小説
故人は時に生誕を言祝ぐ
 アランとヘルムートは玉座の場から降りてきており、主要な役人らに迎えられて歓談を始めている。
 アランのいる場所からは、リーファ達のいる場所は大分遠い。

「…なんだか、しみったれた挨拶だったねえ」

 すっかり人ごみに埋もれてしまった我が王を眺め、何杯か分からないグラスをあおってエリナがぼやく。

 リーファは手近なテーブルにあったグリーンサラダを頬張る。ほんのりタマネギの食感が残っているドレッシングが美味しく、二杯目のシャンパンがつい進んでしまう。

「まあ、パーティーの話を聞いたのはついさっきだし、さすがに挨拶の用意は出来なかったんじゃないかと」
「だろうけどねえ」

 アランの話の合間に調達してきたのだろうか。皿にポテトサラダやステーキやケーキを盛ってきた薬剤師三人組が話に加わってきた。

「真面目すぎるんだよな、陛下は」
「王様なんて、女の子はべらしてうはうはするのが仕事なのになぁ」
「そりゃそれで国が傾くから困るわ。
 まあ陛下に関しちゃあ、一人で抱えすぎてるんじゃねーかって思う時はあるな。
 先王陛下の時なんて、薬剤所に顔見せなんて滅多になかったしなー」
「あぁ、それ困るんだよなぁ。
 いっつも部屋しっちゃかめっちゃかだから、見せられたもんじゃないし」
「エロ本とかな」
「いやぁ、それはホレ。媚薬の効果は確かめないとだしホレ。
 陛下も男だから分かって下さるさ、うん」

 と、男衆の間でアランについての話に花が咲いている。

(…皆、陛下に色々思う事があるんだな…)

 会話をぼんやりと聞いていたら、横で壁にもたれていたエリナがぽそりと訊ねてきた。

「それでリーファ。あんたから見て、陛下ってのはどうなんだい?」
「…え?」
「毎晩会いに来てるんだろ?部屋に。
 まあ…何にもないって話位は聞いてるけどさ」
「あー…そうですねえ」

 瑞々しいレタスを頬張りながら、リーファはぽつりぽつりと話し出す。

「痛い事をいっぱいします」
「ふうん」
「人が気にしてる事をずけずけ言うし」
「はあはあ」
「私が困ってるのを見て、喜んでるフシはあるんですよね」
「うーん」
「そんな所しか見てないんで、きっと周りの人も苦労してるんじゃないかなって思ったんですけど…。
 さっきの見てたら、そうでもないのかなって」
「ふんふん」

 ほろ酔い気分でまたグラスを手に取ったエリナを見て、リーファが呆れて溜息を漏らした。

「もう、聞いてます?
 じゃあ、エリナさんから見た陛下はどうなんですか?」
「子供だねえ」

 あまりにさっぱりした回答に、リーファは怪訝な顔をした。

「…こども…?」
「ああそうさ。
 リーファに辛く当たるのは、あんたを弱いものだと認識してるからだ。
 弱いものに何をしてもいいだなんて、子供の発想じゃないかい?
 だが、あんた以外の連中にそれがないんなら、陛下の心はとても弱いものだとアタシは見るね。
 全て一人で背負い込もうとするのは、他所に任せて失敗するのが嫌だからさ。
 ちょくちょく各仕事場を見て回るのは、臣下が思い通り動いている自信がないからさ。
 さっきのスピーチ聞いただろう?一国の王が臣下に『力を貸して欲しい』とかね。
 あんなもん、王の言う言葉じゃあないね」

 喧騒で紛れるとは言え、目と鼻の先の王の事をずけずけというエリナに、リーファは驚いた。
 不安になって周囲を見回すが、発言を気にする人間はリーファ以外にはいない。
 ひとまず胸を撫で下ろして、エリナの方を向いた。

「ず、随分な言い方ですね。
 ………エリナさんって、陛下の事、嫌いなんですか…?」
「好きか嫌いかじゃないさ。王として、合ってるか合ってないかの問題なんだよ。
 一兵卒として前線で魔物と喧嘩してた頃はまだ良かったねえ。
 剣の腕も悪くはなかったし、命令はそつなくこなすいい子ちゃんだった。
 ただ、昇格していくにつれて、出来は良くても自分を良く思わない連中をどんどん排斥しちまった。
 本来ならそういう奴らとも折り合いをつけるのが、上に立つ者の仕事だろうに」

 エリナの言葉には、長い間アランを見守り続けてきた重みが感じられた。

(確かに、陛下と気が置けない間柄の人っていうと、ヘルムート様かシェリーさんくらいなのよね…)

 リーファがアランと接する機会は、側女の部屋と執務室と時々食堂くらいだ。
 他にも仲の良い人達はいるのかもしれないが、アランを取り囲む世界がとても狭く感じる事もある。

「…何となく、分かります。
 何か、自分の気に入った人間しか側に置いてないって言うか…。
 陛下の不思議な力がなければ、こんな風に悩む事もないんでしょうけど…」
「才ってやつかい?関係ないさ。
 嘘を見破れようが心が読めようが、世渡りの上手い連中ってのはいるもんだろう。
 単に陛下が不器用だって話さ」
「不器用…か…、結局、そういう事なんですね…。
 そういうの、陛下も誰かに相談出来ればいいんでしょうけど。
 ………………あっ」

 リーファは、ふと忘れかけていた事を思い出した。
 急ぎというものではないが、何かの折にやっておかねば、と思っていたものだ。

 リーファはエリナに向き合って、きょとんとしている彼女に持っていたグラスと小皿を渡した。

「エリナさん、私今日は頭が痛いんで、これで失礼します」

 あっという間に両手が塞がったエリナが、目を丸くしていた。

「ん、え?なんだい急に。まだあんた野菜しか食べてないじゃないか」
「さっき、陛下とゲームしてて頭蹴られたんです。酷いと思いません?
 仕返しってほどじゃないけど、今日はもう部屋に戻ります。
 便宜上と言ってもパーティーのメインがすっぽかしとか、陛下にとっても赤っ恥にはなりますよね?
 もし陛下が私を探してたら、厭味の一つでも言っておいて下さい」

 陽気に笑うリーファを見下ろし、呆気に取られていたエリナが失笑した。

「あいよ。薬、要るかい?」
「寝てれば治りますよ。私庶民ですから体は丈夫ですし。ほほほ」

 厭味ったらしく笑ったリーファは、優雅に一礼をして人ごみの中に消えた。

 ◇◇◇

 頭痛がするとは思えない軽やかさで、リーファが広間から出て行く。
 走っていくリーファを見て、顔馴染みの者達が少し驚いているが、誰も彼女を止めない。

 会話に夢中になっていた三馬鹿薬剤師は、ようやくリーファがいなくなった事に気付いたようだ。

「ん、あれー?エリナさん、リーファちゃんはー?」
「頭蹴られて痛いから寝るってさ」
「は?蹴られ?陛下に??」
「何でそんなに当たりが強いのかねぇ…。
 よくリーファちゃん出て行かないでくれてるよぉ…」

 三馬鹿の嘆きが、溜息と共に広間に零れて消えて行く。
 彼らの最近の仕事は、媚薬や精力剤などの調合だ。
 夜の逢瀬の楽しみ方は人それぞれとしても、あまりに暴力的な結果は、調合者として心が痛むものなのだろう。

(それでも、昔に比べたらまだマシなのかねえ…?)

 リーファを小さい頃から見ていたエリナは、思ったよりもへこたれていない彼女に感心する。
 学生の頃、毎日泣いて帰ってきている所を見ていたから、あの当時に比べればまだ耐えられているのかもしれないが。

「無理してないといいんだけどねえ…」

 リーファから渡されたシャンパンをちびりと飲み、エリナは視界の先で談笑している王を睨みつけた。