小説
藍色のジェラシー
 側女の部屋に戻り、リーファが淹れた紅茶を一気飲みして、ヘルムートはようやく人心地ついたようだ。

「ふう…あんなにも心臓に悪いアランは初めて見たよ」
「あの陛下も、あんな、貴族風に女性を口説く事があるんですね…」

 向かいのソファに座りリーファもまた紅茶を飲みながらぼやくが、ヘルムートはそれを全力で否定した。

「い、いやいやいやいやいや。
 僕も付き合い長いけど、あんなアランは初めてだよ」

 そう言われてしまい、リーファは小首を傾げた。
 アランの異母兄であるヘルムートですら心当たりもないというのは、あまりにも奇妙だった。

「それなら尚の事、変な感じですね」
「思ったんだけどさ、ああいうのって魔術の類なんじゃないの?
 こう…男を誑かす術的なもの、あると思うんだけど」

 ヘルムートのあまりにもざっくりとした魔術のイメージに、リーファは怪訝な顔をする。
 彼の言っている”魔術”は比較的特殊な部類にあたるのだが、しかしそれを説明する事にあまり意味はないだろう。

「ありますよ。サキュバスなんかが使う魅了の魔術が。
 確かに系統としては近い気もするんですけど…何か違う気がするんですよねえ」
「…魔術師の勘、かい?」
「そうなるのかもしれないです。
 …そもそも、ヴェルナさんは魔術師なんですか?」
「いや、聞いた事ないな。
 …まあ、こんな国だ。隠してる可能性はあるかもしれないけどさ」

 腕を組んで考え込むヘルムートを見て、リーファも顎に手を当てて考える。

 ───このラッフレナンドは、かつてあった魔術師王国を滅ぼした後に興された国と言われている。
 だが新たな王国が興されて、すぐ地方の顔ぶれが総入れ替えされるはずがない。
 後に起こっている通称”魔女狩り”はラッフレナンド全土に広がったと言うし、町や村にいた多くの魔術師は殺されるか亡命の憂き目にあっただろう。

 しかし。
 極々少数だろうが、中には新たな国ラッフレナンドに恭順を表明した魔術師もいたのかもしれない。
 魔術師としての身分を捨てて。あるいは、隠したままで。

 そういう存在の事をヘルムートは言っているのだろうが───

「…魅了の魔術自体は人間でも使えるらしいんですけど、とても限定的で短時間しか効果がない術なんだそうです。
 ここに来るまでの間、召使さんやメイドさんの顔見ました?」
「…そういえば、何か上の空、って感じだったね」
「恐らく、謁見の間の人達同様”何か”の影響を受けたんだと思いますが…。
 魔術の効果を術具を用いて無理矢理引き上げたとしても、大多数の人間を長時間意のままに操るとなると…魔術師として実績がない人が使いこなせるとは、ちょっと思えないんですよね…」

 ヘルムートの推考の引っかかる部分はそこだった。

 リーファの見立てでは、仮にこれが魔術だとしたらかなり大規模な部類だ。
 そして魔術は技術だ。当然、誰かが誰かに教えていかなければ廃れてしまう。
 魔術師排斥の世が続く国で露見を恐れながら、いつ使うとも限らない規模の大きい魔術を家族以外の誰にも悟られず延々と継承させていくのは、正直言ってリスクが大きすぎるのだ。

「なるほど。確かにそんな術使う人間がごろごろしてたら、世界が破綻しちゃうな。
 …じゃあ、ヴェルナ嬢がサキュバスの線はどうかな?ほら、どこかで入れ替わった的な」
「サキュバスであったとしても、そこまで効果に差はないと思いますよ?
 まあ…魔王様の側近クラスみたいな、デタラメな存在の否定は出来ませんけど。
 …ところでヘルムート様、何か楽しんでません?」

 あまりにポンポン意見が飛び出てくるヘルムートに恐る恐る訊ねると、彼はちょっと機嫌を悪くしてみせた。

「心外だな。僕はいつでも真剣だよ。
 万が一、魔物に国が乗っ取られる心配だってあるじゃないか。
 ………ああでも」
「でも?」
「アランがいつも嘘を見破っちゃうから、尋問するにしても僕は役に立たなくてね。
 こう、色々推理するのってちょっと楽しいよね」

 そう言って、ヘルムートはへらっと笑って頭を掻いた。

 アランの才”嘘つき夢魔の目”は、相手が嘘をついているかどうかを見破る力があるという。
 リーファも何度か目の当たりにしたが、隠している事、誤魔化している事、事実とは真逆の話などは、アランにすぐ分かってしまうようなのだ。
 具体的に何の嘘をついているか、という部分は分からないようだが、人と対峙しているならばそこは質問を繰り返して行けば自然と分かる事なのだろう。まさに尋問官などに向いている才と言える。

 そんなアランと一緒にいるヘルムートは、『事件が起きたらすぐに犯人を見つけてしまう名探偵の助手』の立場に近いのかもしれない。
 助手が自分なりに仮説を立てている間に、名探偵は事件の動機も犯行の方法もすっ飛ばして犯人だけを当ててしまう。推理したい助手にとってはたまったものではない。

「あー…ちょっと分かる気がします」