小説
叱って煽って、宥めて褒めて
 ターフェアイトが現れ城の中を掻きまわして行ってから、早四ヶ月が経過していた。
 城内の魔術システムは恙なく稼働し、今までにない恩恵に戸惑う者もいるが、概ね順調と言っていいだろう。

 システムを引き継いでいる管理者のうち、リーファは主に魔術や呪術についての講義を、カールは主に魔力剣の指導を担当している。城の中の要望はカールが受け付け、リーファと打ち合わせて決める流れだ。

 ターフェアイトの残留思念を得たカールは、最近は積極的にシステムに関わるようになっていて、魔術に対する貪欲さは目を見張るものがある。

 ◇◇◇

「魔術と呪術で明確に異なる部分は、利用する動力源が違うという点です。
 皆さんご存じの通り、魔術は魔力…人が人として生きていく為の生命力の余剰分を使います。
 一方呪術は、感情、想い、思念などが動力源となります。
 私は魂の断片と呼びますが…ここは”思念”と呼ばせてもらいますね」

 リーファによる、呪術に関する講義が2階の会議室で行われている。
 生徒はこの城に常駐している兵士達だ。兵卒から隊長格まで二十四名もの兵が席について、壇上のリーファを見つめている。

 城の巡回が主だった業務である兵士に、魔術や呪術の込み合った話を聞かせる意味はない。
 彼らに必要なのは、遠征などでそういったものと遭遇した場合の対処法だ。

 会議室の一番奥には、この城で教鞭を執る老人ゲルルフ=デルプフェルトが椅子に座ってふんぞり返っている。
 小柄ながらも眼光鋭い総白髪の老人は、リーファを胡散臭そうに睨み続けている。彼はリーファが良からぬ事を吹き込まないかの監視役だから、この態度は間違っていない。

(呪いに関わる授業は礼拝堂の神父様と打ち合わせてるの、知ってるはずなのにな…。本当に肩書きで人を評価する方なのね…)

 黒板にチョークで思念と呪いの図を書きながら、リーファは周囲に悟られないよう肩を落とす。これが初対面という訳ではないから、胸中はなかなか複雑だ。

 ───ゲルルフは、グリムリーパーのリーファが偽の正妃候補としてここに来る羽目になった際、ラッフレナンドの国情の授業を担当してくれた人物だ。
 あの時は”正妃候補”として振舞っていたから好印象で接してくれたものだが、今は”庶民で魔術師で王の側女”だ。何をやるにしても当たり前のようにケチが飛ぶ。

 アランは『国外視察で魔術関連の報告だけはしない厄介な老人』と言い。
 ヘルムートからは『ああいう性分は変えられないから』と諦めるよう言われている。
 シェリーには『きっと聖都留学時に魔術師の女性にこっぴどく振られたのでしょう』と想像つきで呆れられ。
 カールに至っては『外遊で何も学ばなかった老害』と手厳しい。

 リーファとしても、かの老人と相性は悪い自覚はある。どんなに親身に接しても、決して距離が縮まらない人というのはどうしても一定数いるものだ───

「側女殿、よろしいでしょうか?」

 シーメン=バウス一等兵の挙手を受けて、リーファは慌ててそちらに顔を向けた。

「は、はい、何でしょう?」
「よく”呪い”や”呪術”と呼称が変わりますが、どう違うのでしょうか?」

 ちょうどこれから挙げようとしていた話題に触れてくれる。
 リーファは頷き、黒板に”呪術”と”呪い”の文字を書いてそれらを円で囲い込んだ。

「呪術というのは、予め定められた形式に則って行われる術で、魔術と組み合わせる場合があります。
 呪いというのは、呪術に加え、そういった形式を使わずに思念だけで影響を及ぼすものも含みます。
 呪いという枠の中に呪術が含まれている、と思って下さい」
「思い込むだけで、呪いというものが作られるのですか?」
「そんなに簡単に…?」

 兵士の間でざわめきが起こる。思ったよりも身近にあると知らされて、驚いているのが教壇の上からだとよく分かる。

「…そうですねえ。
 皆さんは、廃墟となった家屋などに肝試しに行った事はありますか?
 ああいう所には、そこに住んでいた、あるいはそこで亡くなった方々の思念が残る事があります。
 そして留まっている思念は、より強い思念を持っている生き物…人間などに好んで寄り付きます。
 個人差があって、その場の雰囲気に飲まれた人程、取りつかれやすいみたいですよ」

 リーファの才”セイレーンの声”の本領発揮、と言えるかもしれない。ざわめきはリーファが話し出すとすぐに引いて行き、兵士達は真剣に耳を傾けてくれる。廊下にいる人も惹きつけてしまうのは悩ましいが、講義中は才を抑えるイヤーカフもつけていない。

「そ、そのっ、そういう所へ行った者は、どうすれば良いのでしょうかっ」

 何か気になる事でもあるのか。兵士の一人が慌てた様子でリーファに訊ねてきた。

「何だバーレント?お前行ったのかよ?」
「ち、違う!俺は、ただ後学の為にだな───あ、な、ちょ、おい、笑うな!」

 他の兵士からの野次が飛んで、バーレント=ボート上等兵が慌てて弁解している。それが笑いを誘ったらしく、会議室が兵士達の笑い声でいっぱいになった。

 他の兵士は笑って揶揄っているが、多くの者達は肝試しなどで訪れた事ぐらいはあるだろう。
 城下にも穴場と言われている廃墟はある。地方から来ている者達でも、地元で似たような体験はしていたはずだ。

 ゲルルフが苛立たしげに溜息を吐く中、リーファは両手を叩いて制し、顔を真っ赤にして腹を立てているバーレントに答えた。

「特に心身に影響がなければ、何もしなくて良いですよ。
 しかし何か問題があると感じたら、教会にご相談頂くのが確実です。
 本格的な解呪が必要な場合もありますが、懺悔によって取りついていた思念が離れて復調する場合もあります」
「あ───ありがとうございます!」

 リーファの言葉でバーレントの表情が明るくなっていく。あまりに快活に謝辞を述べるものだから、彼の周りの兵士がまたクスクス笑っていた。リーファも思わず顔が綻ぶ。

「怖い話をしましたけど、思念の中には好影響を与えるものもあります。
 男性にはあまり縁はないかもしれませんが、所謂”おまじない”は、呪いと同じものになります。
 戦勝祈願、精神統一なども考え方としては近いです。
 あるいは…美味しくなるように想いを込めて作った料理にも、思念は含まれます。
 言葉は物騒ですが、簡単に言うと”強い想いが良くも悪くも人に影響を与える力”なんです」
「母ちゃんの肉じゃがは、病みつきになるうまさだからなあ。ついついおかわりしたくなるんだよ」

 レミヒオ=アラニス兵長が、腕を組んで近くにいる兵士に話しかけている。きっと味を想像しているのだろう。今にもよだれが出そうな表情だ。

「きっと、おかわりしたくなる程の想いが籠っているんですね。
 美味しいものを食べたら、『美味しかったよ』って言ってあげるといいですよ。
 それもまた思念として伝わって、次に作ってもらえる料理がより一層美味しくなるかもしれません」
「お、いいっすね。今度帰った時に言ってみますわ」

 聞いているとは思わなかったのか、レミヒオは少し恥ずかしそうに頭を掻いた。

「ママさんの新作デザート、まじうまいよな」
「パパさんの肉の焼き加減、オレ好みでさー」
「いやいや、ニィさんが作るスープの濃厚さもなかなかで」

 兵士達の間で、料理についての会話に花が咲く。多くの者は本城と兵士宿舎を行き来するから、食堂を仕切っている料理人のあだ名がちらほらと出てくる。

 そんな中、会議室の隅っこで恐る恐る手が上がった。

「おいしく………なかった…場合は………どうしたら………いいでしょうか………?」

 とても小さい声だったが何故か、しん、と場が静まり返る。手を挙げていた兵士の名はリーファも覚えがない。恐らく今年入ったばかりの二等兵だろう。
 その表情はとても深刻そうに見えた。年齢は若いようだから、恐らく恋人や配偶者ではないだろう。となると、家族の料理に悩まされているのだろうか。

 リーファは唸り声を上げた。情報が少なすぎて、当たり障りのない回答をするしかない。

「ん、んーっと…。『まずい』だと相手を傷つけてしまうだけなので…。
 味が濃いのなら『もう少し薄味だともっと食が進みそう』とか、具体的に言ってあげるといいかもですね…」
「味が全くしないんです…。料理本の通りに作っても、思った味にならないみたいで…」

 静寂の広がる会議室で、はあ、と大きめの溜息が零れ、兵士が更に肩を落とした。

(多分それ、料理本の通りに作れてない…)

 リーファも全く心当たりがない訳ではない。料理本に書いてある通りにやってみたら味が薄くなってしまい、改めて確認したら大さじの分量を小さじで間違えて測っていたのだ。

 しかしリーファも、さすがにそこまでは面倒見切れない。言うまでもなく思念だけで解消するような問題でもないだろう。

「し…食堂の求人が出ていましたから、誘ってみてはどうでしょう?本職の方の意見は貴重ですから、とても参考になると思います…。
 お、美味しくなるといいですね…!」

 すっかり講義の内容とはかけ離れてしまったが、リーファは心の底から彼の家人を応援してしまった。