小説
故人は時に生誕を言祝ぐ
 日の光が山間に隠れ始めた頃、ヘルムートは3階の廊下を歩いていた。

 アランが側女の部屋でリーファと遊んでいる事は、ヘルムートの”耳”が教えてくれていた。思惑通りだ。

 何故かアランの藻掻き声が聞こえる側女の部屋を、ノックもせずに扉を開けた。
 部屋の中を見てすぐにアランの姿を捉える事は出来たのだが。

「ああ、いたいた。アラン───何、してんの?」

 その光景を見て、ヘルムートは呆気に取られてしまった。

 彼が見たのは、ベッドの上で脱がされそうになっているズボンを必死に押さえているアランと、そのズボンの裾を歯で目一杯引っ張っているリーファという、珍妙な光景だった。

「ヘルムート様早すぎ!なんで来ちゃったんですかー!」
「ヘルムート遅いぞ!いつまで待たせる気だ!」
「え、あ、ご、ごめん?」

 何故かふたりから真逆な意味で非難されて、思わずヘルムートは謝ってしまう。

 しかし遊びの決着はそれでついたらしく、アランは勝ち誇った表情でリーファを見下した。

「ははははは。残念だったな。ゲームオーバーだ」
「えーっ?!ぐあっ!」

 哄笑を上げたアランに思いっきり蹴飛ばされて、リーファがベッドから転げ落ちる。
 だがすぐにベッドの縁から顔を上げたリーファが、アランに食い下がった。

「陛下ずるいです!
 さっき抵抗しないって言ったのに、ズボン引っ張るのはルール違反じゃないですか!?」
「戦争にルールなどない。要は勝てばいいのだ。勉強になったな」
「なりませんよ!自分で作ったルール侵すなんて、王様失格だー!」

 いつもアランの一挙一動にびくびくしているリーファが、珍しく声を荒げている。多分これが彼女の素なのだろう。

 この反応にはアランもちょっと驚いており、詰め寄ってくるリーファに尻込みしている。
 アランは目を閉じて黙考し、じっと見つめてくるリーファにこう話を持ち掛けた。

「…ではこうしよう。
 勝負は私が勝った。
 だが、お前がそこまで言うのなら…そのペンダントは買ってやろうではないか。
 ただし、罰ゲームは甘んじて受けろ」

 アランにしては滅多に見られない妥協案だ。

 リーファも、アランがそんな事を言い出すとは思わなかったのだろう。目を瞬かせアランを覗き込んでいる。

「えっ…いいんですか?」
「嫌なら罰ゲームだけでもいいんだが?」
「やっ…やりますやります。わーい」

 顔を綻ばせ、リーファは大喜びでぴょんぴょん飛び跳ねた。余程そのペンダントとやらが欲しかったのだろう。

(…罰ゲームで取り上げられたりしないのかな…)

 アランの事だからそういう意地悪をしそうな気もしたが、今口に出すとその案が現実になってしまうかもしれないから黙っておく事にする。

 服の乱れを正しながらベッドから起き上がったアランに、ヘルムートは声をかけた。

「えー…そろそろ、いいかな?」
「結局、何だったんだ。お前達の隠していた事というのは」
「何言ってるんだ。今日、君の誕生日だろう」

 ヘルムートの言葉に、アランは露骨に嫌そうな顔をした。

「へー。そうなんですか?
 お誕生日、おめでとうございますー………え、あの、ぎへ」

 ふたりの間にひょっこり顔を出したリーファの首を、アランは抱き寄せるように腕で締め上げた。
 リーファは床に足がつくかつかないかのギリギリの所まで持ち上げられていて、苦しそうに藻掻いている。

「…そう言えばそうだったな。
 しかし、祝う歳じゃないだろうが。ここ何十年も祝わなかったものを、何を今更」
「シェリーが言い出したんだよ。
 リーファの歓迎会も兼ねて、アランの誕生パーティーをしようって言い出したのは。
 今まで妻はおろか恋人すらも作らなかった君が、ようやくその一歩を踏み出したんだから」
「…便宜上の、だがな」
「それでも大きな前進さ。彼女は嬉しいんだ、察してあげなよ」
「…自分の為だろう?」
「…アラン」

 ヘルムートが窘めるように名を呼ぶと、アランは子供のようにふて腐れた。

 ───アランの才”嘘つき夢魔の目”は、嘘をついた者を黒い空気で覆って映すのだと言う。
 その基準は明確な嘘に留まらず、おべっか、誤魔化し、ご機嫌取りなどの振る舞いも含まれる。
 女性の場合、見栄え良く着飾る行為すら”偽り”だと断じてしまうようで、目に見える女性全てを黒く覆ってしまうようなのだ。

 この厄介な”目”に慣れる事も諦める事も出来ず、アランは浮いた話のないまま王位を継ぐ事になってしまった。

 だが、ここを取っ掛かりに良縁と巡り合う機会はあるはずだと、ヘルムートは思っている。
 王の座は窮屈かもしれないが、その側に寄り添いたいと思う令嬢は多い。
 中には着飾らない誠実な女性もいるだろう。

 シェリーの事情はヘルムートも聞いているが、アランの未来を第一に考えている事位、アランも理解はしているはずなのだ───

「行きましょうよ、陛下」

 いつの間にかアランの腕から解放されていたリーファが、ベッドの縁から声をかけてきた。歯を使って器用に革の手枷を外している。

「陛下が何で行きたくないか知りませんけど、只の夕餉ですよ?
 食べないと食いっぱぐれちゃいます」
「…別に行きたくないとは行っていない」
「じゃあ行きましょう」
「ふん、お前に指図されるものか」

 不機嫌に鼻を鳴らしたアランは、ヘルムートの横を抜けて側女の部屋を出て行ってしまった。

 ヘルムートとリーファ。部屋に取り残されたふたりは、互いに顔を見合わせた。

「何なんですか、あれ」
「寂しいんだよ。人が離れて行くのがさ。
 僕だって、いつまでもアランの側にいられる訳がないのに」
「はあ………人は、いつか離れていってしまうものなんですけどね」
「…グリムリーパーの君が言うと、何か重みが違うね」
「誰が言っても同じですよ。
 こういう言葉は、聞く側の感性の問題なんだと思いますよ。
 …お腹すきましたね。私達も、行きましょう」

 ぐぎゅ、とお腹が鳴って、リーファは恥ずかしそうに笑っていた。