小説
血路を開け乙女もどきの花
((クーデターかい?あの頃も似たような事はあったけど、いつになっても人間ってのは変わらないねえ))

 首にかけていたアメジストのネックレスから、ターフェアイトの艶めかしい思念が送られてきた。
 カールの心を導き、揺り動かし、時には翻弄する師匠の声音だが、今ばかりは喜ぶ気になれなかった。

「…初代ラッフレナンド王が起こした偉業は、より血の濃い方々が後世まで伝える義務がある」

 ターフェアイトに説くつもりで答えたが、まるで自分に言い聞かせているようだ。にも関わらず、自分の心にまるで響いてこない。これでは、誰一人説得させられない。

 そんな気持ちを見透かすかのように、ターフェアイトは嘲笑った。どこか試す言い方で、カールの心に問いかける。

((ふふっ───まあそこは、なんでもいいさ。で、あんたはどうするんだい、カール?
 クーデターともなると、王サマもリーファもただじゃあ済まない。
 王サマの方はどーでもいいかもしんないけど。あんたはリーファをどうするんだろうね?))

 どうやら、ターフェアイトは盛大な勘違いをしているようだ。
 今日までリーファと肩を並べてきたのは、ラーゲルクヴィスト家の悲願の為に他ならないと言うのに。

「…心配か?師匠」

((ん?心配?))

 そんな風に切り返されるとは思わなかったようだ。カールの問い返しに対し、ターフェアイトは珍しく返答に窮している。

((………んー、心配、ねえ?まあ、心配半分、楽しみ半分ってトコかねえ。
 あんたが自棄を起こさないか、心配っちゃあ心配だし。
 リーファがどう切り抜けるか、楽しみっちゃあ楽しみかねえ))

「まだオレが側女殿に追い付いていないと言いたいか。…妬いてしまうな」

((なあに、手がかかる弟子の方が可愛いもんさ))

 小馬鹿にされていると分かっているのに、浮かれてしまう自分が恥ずかしかった。歪であろうとも、師匠から愛情が向けられているのだと自惚れてしまう。

「………別にどうもしない。
 側女殿は、王の側に在り続けるだろう。
 王が死に、後を追いたいと願うのなら、叶えてやるくらいはするさ」

 こんな物騒な会話を、声にして発する必要はそもそもないのだ。誰かに聞き耳を立てられる心配はないにしても、ターフェアイトとはそもそも思念で会話が可能なのだから。

 しかしカールは、口には出さずにいられなかった。
 そうしなければ、忠節、信念、価値観───何もかもの根幹が、揺らいでしまいそうだった。

「───っ」

 不意に。
 ターフェアイトの重さが、カールの背中にグッとのしかかってきた。
 重さと言っても、物体としての荷重とは違う。残留思念としてのターフェアイトが、カールの精神に寄りかかってきたのだ。

 まるで恋人のような距離間だ。何かが後ろから伸びてきて、カールを包むように首に絡む。
 ほのかに届いた熱は、ターフェアイトの温もりか、カールが興奮しているだけなのか───案外どちらでも良いのかもしれない。見えずとも触れられずとも、カールにとっては師匠を独占している事に変わりないのだから。

((…まあ、好きにするといいよ。
 どんなに卑怯でも、どれほど姑息でも、勝者なら何もかも、自由に出来る。
 リーファを殺すも、逃がすも、自分のものにするも、ね))

 ねっとりとした声音に身震いがした。込められた吐息に目が潤んだ。興奮か緊張か、口内に満たされた唾液を、思わず嚥下した。
 言外で、『素直になりなよ』と言われているような気がした。

((…おっと、出来るかどうかは別問題だけどねぇ。
 あの子は手強いよ?あんたのお手並み、拝見といこうじゃないか…))

 慰めてくれるのかとカールは期待したが、ただ揶揄いたかっただけらしい。ターフェアイトはクスクスと笑って、カールの精神から離れて行った。彼女を感じさせる一切が、カールの側から消えていく。

 無駄に広い部屋にカールだけが取り残され、溜息と共に改めて手紙を一瞥する。

 ギースベルト公爵家からの恩恵は、カールもよく理解している。
 公爵家の伝手で城入りが出来たようなものだし、実家であるラーゲルクヴィスト家は公爵家の援助で成り立っていると聞いている。

 カールとギースベルト公爵家が、切っても切り離せない間柄だという事実は覆りようもない。
 与えられた恩義をやっと返せる時が来たのだと、そうも思える───でも。

 リーファが側女となり、ターフェアイトが現れて、カールの環境はがらりと変わってしまった。
 読めるようになった魔術言語、使えるようになった魔術、関わるようになった魔術システム、それらを取り巻く環境。

 煩わしいと思う事も多々ある───なのに。

(オレは、どうしたら…)

 決断の時は、すぐそこまで迫っている。

 ───壁の側に佇む人影二つが、塞ぎこむカールを心配するかのように、瑪瑙色と青紫色の双眸を向けていた。