小説
お節介は日常を遠のけた
 魔王領に隣接している小国”ラッフレナンド”の王城は、広大なラルジュ湖の一角にある。
 湖岸から渡された石橋の先にそこそこ大きい島があり、島全域に建てられた建造物がラッフレナンド城だ。

 灰色レンガの城壁が全域を囲み、内側には一通りの施設が揃っている。
 催事にも使われる礼拝堂。
 国の今日を守り続けている、兵士達の演習場や宿舎。
 来城者ならば誰でも使う事が許されている、食堂や公文書館。
 そして、敷地の中央にそびえ立っている本城。
 本城は王族の住まいでもあるが、役所の機能も備えている。その為、入城許可を得た一般市民の出入りもそこそこ多い。

「お勤めご苦労様です」

 愛想良く声をかけつつ、リーファは城壁門の門番に通行許可証を見せた。

「はい、確かに。お勤め、ご苦労様です!」

 はつらつと敬礼してくれる門番に見送られ、リーファは会釈して城壁門を潜り抜けた。

 リーファ=プラウズは、ラッフレナンドの城下で暮らしている少女だ。
 ラッフレナンド国内の民の髪色は、金髪か茶髪か黒髪かと言われているから、リーファのやや赤みの強い茜色の髪は目を惹くかもしれない。
 前髪を揃え三つ編みを左右にまとめた容貌は、小柄な体型も含めて『年齢の割には幼く見える』とよく言われる。リーファが短所と思っている所の一つだ。

(着替えに戻りたかったな…)

 亜麻色のワンピースと白い腰エプロンという服格好に、リーファの瑪瑙色の瞳がちょっとだけ後悔に染まる。
 急なお遣いだったから服など選んでいる暇はなく、出勤時の服のまま来るしかなかったのだ。

 誰が見るでもないのは分かっているが、みすぼらしい女が城をとぼとぼと歩いているのはあまりにも場違いではないか、と要らぬ事を考えてしまう。
 うっかりつけてきてしまった調合用の伊達眼鏡で、今ここにいる自分がリーファだと誰かに気付かれないよう祈るばかりだ。

(いつ見ても綺麗なお城…)

 御伽噺の挿絵に描かれているような、青い屋根と白亜の本城を見上げる。
 どうやら3階は中庭になっているらしく、巡回路を歩いている兵士の姿が望めた。

(西側には庭園があるし、きっと貴族の人達がティーパーティーとかやるんだろうな…)

 自分とは縁のない優雅な生活を想像し、リーファは本城と食堂の間にある東側の道を歩いて行く。一般市民ならばまず通らない道だ。

 彼女は勤めている診療所のお遣いで、このラッフレナンド城の薬剤所へ荷物を届けに来ていた。
 往来の邪魔にならない場所で一度だけ立ち止まり、リーファは抱えていた紙袋の中身を再確認する。城の薬剤所から頼まれている物だ。間違いがあってはいけない。

(エキナセア、ソウパルメット、カモミール、ヴァレリアン、エフェドラ…)

 城から薬の用立てというのは、結構珍しい。薬剤所は専用の流通ルートを持っているので、急に薬が切れる事は滅多にない。
 城下唯一とはいえ、墓地に程近い辺鄙な場所にある診療所に薬を用立てるとなると、よほど急ぎの案件らしい。

 薬は、種類は多いが量自体は多くない。炎症、胃腸障害、不眠、喘息に効果がある薬草や、何故か殺鼠や防腐に使う薬剤もある。

 共通性のないバリエーションに顔をしかめながら、リーファは歩を進めた。
 来た事がない訳ではないが、城内へ遣いに行く事など滅多にないので、少しだけ緊張はしている。

 行く場所は分かっているので迷子になる心配はないのだが、時々見回りをしている兵士に見られると何だか居心地が悪い。出来れば早めに帰りたいものだ。

 カン、カン。

 城の北東で、食堂や演習場を抜けた先。本城裏手の十字の紋が彫り込まれた大扉を叩く。
 程無く扉が開いたと思ったら───

「うおっ」

 可愛い悲鳴を上げる間もなくリーファの腕は引っ張り込まれ、扉は無情にもぱたりと閉じられた。

「うー、むー」
「ごめんねえ、急に引き込んじゃって。でも、あんまり他の人に見られたくなくてねえ」

 頭の上から、年配の女性のやや低い声が聞こえた。
 リーファの鼻と口を押さえていた大きな手が離れ、止まりかけていた呼吸がようやく再開した。

「う、むっぷ、…エリナさん!
 兵士寄越してきて今更『他の人に見られたくない』はないんじゃないですかっ?
 うちの診療所、ここの話で持ちきりですよ?!」
「いやあ、たまたま仕事帰りの子がいたからついでに頼んじまったんだよねえ。
 そんな大事になってるとはははは」
「はははじゃないですよ、もう」

 呑気に笑っていたエリナは、リーファをゆっくりと降ろしてくれた。

 エリナは、リーファの自宅の近所に住む主婦だ。
 縦にも横にもリーファより一回りは大きく、性格もサバサバしている。
 豪胆で本人も自覚があるほど大雑把な性格なのだが、そんな彼女が何故薬剤所に勤めているのかは誰も知らないとか。

「まあそこ座って。コーヒーでいいかい?」
「ホイップクリームありますか?」
「ブラックで我慢しな」
「ですよねー」

 ブラックは苦手なのだが、ないものは仕方がない。
 諦めながらリーファは側の椅子に座り、テーブルに紙袋を置いて辺りを見回した。

 薬剤所の中はごちゃごちゃとしているが物静かだ。
 普段ならもう少し整理されているのだろうが、本はあちこちに積み上げられ、薬剤師は幾人もいるはずなのに今はエリナとリーファしかいない。

(すごい匂い…)

 空気は悪く、調合した薬草の匂いが凄まじい。隣の部屋で何かを煮詰めているのか、こちらの部屋まで熱気が押し寄せている。

 開けっ放しの扉から隣の部屋を覗き込むと、テーブルの下に人の足が横たわっていた。
 ぴくりとも動かない所を見ると、どうやら寝ているらしい───多分。

 サンダルを引きずる音に気が付いて、リーファは近づいて来ていたエリナに訊ねた。

「…なんか、あったんですか?」
「それ聞くと、今日はおうちへ帰れなくなるよ?」
「え、あ、やだそれ。やめます」
「そうそう。いい心がけだ」

 はははと笑って、エリナは平底フラスコに淹れたコーヒーを渡した。

(…どうやって注いできたんだろ…?)

 円筒状の首部を掴み、リーファはまじまじと見下ろす。

 ここには色んな器があるし、エリナも液体を注ぐのは慣れているから出来なくはないだろうが、それでも一度は考えてしまう事だ。
 何に使っていたフラスコか、は気にしてはいけないと思っている。割とこういう事は診療所でもやってしまっている事だ。さすがに熱々のコーヒーを飲むのにフラスコはどうかと思うが。

(せめてビーカーにして欲しかったな…)

 顔を近づけると湯気で眼鏡が曇った。零さないようにフラスコをテーブルに置いて、エプロンの端で湯気を拭う。

 眼鏡をエプロンのポケットにしまい、リーファはエリナに訊ねた。

「…でも、ただ事じゃないですよね?診療所に薬用立てる位ですから。
 …当分、これ続きます?」
「どうかねえ?
 明朝には薬草が届くからすぐにって事はなさそうだけど、また頼む事はあるかもねえ…。
 …嫌かい?」
「嫌、っていうかー…この、お城の雰囲気って、ちょっと苦手っていうか。
 だって、私みたいな一般市民が入れる所じゃないですし…。
 入ってくると、兵士の人たちじろじろ見るし。何か色々怖いじゃないですかー」
「そりゃリーファ、あんたが若いからだよ。男の子達は皆飢えてるからねー」

 外気に晒されて冷え切っていた両手をフラスコで温めていると、不穏な物言いに指が震えた。

「やだ、なにそれこわい」
「そうだねえ。兵士の詰め所には近寄らない方がいいかもねえ。
 いつだったか連れ込まれた子がいて」
「い、いて?」
「その子が大暴れした結果、詰め所は半壊、兵士達は大怪我。
 隊長は降格したもんだから、その子が代理で隊長をしてねえ」

 気付けば何処かで何度か聞いた事のあるエピソードに触れ、リーファは顔を上げた。

「………その後半の話、どこかで聞いた気が」
「はっはっは、まあアタシの事なんだけどね」

 陽気にウインクしてみせるエリナを見て、リーファは溜息と共に肩を落とした。

「もう、前から思ってたんですけど、その話どこまで本当なんですか?
 エリナさん確かに強そうですけど、そんな、兵士さん、ぼこぼこって。
 一応この国の兵士さん、強いんですよね?」

「そりゃ、言葉の端から端まで本当だよお。
 アタシが、この城の兵士たちを育てたようなもんさね」
「はあ…」

 こんな感じの武勇伝は、彼女の口からしょっちゅう湧いて出る。嘘か本当か判別が出来ないから、反応に困る事もそこそこ多い。