小説
叱って煽って、宥めて褒めて
「売春宿は、城下にある”ニュムバの泉亭”に行ってみようと思ってるんです。
 以前、仕事を探していた時に勧められた事があって…。
 あそこなら酒場の給仕もあるので、お客が付かなくてもそれなりにお給料は頂けるらしいんです」
「”ニュムバの泉亭”………ああ、あそこか」

 声を上げたのはカールだ。

「カールさん、行った事あるんですか?」

 隣にいるカールに訊ねると、彼はリーファから顔を逸らし、気まずそうにぼそぼそと教えてくれる。

「ど、同期に付き合って、何度か、な。
 あそこはここの兵士も何人か利用している。
 側女殿を知らない兵士や役人はいないし、側女殿ならばすぐに客が付くだろう…」

 カールを見ていたアランが、だんだんと青ざめていく。リーファが客を取る光景でも想像してしまったのだろうか。狼狽えた様子で首を左右に振っている。

 気恥ずかしそうに、しかし満更でもなさそうに、カールは言葉を続けた。

「ま、魔力を循環させる術、というのも興味がある。
 お、オレも、側女殿が、生活に困窮しているので、あれば、て、手伝うのも、やぶさかではない…」

 耳まで真っ赤にしているが、これは紛れもなくお得意様宣言だった。

 カールの目的は先に言った術の指導のようだが、やる事は売春と変わらないのだ。リーファもつい恥ずかしくなってしまい、頭を掻きつつも何とか笑顔を取り繕った。

「な…なんか照れますね。でもその時は、よろしくお───」

 ───ダンッ!!

「駄目だっ!!!」

 派手な音と叫びによって、場は一気に静まり返った。
 見れば、アランはテーブルの天板に握り拳を叩きつけ、悲痛な面持ちで俯いていた。

 皆が皆、アランを視界に捉える。状況を静観していたヘルムートは無表情で、カールは侮蔑の眼差しを向けた。リーファも、真面目な面持ちでアランを見据える。

 拳を置いた体勢のまま動かないでいたアランだったが、やがて怯える様に震え出した。

「駄目だ…っ、そんなのは絶対に駄目だ…っ!」

 声を震わせ否定の言葉を零すが、アランの口から具体的な解決策は出てこない。我が儘ばかりを言う子供の様に、誰かが都合のいい言葉を投げかけてくれるまで、拒絶を繰り返し続けている。

(こんなに、無力なのね…)

 ついには両手で顔を覆ってしまったアランを見下ろし、リーファは先の言をほんの少しだけ後悔した。

 売春宿の話は、あくまでどうしようも無い場合の話だ。
 リーファは側女として多少なりとも謝礼金が支払われる。呪いの解呪代、魂騒動解決の報酬金、魔術指導の給金は殆ど手を付けておらず、いきなり実家に戻されても当面は困らないだろう。

 ヘルムートはああ言ったが、彼の性格を考えれば密かにアランを支援してくれるはずだ。
 しかし、アランのこの取り乱し振りを見るに、彼が考えている”周囲からの支援”はそこまでだ。

(頼りになる人、全くいない訳じゃないと思うんだけど…。
 アラン様の性格だと、多分頼ろうとは思わないんでしょうね)

 城内にはアランの兵役時代の同期が何人かいて、今でも顔を合わせれば会話くらいはしているという。
 地方との繋がりはよく分からないが、兵役時代には地方へ赴いていたというから、全く知人がいないという事はないはずだ。
 南の国ヴィグリューズの女王ブリセイダは、アランと個人的な親交があり、定期的に手紙のやり取りはしている。

 しかしこういった繋がりを頼るという事を、アランはしようともしない。
 ”罰”という形を取らなければリーファの実家に転がり込む話を持ち出せないのだから、アランを取り巻く世界が如何に小さいのかを感じさせる。

(アラン様には、外との繋がりをもっと強くしてもらいたいけど…。
 今は、選択肢を増やしてもらう時間はないものね…)

 リーファは席を立ち、アランのいるソファの側に膝を下ろす。

「…私も、アラン様以外の方と好んで肌を重ねたいとは思っていません。
 でも今すぐここを離れるとしたら、そういうお金の稼ぎ方も考えないといけないんです」

 俯き憔悴しているアランに、リーファは真横から優しく問いかけた。

「魔術を覚えて、王として私を側に置きますか?
 それとも王位を捨てて、商売女になった私と庶民の暮らしをします?」

 とても意地の悪い言い方だった。
 どちらかしかない、と思わせる口振りだ。本当なら色んな選択肢があるはずだと、リーファも良く分かっている。

 だが大切なのは、リーファからアランにこの選択肢が与えられている、という事だ。

 その意味をアランも理解しているのだろう。彼は肩を落とし、何とかその言葉を絞り出した。

「頑張る………頑張るから………。そんな風に、自分を蔑ろにするな…!」

 ようやく前向きに考えてくれるようになって、リーファは胸をなでおろした。カールは蔑むように鼻を鳴らしたが、ヘルムートは安堵の吐息を零していた。

 リーファは体を起こし、アランを包むように肩を抱く。頭を撫で、宥めるようにあやすように、アランを励ました。

「アラン様が努力家な事は、私もよく知っています。
 びっくりするような魔術を披露して、デルプフェルト様をあっと言わせられるよう、頑張りましょうね」
「………………」

 アランは無言のままリーファの体を抱き寄せ、膝の上へと招く。リーファの腰に回された手は、力強くも何かを恐れるように震えていた。

((…逞しくなったもんだ))

 水晶玉はカールの手元なのに、何故だかターフェアイトの声が聞こえて来たような気がした。