小説
故人は時に生誕を言祝ぐ
「お…おぉ…見える。声も?聞こえるぞ…」
「エルヴィーン、私が分かるか?」

 アランに声をかけられたエルヴィーンは、その姿を目に留め顔を綻ばせた。

「おお、アラン殿下!お久しぶりでございます。
 …いや、陛下でしたね。ご即位、おめでとうございます。
 いやはや、再び陛下とお話出来る日が来ようとは、思いもしませんでした」
「ああ。…再び、お前の声が聞けるようになるとはな」

 リーファは手を放し、ふたりの邪魔にならないよう明後日方向を仰いで適当な魂をつまみ始めた。
 リーファの耳に、ふたりの会話が掠める。

「ご健勝で何よりでございます。そして、お誕生日おめでとうございます」
「…そんな事まで知っているのか」
「魂達の情報網はなかなか侮りがたいものがあります。
 今朝方、遥か北方のトリニダッドが魔物に占拠されているという情報もありましたよ」
「…トリニダッドは交通の要所だ。魔王城にも程近い。
 近々あるだろうとは思っていたが…こちらも気を引き締めて行かねばな」
「軍備は抜かりなく。
 アップルヤード殿は気難しい方ですが、陛下に理解を示しておりました。
 真摯な態度で向き合えば、必ず応えて頂けるかと。
 ───それと」

 ふと、エルヴィーンはちらりとリーファの方に顔を向けた。視線に気づいて、リーファも振り向く。
 短く息を吐き、エルヴィーンはアランに向き直った。

「側女殿が心配しておられましたよ。陛下の今後の事を」
「え?!いや、あの!」

 あまりにも単刀直入に話すものだから、リーファはぎょっとした。

 ここに来てすぐ、リーファはエルヴィーンに『ひとりで抱え込みがちな陛下に、何か良い助言は出来ないでしょうか?』と相談していたのだ。
 すると彼は、『そういう事でしたらわたくしにお任せを』と二つ返事で答えてくれたので、城に戻った時に色々話してもらおうと思っていた。
 アランが来てしまった為、今話してもらう事にはなったが。

(もうちょっと!もうちょっと言葉を選んで欲しかったんだけどっ!)

 慌てて止めに入ろうとするリーファだが、エルヴィーンの口から文句が止まらない。

「ひとりで抱え込んで家臣に頼る自信がないとか、気に入った者しか側に置かないとか。
 まあ今に始まった事ではありませんが。
 しかし、王という身分でありながら下々の者に力を借りるなどとは、思っていても口にして良いものではありませんね」
「そ、それ私が言ったんじゃなくって、エリナさんが…!」
「黙っていろ」
「は、はいぃ!」

 アランに半眼で睨まれて、リーファは条件反射で返事をしてしまった。気持ちが一気に萎縮してしまう。

 エルヴィーンに向き直り、アランは面倒臭そうに大きく溜息を吐いた。

「お前の言う通りだエルヴィーン。
 私はまだ未熟だ。王としての自覚はおろか、国を守る気概さえ欠けている。
 私に執務は向いてないのだ。国境で魔物相手に殴り合っていた方がまだ気が休まる。
 何も考えず、ただ言われるまま動き回る方がどんなに楽か。
 …アロイスはまだ若いが、本を良く読み、理解も深い。国に向ける想いもとても真摯だ。
 時期が来れば、執政をあれに任せるつもりで───」
「分かっておりませんね、陛下。
 わたくしが言いたいのは、そういう事ではありません」
「…何?」

 言葉を遮られて不満げに顔を歪ませるアランに、エルヴィーンは胸に手を当てて言葉を続けた。

「王に必要なのは調和。これは第一にございます。
 確かに陛下は、意にそぐわない者達を排斥し、ご自分の側には望んだ者達ばかり配しております。
 故に、陛下の事を快く思わない者達が囲いの外で燻っているのもまた事実。
 ですがそれは、どの王もなさってきた事です。
 誰も、自分の周りを敵だらけにせよなどと言ってはおりません。
 わたくしは、『まずは側にいる者達から安心を与えて差し上げなさい』と申し上げます」
「………あれから、か?」

 むすっとして顎で示したのは、サイスを抱きしめて動向を見守っているリーファだった。

 意図を理解され、エルヴィーンは満足そうに頷く。

「はい。
 そもそも、側女という者は執政には一切関与しません。
 王の為に御子を産む事だけを求められております。
 そんな方が、王の政に不安を抱くこと自体、問題があるのです。
 好きな物を与え、好きなようにさせて差し上げなさい。
 それで側女殿の不安が取り除かれれば、尚の事良い。
 多くの民を救う道を模索するならば、まずは一人ずつ始めるべきです」

 アランの口から幾度目かの溜息が零れる。どうやら呆れているらしい。

「それでは、全ての民の願いを聞き終える前に、私の命が尽きてしまうな」
「そう絶望的な事を言うものではありません。
 連綿と続いている王家です。先王と懇意にされている方々も多い。
 そして曲がりなりにも、先王が倒れられて一年。陛下は補佐として動いてこられたではありませんか。
 王となって、一から始めなければならない訳ではないのです。
 ───時に、側女殿」

 急に話を振られ、ぼんやりと成り行きを見守っていたリーファは慌てて声を上げた。

「は、はいっ!」
「あなたは陛下に、何を望まれますかね?」

 いきなりの質問に、リーファは困惑しつつ恐る恐る口を開いた。

「え、ええっと…。
 一応お城に入ってから食事は三食頂いてますし、城の中なら好きな所に行かせて貰えてますし…。
 後は…できれば、痛くしたり、いじわるな事しないで下されば…」

 言葉の端々から何か察したのだろう。
 背の低いエルヴィーンが表情を殺して目を細め、鉄面皮のアランを見上げた。

「…陛下?」
「………………………」
「陛下」
「………………………努力する」
「…まあ、よしとしましょう」

 こほんと咳払いをして、エルヴィーンは襟元を正した。アランから離れ、リーファに声をかけてくる。

「では側女殿、参りましょうか」
「…いいんですか?もう少しお話をしても」
「ええ。名残惜しいですが、過ぎた者がいつまでも人の世にいる訳には行きませんからね」

 エルヴィーンは穏やかに笑っていた。
 最後にアランと語らう機会を得られて、満足しているように見えた。

「…そうですか」

 リーファは納得してサイスを下ろす。
 彼女とエルヴィーンを繋いでいた光の帯が容易く千切れると、エルヴィーンの姿形が徐々に歪んでいく。

「アラン陛下。どうぞ健やかに。
 輝かしき未来を夢見ながら、あちらでお待ちしております」

 辛うじて人の姿をしたそれは、黙り込んだまま見つめているアランに向き直って美しい作法で首を垂れる。アランを案じた執事長は、元の魂の姿に戻っていく。

 頃合いかとリーファは判断し、サイスを掲げ魂を回収する為の呪文を唱え始めた。

「───”臨みなさい。全ての苦しみを解放する為に。自身の心に問いなさい”───」

 墓地にいる全ての魂達がその言葉に反応して、何かを訴えるように発光をしていく。
 呪文と共に踊るようにサイスを振り上げるその圧に翻弄されるように、魂達がリーファを中心に渦を成していく。
 球の形を成していた魂達がぶつかり合い、帯のように繋がっていく。

「───”成就せよ”」

 リーファが手甲を空に掲げると、光の帯は水流のように手甲の宝珠の中へと吸い寄せられた。
 さほど時間はかからず全ての魂が収まり、墓地が静まり返る。
 ここには城下の光は届かないから、夜空の星々とグリムリーパーを形作る淡い光だけが残る。

 リーファは、列を成している墓を感慨深く眺めているアランに訊ねた。

「…そろそろ戻りましょうか?」
「…ああ」

 頷いたアランの表情は、寂しさと同時に決意を秘めているようにも見えた。