めが彩っている。金縁で空色の髪留めは、彼女の茜色の髪によく似合っていた。
 しかし王は、カールが贈った髪留めに対し不快感を露わにしていた。今彼女がカールの髪留めを身に着けている事を、王が知らないはずはない。

(オレへの当てつけで身に着けさせたか………趣味が悪い)

 忌々しく舌打ちをして、先へ行ってしまうリーファをカールは追う。

 ◇◇◇

 食堂で、腹にたまる物をトレイの上の食器に置いていく。サラダ、ハムエッグ、バターロール、かぼちゃのポタージュ。飲み物はブラックコーヒーを選んだ。
 リーファも内容は似たようなものだったが、飲み物は紅茶を選んだらしい。

 ふたりで一番狭い個室に移動し、扉を閉める。狭いと言っても席は八つあるから、ふたりで使うには勿体ないが。

 カールは食堂側に、リーファは演習場側に、向かい合わせになってトレイを置いた。
 食堂と個室を隔てる窓から、時折兵士や役人がこちらを見てくるが、魔術関係の打ち合わせなのだろうと考えるのか気にする者はいない。

「先にお返ししておきますね」

 彼女は開口一番そう言って、胸ポケットからアメジストのネックレスを取り出し、カールに手渡してきた。

 まるで何年も手放していたかのようで、懐かしさを覚えた。戻ってきた感触を確かめるように、カールはネックレスを強く握りしめた。

「ああ…ありがとう」

 カールのほっとした顔を見て、リーファがクスクス笑っている。

「心配しました?戻ってこないかも、って」
「オレは王に嫌われている。捨てられるかもしれない程度には思ったさ」
「確かに陛下は意地悪ですけど、約束を破るような方ではないと思いますよ?」
「側女殿の前ではそうなのだろうな」

 カールはネックレスの留め具を外し、自分の首につけた。特に意識した訳ではないが、何となく心が安らいで行くような気がする。

 カールが安堵に吐息を零していると、リーファは席に着きナプキンを広げていた。

「師匠の残留思念の事、カールさんに教えてあげられなくてすみませんでした。
 私がもっと早く回収を済ませていれば、カールさんを煩わせる事もなかったんでしょうけど」
「い、いや。謝るのはオレの方だ。…乱暴な真似をして、申し訳ない」

 自分が謝るはずだったのに、何故かリーファが頭を下げていた。さすがに受け入れる訳にもいかず、カールは慌てて謝罪をする。

「…怖かっただろう?」
「いえ、特には」

 ケロッとした様子で微笑んで、やる事はやったと言わんばかりに彼女はポタージュの器にスプーンを入れた。

 リーファの反応に、さすがのカールも顔をしかめた。

「き、虚勢は…」
「私は、余所の魔術師相手でも何とかする魔術師ですよ?
 実は、昔暴漢に襲われて返り討ちにした事もあるんです。
 カールさんなんて全然。目じゃないんですから」

 そう言って、リーファはほんのり湯気が広がるスプーンに息を吹きかけ、ポタージュを口に含んだ。美味しかったのだろう。口元を押さえて目尻を下げている。

 彼女が姉弟子の下へ行き、鉢合わせた国家魔術師二名と交戦した話は聞いている。どういった手段を取ったかまでは教えてくれなかったが、同時にかかってくる魔術師達を相手にするというのは相当な技量のはずだ。

(でも、オレがそれを見た訳じゃない)

 あの日ベッドで震えていた彼女が、カールをどうこう出来たなどとは俄かに信じ難い話だった。